Wikipedia:秀逸な記事の選考/信玄公旗掛松事件 20130519
賛成/条件付賛成/保留/反対 3/0/0/0 この項目は選考基準の賛成のみ3票以上を満たしています。2013年6月20日 (木) 01:03 (UTC)(2013年6月20日 (木) 10:03 (JST))までに異論がなければ、この項目は秀逸な記事となります。
(ノート) 《推薦理由》自薦です。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/信玄公旗掛松事件 20130511にて良質な記事へ選出されました。信玄公旗掛松事件は日本国内の法曹界では著名な判例でありますが、あまり一般的に知られた事件でなく、事件の内容をメインに集約した資料・文献も多くはありません。しかし、現在入手できる限られた文献・資料等を元に、事件全体の経緯を分りやすくwikipediaの記事として再構築し、この事件を調べられる方にとって有意なものに仕上がったのではないかと自負しております。審議のほどよろしくお願い致します。さかおり(会話) 2013年5月19日 (日) 05:55 (UTC)
- 賛成 昨日、メインの参考文献の三冊を読んできました。当然、出典と記事に齟齬はなくそれらメインの参考文献とくらべても欠けているトピックはみあたらず、構成は素晴らしく、なにより門外漢に分かりやすい。素晴らしい記事だと思います。--ぱたごん(会話) 2013年5月19日 (日) 06:56 (UTC)
条件付賛成日野春駅でこういう事件があったこと自体は知っていて、私もこの3月9日に現地を訪問して記念碑を見てきたばかりでしたが、こういう充実した解説記事を読めて嬉しいところです。文献をきちんと集めて事件の経緯を説明し、後年への法的な影響まできちんと書き上げられているものと思います。いくつか疑問点を挙げますので、対処をお願いします。--Tam0031(会話) 2013年6月1日 (土) 12:18 (UTC)- 日本では1872年以前は旧暦なので、旧暦と新暦の使い分けに注意してほしいです。「事件の発端」の節で、清水倫茂氏の生年月日を1864年(元治元年)12月7日 (旧暦)としていますが、旧暦の日付を使うなら元治元年旧暦12月7日(グレゴリオ暦1864年○月○日)とする方が分かりやすいと思います。元治元年は確かに大半の日付がグレゴリオ暦1864年なのですが、12月7日はグレゴリオ暦だとおそらく1865年に入っていると思います。日付の対応を調べて、グレゴリオ暦での生年月日も示してもらえたらと思います。旧暦をグレゴリオ暦に換算するだけなら、独自研究の範囲にはならないと思います。
- 同じく「事件の発端」の節で、「日野春村字富岡に停車場が設置されることが1896年(明治29年)に内定し、同地に停車場(駅舎)が設置されることが1902年(明治35年)に正式決定された」とありますが、これはちょっと意味が分からないです。1896年が内定、1902年が正式決定でしょうか。停車場(駅舎)のカッコ書きの駅舎は必要でしょうか。駅舎があろうとなかろうと、停車場は停車場でしょうし。
- 「信玄公旗掛松の枯死」の節、「転轍手の不注意による貨車の脱線事故が発生し、脱線した機関車が信玄公旗掛松に激突」とありますが、脱線したのは貨車でしょうか機関車でしょうか。途中で種類が変わってしまっています。
- 「弁護士・藤巻嘉一郎」の節、最初の文で甲府地裁に提訴したとありますが、提訴した相手が記載されていません。この記事全体を読めば提訴相手は明白ではあっても、この文章単独でも提訴した相手について記載しないと説明不足だと思われます。鉄道院(あるいは国)を提訴したのですよね?
- 「甲府地方裁判所の判決」の節、「一審判決が原告の勝訴として結審する」というのは変な文章に思われます。結審というのは、その裁判におけるすべての審理が終了することを言うはずで、結審の後に別に判決言い渡しがあるはずです。「勝訴として結審」はあり得ないと思います。
- 甲府地裁の中間判決全文中、「樹上ニ旗ヲ掲ゲ以テ常ニ軍医及軍略上ノ指揮ヲ為シ来リタリ」は、軍医というのが変です。「軍利及軍略」ではないでしょうか。他に表記が明らかにおかしいと思われるところは修正してあるので、念のため確認をお願いします。
- Tam0031さん、丁寧な査読と誤記の訂正ありがとうございます。ご指摘くださいました各点につきまして、改めて精査したいと思いますので、少々お時間をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2013年6月1日 (土) 16:27 (UTC)
- (インデント戻します)ご指摘くださいました各点につきまして、下記の対応を致しました。
- 1点目
清水倫茂の生年月日を確認した文献は、新藤東洋男、1990年8月1日発行、『甲斐路の夜明け - 「信玄旗掛松事件」とその社会的背景』、創研出版 ISBN 4-915810-02-X(以下、新藤1990と略します)、p.184での記述、「出生したのは元治元(1864)年12月7日(旧暦)であった。(原文のまま引用)」とする一文で、私が確認した限りでは、これ以外に清水倫茂の生年月日を記載した文献は見当たりませんでした。しかし、ご指摘のように、「元治元年12月7日(旧暦)」を「1864年」としている、この文献の記述は現実にはあり得ない日付になってしまいます。さて、困りました。これ以上の確認は北杜市役所で清水倫茂の原戸籍を確認するしか無さそうですが、親族でもない私に、その確認のハードルは高く現実的ではありません。ただ私が推察するに、生年月日を記した原戸籍は西暦ではなく元号が使用されていたはずで、「元治元年12月7日出生」という元号表記の日付の一次資料は原戸籍以外にあり得ず、この元号表記の生年月日こそが公のものと考えます。参考文献に使用させて頂いた筆者様には申し訳ないのですが、元治元年と言う元号を単純に西暦に換算してしまったのではないかと考えられ、本記事ではグレゴリオ暦に換算した、「1865年1月4日出生」を、旧暦表記に併記することとしました。
