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Wikipedia:秀逸な記事の再選考/オスマン帝国 20100508

(ノート) 記事に(関連文献は挙げられているものの)参考文献が全く挙げられておらず、Wikipedia:秀逸な記事の選考#秀逸な記事の目安のうち、「「出典」または「参考文献」が挙げられている。」をまったく満たしていないことが明らかです(わずかに1箇所脚注で出典が示されています)。ウィキペディアの公式な基本方針であるWikipedia:検証可能性をまったく満たしていないともいえます。そもそもWikipedia:秀逸な記事の選考/通過した記事に選考過程が掲載されておらず、どのような過程で秀逸な記事になったのか不明確です。 2010年5月8日 (土) 13:29 (UTC)(補足)-- 2010年5月8日 (土) 13:46 (UTC)[返信]

(理由追加)出典・参考文献がほとんど示されていないことは記事の内容にも実際に問題を及ぼしています。例えば「制度」節の「オスマン帝国の国制が独自に発展を遂げ始めたのはおおよそムラト1世の頃からと考えられている」、「オスマン帝国の最盛期」節の「このとき艦隊はマラッカ海峡まで行ったという」「文化」節の「この時代につくられたモスクや宮殿の壁を飾った色鮮やかな青色のイズニク・タイルは、現在の技術では再現できないという」、といった表現は、いずれもWikipedia:言葉を濁さないの観点から問題がある典型的な表現です。せめてこれらの記述について出典が示されていれば誰がこうした主張・指摘をしているのか推測することが可能ですが、この記事では出典が示されていないため、推測することすら不可能です。そして複数の箇所で言葉を濁していることで、完成度が高い。とは言い難い記事になってしまっています。-- 2010年5月9日 (日) 00:45 (UTC)[返信]

保留:
そもそもWikipedia:秀逸な記事の選考/通過した記事に選考過程が掲載されておらず、どのような過程で秀逸な記事になったのか不明確です。
秀逸な記事が制度化されたのは最近ですから、不明という表現は外していると思うのですが。[1]を見れば経緯は一目瞭然です。
なにより重要なのは、出典が明記してある項目よりも、こちらのほうが内容として劣っているとは限らないことです。歴史的経緯を加味すれば、方針を守っていないのはいたしかたないことであって、その改善を図るのをさきにすべきであり、いますぐ外そうというのはなにか妙な気がいたします。 Kzhr 2010年5月8日 (土) 13:54 (UTC)[返信]
  • コメント当時の経緯については了解いたしました。ありがとうございます。ただ、「こちらのほうが内容として劣っているとは限らない」というご意見は失当であると考えます。参考文献が挙げられておらず、1箇所を除いて検証可能性が担保されていない記事の内容がすぐれたものであるかどうかを、どのようにして確認することができるというのでしょうか?そのような場合、「劣っているとは限らない」と考えるよりもむしろ「優れていないのではないか」という疑いをこそかけるべきではないでしょうか。-- 2010年5月8日 (土) 14:48 (UTC)(補足)-- 2010年5月8日 (土) 14:52 (UTC)[返信]
わたくしの主張をご理解いただけず残念です。経緯からみて、まずは出典がつけられないかやってみるのを優先すべきと申し上げたのですが。
参考文献が挙げられておらず、1箇所を除いて検証可能性が担保されていない記事の内容がすぐれたものであるかどうかを、どのようにして確認することができるというのでしょうか?
とのことですが、参考文献が挙げられてるのでつき合わせればよいのではないですか? どことどこが対応しているという情報がないのではなはだ困難とは言えますが。おっしゃていることはラディカルすぎて出典が明記されているものにまで当てはまってしまいませんか。 Kzhr 2010年5月8日 (土) 16:19 (UTC)[返信]
事実誤認をされているようですね。当初出典が明記されていたのは1箇所のみで、参考文献は1冊も示されていませんでした。再選考開始後に参考文献が1点示され、若干の改善が見られますが。-- 2010年5月8日 (土) 16:28 (UTC)[返信]
  • 保留出典または参考文献は多数列挙されているとおもうのですが。提案の根拠なし。「検証可能性を満たしていない」とするならば個別に反論してください。単に「脚注が充実していない」「脚注型の参照元情報が充実していない」ということの場合、それは純粋な表記法の改善提案であって「秀逸な記事」与件に該当するかどうか現状でははっきりしないのですが。--大和屋敷 2010年5月8日 (土) 22:15 (UTC)つまり言いたいことは「外見上で脚注列記されていないという、表層的な発見により」秀逸な記事の再選考に持ち込むという極めて簡単な理由でよいのか、ということです。--大和屋敷 2010年5月8日 (土) 22:16 (UTC)[返信]
    • コメント記事をよく見てください。参考文献として挙げられているのは新井政美 『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』のみです。そして、この編集を見る限り、その文献がカバーしているのは記事の一部分のみのようです。現在「参考文献」節の下に列挙されているのは「関連文献」であって参考文献ではありません。それらの文献が実際に参考文献として用いられたかは不明で、したがって検証が困難な状態です。-- 2010年5月8日 (土) 22:23 (UTC)[返信]
      • それもWikipedia記事の「字句上」のことでしょう。誰かが関連文献を参考文献の項目に移動させれば廉さんの主張の根拠が失われてしまう、そんなレベルでの提案はさすがになんだかなーと思うわけですよ。--大和屋敷 2010年5月8日 (土) 23:41 (UTC)[返信]
        • 参考文献がどの本か分からない以上は検証可能性が担保されていないというのが私の見解です。「関連文献の中に参考文献となりうる文献があるかもしれないから、内容を検証したい読者はまず参考文献を関連文献として挙げられている文献の中から探し出しましょう」という現状が「出典」または「参考文献」が挙げられている。を十分に満たすものであるとは到底思えませんし、完成度が高いとも思えません。せめてどの文献が参考文献なのかくらいは執筆者が示すべきです。(なお、私は「脚注が充実していない」「脚注型の参照元情報が充実していない」から秀逸な記事の基準を満たしていないとは言っておりません)-- 2010年5月8日 (土) 23:48 (UTC)[返信]
        • ちなみに、「誰かが関連文献を参考文献の項目に移動させれば」とおっしゃいますが、裏付けもなしにそのようなことを行ういい加減な利用者がいるとは、少なくとも私は考えておりません。-- 2010年5月8日 (土) 23:50 (UTC)[返信]
  • 検証可能性は示されています。あとは検証する気のあるなしであって、それは読者の問題です。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 00:48 (UTC)[返信]
    • いや、示されていないと思いますよ。大和屋敷さんは列挙されている関連文献の中から参考文献となるものを判別することができますか?繰り返しますが、「関連文献の中に参考文献となりうる文献があるかもしれないから、内容を検証したい読者はまず参考文献を関連文献として挙げられている文献の中から探し出しましょう」という現状が「出典」または「参考文献」が挙げられている。を十分に満たすものであるとは到底思えませんし、完成度が高いとも思えません。大和屋敷さんがどのようにとらえようとそれはご自由ですが、私の考えとは異なります。-- 2010年5月9日 (日) 00:51 (UTC)(微修正)-- 2010年5月9日 (日) 00:55 (UTC)[返信]
  • 脚注による引用元開示が整備されていないので検証可能性がない、なる主張が正統であるとすれば、国立国会図書館釈迦大友皇子即位説元 (王朝)ジャコバイトムハンマド・アリーイラクトルココルシカ島イスラム銀行ボーイスカウト・・等々どうしますかね?検証可能性なしで削除ですか?--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 01:01 (UTC)[返信]
    • どうしますかね?とはどういう意味でしょう。現在この場で議論しているのはオスマン帝国についてであって、それらの記事についてではありませんよ。それらの記事に問題があると思う利用者は別途再選考にかければよいだけの話です。この再選考とは何の関係もありません。-- 2010年5月9日 (日) 01:04 (UTC)[返信]
    • また、私は「脚注による引用元開示が整備されていないので検証可能性がない」とは一言も言っていませんが。先ほどより、脚注による出典の明示を争点にされたいようですが、私にはそのつもりはありませんので。-- 2010年5月9日 (日) 01:08 (UTC)[返信]
      • では出典は明示されていますので問題ありませんね。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 01:09 (UTC)[返信]
        • 現状ではわずかな部分を除き明示されていません。したがって、この記事が抱える問題点は解決されていません。-- 2010年5月9日 (日) 01:12 (UTC)[返信]
          • 本文の字句を修正しました。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 01:12 (UTC)[返信]
            • さほど意味のある改変とは思えませんが、記事のレイアウトはWikipedia:レイアウトの指針に沿ったものにしたほうがよいでしょうから差し戻しました。-- 2010年5月9日 (日) 01:17 (UTC)[返信]
            • 「参考文献」なのかどうか僕は知りませんよ(だからなのに)。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 01:38 (UTC)[返信]
              • この編集を見れば、加筆者が関連文献とは区別された参考文献として挙げているのは明らかでしょう。せめて記事の最近の履歴くらいは確認してから議論に参加されればいかがでしょう。-- 2010年5月9日 (日) 01:41 (UTC)[返信]
              • あなたが『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』を参考文献としてお認めになるかどうかはご自由ですが、折角出典に関する情報を加えられたYhiroyukiさんを愚弄するかのような振る舞いは、どうかお控えください。-- 2010年5月9日 (日) 01:46 (UTC)[返信]
            • なぜそこで「愚弄」という表現がでるのかご説明いただけますか。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 01:48 (UTC)[返信]
              • 『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』が参考文献として挙げたことが明確に読み取れるにも関わらずあなたが、「「参考文献」なのかどうか僕は知りませんよ(だからなのに)。」などという主観のみに基づいて、Yhiroyukiさんの編集を一方的に否定する編集を行ったと判断したからです。-- 2010年5月9日 (日) 01:51 (UTC)[返信]
              • 先験的に相手の議論の質を定義づけてしまう作用(loaded-language)がありますので字句「愚弄」の使用については抗弁いたします。趣旨は理解しました。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
                • コメントまだ私の言っていることの意味が分かりませんか?ご自分の発言を冷静に振り返ってください。まずあなたは当初、「関連文献」が多数列挙されていることについて、「出典または参考文献は多数列挙されているとおもう」(2010年5月8日 (土) 22:16 (UTC) )「出典は明示されています」(2010年5月9日 (日) 01:09 (UTC))とおっしゃいました。しかし議論が進むにつれ「参考文献」と「関連文献」を定義不明の「文献情報」としてひとまとめにしました(2010年5月9日 (日) 01:10(UTC)、2010年5月9日 (日) 01:11(UTC))。そしてその直後の発言が「「参考文献」なのかどうか僕は知りませんよ(だからなのに)」(2010年5月9日 (日) 01:38 (UTC) )です。あなたはわずか数時間の間に「関連文献」を参考文献だと言ったり、参考文献として挙げられた文献までも「文献情報」という定義不明のカテゴリーに組み込んでみたり、挙句の果てに「「参考文献」なのかどうか僕は知りませんよ(だからなのに)」と、判断が付かないと言ってみたり、発言が二転三転しています。そのような迷走した状態のまま記事をいじり、Yhiroyukiさんがせっかく挙げられた『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』が参考文献であることを否定するかのような編集をすることは礼を失していると申し上げています。参考文献に関する基本的な態度が定まらないまま議論に参加されても混乱を招くだけなのでお控え頂きたいと思いますし、記事の出典に関する箇所を編集するなどもってのほかです。-- 2010年5月9日 (日) 11:29 (UTC)(補足)-- 2010年5月9日 (日) 11:56 (UTC)[返信]
                  • おそまきながら議論の質を先験的に印象づけてしまう用語「冷静に」「挙句の果てに」「迷走した状態」「礼を失している」「もってのほか」に対して抗弁します。このような弁論法を用いて他のWikipedianを「愚弄」しないよう重ねてお願い申し上げます云々--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 19:38 (UTC)[返信]
  • コメント両者とも落ち着いてください。既に話題はオスマン帝国に限定されたものではなくなっているようです。FAでの情報源の明示方法の基準や水準については、ノートか、どこか適切な場所で話しあってみてはいかがでしょうか。
    • ちょっと履歴を調べてみると、[2]でテンプレが貼られ、[3]で「参考文献」が「関連文献」に置き換えられました。廉さんの「「出典」または「参考文献」が挙げられている。」をまったく満たしていないことが明らか、というのは、適切ではないと思います。ただ、その参考文献が、実際に「記述するうえで参考にした文献」を指すのかどうかまではわかりませんから、検証可能性を満たしているかどうかは十分明らかではないですし、追記されているような表現の曖昧さもあり、そこで例示されているものには具体的な情報源を示すのが好ましいものもあると考えますから、再選考の審議は引き続き行なうのがよいと思います。ただ、過去の執筆者、あるいは広く他者に批判的な強い表現を使う場合は、十分な調査や、経緯の検討や配慮をお願いします。--Ks aka 98 2010年5月9日 (日) 12:41 (UTC)[返信]
    • コメントKs aka 98さん、ありがとうございます。過去の経緯を見落としていたのは迂闊でした。「参考文献」が「関連文献」に置きかわる前の状態でしたら再選考にかけていなかったでしょう。こういう形で再選考にかけてしまったことは私としても不本意です。普段なじみがあまりない分野なのでどこまでできるか分かりませんが、私も資料にあたり少しでも出典が示せるよう努めたいと思います。-- 2010年5月9日 (日) 14:06 (UTC)[返信]
  • コメント今の状態では読者が知りたい事を取捨選択するのに少し不便かもしれません。ただ、内容的には十分なボリュームがあるので秀逸な記事から抜くのはもったいないと思います。そういう意味でWikipedia:ウィキプロジェクト 東ヨーロッパWikipedia:ウィキプロジェクト イスラームがせっかく有るわけですからそちらへご一報いただければと思いました。(私はたまたま最近の更新を見たときにこの項目を見たのでコメントしています。)私もギリシャに関して活動していることからオスマン帝国は重要な位置を占める記事です。微力ながら手を入れたいと思いますので、できれば再選考において可能な限りのお時間をいただければと思います。--Hideokun 2010年5月9日 (日) 01:55 (UTC)[返信]
    • コメント了解いたしました。これまでの経験から加筆依頼には効果が期待できないと判断し直接再選考に書けましたが、プロジェクトへの依頼という観点は抜けていました。私としても、記事の状態が改善することが最善だと考えています。-- 2010年5月9日 (日) 01:59 (UTC)[返信]
      • 早速のお返事ありがとうございます。プロジェクトへの依頼は私の方でやってしまいました、拙速なことで申し訳ないです。作業のほうですが今、一つ取り掛かっている記事があるのでそれが終わり次第、入ろうと思いますので再選考の時間ギリギリまでは一応、様子をみていただければと思います。--Hideokun 2010年5月9日 (日) 02:05 (UTC)[返信]
        • コメントありがとうございます。私のほうからもご挨拶とお願いをいたしました。もちろん期間終了までお待ちいたします。-- 2010年5月9日 (日) 02:14 (UTC)[返信]
  • コメント 現時点の状態では、「秀逸な記事」の要件を満たしていないといわれても仕方のない部分はあるかと思います。まだ最大で3箇月残されているので、その間に必要な作業を済ませるか、少なくとも必要な作業が終わる見通しが立てば、秀逸から外す必要はなくなると思います。逆にいえば、そうした見通しが立たない場合は、秀逸から外すことに反対はいたしません。個人的な事情になってしまいますが、最近はインターネットに使える時間がやや減っており、どこまで出来るかわかりませんが、微力ながら私としても秀逸認定維持のために協力ができればと思います。--Peccafly 2010年5月9日 (日) 04:14 (UTC)[返信]
    • コメントありがとうございます。なるべくお手を煩わせないようにしたいと思ってはいますが不慣れな分野なのでご迷惑をおかけすることになるかもしれません。申し訳ありません。-- 2010年5月9日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
  • くりかえしますが、Wikipedia:秀逸な記事の選考基準のなかに「脚注形式で「出典」または「参考文献」が挙げられている」ことが求められているのでしょうか?勝手にそう思い込んでいるだけということはありませんか?あるいは「脚注方式で出典または参考文献が挙げられていることが選考基準だ」とする合意がどこかで得られていますか(純粋な質問です)。--大和屋敷 2010年5月9日 (日) 06:08 (UTC)[返信]
  • コメント大和屋敷さん、初めまして。大和屋敷さんの言わんとすることはよくわかります。ただ、考慮すべきガイドラインとして出典を明記する出典の示し方には「本文中に注釈を挿入する」と「記事末尾に参考文献を記載する 」という目安があります。これに絶対従うべきとまでは申しませんが、Wikipediaの看板記事と言うべき秀逸な記事は出来得る限りガイドラインに沿ったものがベストと思います。私自身は大和屋敷さんのスタンスは否定しませんし、私の能力でどこまでできるかも疑問符です。ただ、私の所有するギリシャ関連の文献に載っていることもありいつか触りたいと思いつつ腰が重かったのですが、今回、このような切っ掛けができたことによりようやく動こうという気になりました。ですので、微力ながらもオスマン帝国という記事が秀逸からはずされないよう、私なりにがんばりたいと思いますので、見守っていただければと思います。もしその選考基準について疑義があるならばノートの方へ提案していただければと思います。--Hideokun 2010年5月9日 (日) 08:05 (UTC)[返信]
PJ:SLMは、機能しているので、再選考提出前に、一言声をかけてくださればよかったのですが、順番は、どうでもいいです。私自身もある程度の文献は手元にあるので、本記事のFA維持のために、模索しますので、少々お待ちを(実は、クロスマッピングを始めた段階から誰か言い出すだろうなと思っていたわけですけれども)。しばらく、PJ:SLMはこれにかかりきりになると思うので、ムハンマド・アリーとイスラム銀行の再選考の提出はお待ちください。ただでさえ、人手が足りない分野なので、よろしくお願いします。--Tantal 2010年5月9日 (日) 13:18 (UTC)[返信]
Tantalさんのお手まで煩わせてしまい申し訳ありません。今回は最新版で参考文献が挙げられていない記事が対象でしたので、ムハンマド・アリーとイスラム銀行は少なくとも私のリストには含まれていません。-- 2010年5月9日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
コメントここに書くべきなのかどうか分かりませんが、書かせてください。この項目(オスマン帝国)、読み物として大変おもしろく、すばらしいと思います。ただ、やはり秀逸としては出典が欲しいなって思います。出典の内項目に関し、詳しく調べていくうちに、間違いだらけ、ってこともあります。やはり秀逸な項目には、それに相応する文献が欲しいなと思います。それと同時に、秀逸、良質の下に、もう一段階、欲しいなと思いました。両方には当てはまらないけれど、読み物としておもしろいもの、秀逸や良質で再選考から漏れた・外された項目の収容先として(過去に秀逸、良質に選ばれたからには、それなりに良い物だろう、ってな思いがありますが)。かつ、何てのかな、参考文献はないけれどある程度まとまった記事の収容先、ですね。そういったのが欲しいなと思いました(参考文献はないけれど、項目の内容にある程度同意できるとか。最近、秀逸からの削除を私が推薦し、実際削除されたスズメバチとか。読み物として、悪くないと思いますよ)。英語版に比べても、日本語版の秀逸、良質に相当する割合が非常に低い割に、ある程度まとまった項目は、数多くあると思います(この項目とか、スズメバチとか)。どこで提案すべきでしょうか?スズメバチなりオスマン帝国なり、過去に秀逸から無くなった項目なり、ある程度はまとまっていたのでしょうから、何か救済策はないものかと思いました。--Koolah , 2010年5月12日 (水) 10:52 (UTC)[返信]
(コメント)関連文献に挙げられているものを含めて4冊ほど図書館にあったので読んでみましたが、特に間違った事が書かれている印象はありませんでした。取り急ぎ参考文献へ追加しました。脚注は付けている途中でめんどくさくなってしまったので(汗)できましたら、脚注での明示が必要と思われる箇所に{{要出典}}を付与していただけないでしょうか。そこはプライオリティを上げて対応したいと思いますのでご協力よろしくお願いします。--R.Lucy 2010年5月14日 (金) 12:51 (UTC)[返信]
コメントR.Lucyさんのご要望からはズレたコメントになってしまいますが、出典よりも内容面で気になる点が出てきました。現在鈴木董 『オスマン帝国』を読んでいるところですが、 帝位継承を巡る兄弟殺しについては記事の中で触れる必要があるのではと思いました。-- 2010年5月20日 (木) 09:01 (UTC)[返信]
  • コメントちょっと想像以上に難しいですね…。地方行政、宗教関係(ギリシャ正教との関連)、ミレット制への言及がないことなど読み返せば読み返すほど頭が痛くなるところです。特に地方行政と宗教関係については必須と考えるのですが、資料が足りません。現段階ではギリシャ関係の資料を用いて加筆していますが、ちとWikipediaから離れないといけない事情がありますので、私の工事終了後に有志による加筆をお願いしたいと思います。というか、現段階では{{要出典}}というレベルではないと思います。救済するにはかなりの補強が必要かと思われます。--Hideokun 2010年6月2日 (水) 21:47 (UTC)[返信]

選考開始から3か月が経過しましたが除去の要件を満たしておりませんので存続となりました。--Pastern 2010年8月8日 (日) 13:47 (UTC)[返信]