- 2点目
これは私の表現が不適切でした。ご指摘の文節中の、「同地に停車場(駅舎)が設置されることが」を除去し、「日野春村字富岡に停車場が設置されることが1896年(明治29年)に内定し、1902年(明治35年)に正式決定された」と変更しました。また、駅舎のカッコ書きは不要でした。当文節では停車場に統一しました。
- 3点目
これに関しては、私が鉄道用語の知識に乏しく、貨車、機関車の意味を取り違え、混同してしまった可能性があると思います。申しわけありません。脱線事故に関する出典は3つ付けましたが、新藤(1990)p.157では「貨車の脱線事故」、沼田(2000)p.18では単に「脱線事故」とあります。脱線事故について最も詳細な記述は、川井健、1981年12月10日発行、『民法判例と時代思潮』、日本評論社、pp.253-254にある、当時の新聞記事からの引用です。該当部を抜粋して以下に引用します。少し長いのですがご確認頂けませんでしょうか。なお、この問題に関連すると思われる一部記述に、私個人がアンダーラインを加えております。
信玄公旗立松を傷く(機関車脱線の為め)
- 日野春停車場構内に於て一昨日十八日午前二時五十五分転轍手の不注意より機関車の脱線あり連結の貨車緩急車等共に損傷し有名な信玄公旗立松の大枝も数本を折られしといふ珍事の顛末を詳報せんに
- 上り貨物列車が小淵沢駅を発して日野春駅に着したる後数分を経て再び此所を発したるに転轍手の不注意にて第一号と第十号との両転轍器へ関聯せる双動器のリーバーを正当に転換し置かざるため機関車は俄然第十号転轍器より待避線の方へ猛烈なる勢を以て進入し忽ち其車止めを突破し余勢線路外三十尺の所に及び其所に在りて目下甲村清水倫茂氏の所有に皈し居る一大老松樹の横枝に激触し其数枝を折りたるが是ぞ三百年の昔武田信玄公が軍旗を樹てたる有名の旗立松と称せる世にも稀なる老樹なり
- 機関車の衝突激しく前部一軸車輪深くも地中に喰ひ入り此所に進行を停止したれば夫れに連結し居たるシリンダー貨車一台其後部に激しく突き当たり其反動にて三尺程刎上り続いて結ばれたる緩急車も二尺余も刎飛ばされて横になり其他は幸に事なく軌条に静止せり(以下、省略) — 明治44年9月19日山梨毎日新聞抜粋
この記述から、貨物列車(貨車)を牽引していた機関車が脱線して、松樹に激突したと解釈し、あのような途中で種類が変わってしまったような表現になってしまいました。本来なら自薦した私が修正するのが筋かとは思いますが、なにぶん鉄道関連用語、知識に疎く、不安な部分があります。この点に関してアドバイス、あるいは該当部記述の編集をお助け頂けないでしょうか。よろしくお願いします。
- 4点目
仰せのとおり説明不足でした。修正いたしました。
- 5点目
用語の使い方を間違えておりました。修正いたしました。
- 6点目
こちらは私の誤記です。「軍医」ではなく「軍事」が正当でした。訂正しました。同時に改めて、各原文書との比較、記載漏れ等のチェックを行いました。またTam0031さんには、差分、および差分にて、文章等の訂正を行って頂けましたこと感謝いたします。
3点目に関しては修正を保留としておりますが、何卒お知恵を拝借いただけないでしょうか。お願いばかりで恐縮ですが、よろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2013年6月3日 (月) 03:58 (UTC)
- 賛成 指摘事項をおおむね訂正いただいたので賛成とさせていただきます。1点目の旧暦・グレゴリオ暦の問題は、元号の年をもっとも広くカバーするグレゴリオ暦の年を示して細かいことを気にしないのはよく見られる記法なので、1864年と記載されていたのだと思います。1865年と書き直して問題ないと思います。
- 示していただいた引用記事では、側線への分岐器を本線側に切り替え忘れていて、貨物列車が誤進入して脱線したようですね。貨物列車が脱線して、機関車が木に衝突、と書けばよいかと思います。そのように修正しておきました。機関車に連結されていた「シリンダー貨車」というのが謎で、そういう種類は無いので、テンダー車(機関車の石炭や水を積む車両)の誤解ではないかと思えます。その次に緩急車がつながっていたのは理解できます。なお、『国有鉄道重大運転事故記録』を調べましたが、死傷者が出なかったのかこの事故は記録がありませんでした。『日本国有鉄道百年史』にわずかながら記載がある、とのことでしたが、索引には「日野春駅」の項がなく、「訴訟」「公害」といった項でも説明が無かったので、発見できませんでした。全17巻あると、キーワードから索引でページを特定できないと探し出すのは困難です。執筆と修正お疲れ様でした。--Tam0031(会話) 2013年6月3日 (月) 14:52 (UTC)
- Tam0031さん、上記で引用した山梨毎日新聞記事の続きには、物損のみで人的被害は一切なかったと確かにありますので、国鉄側による事件記録等の類は恐らく存在しない可能性が高いのかもしれません。内容の確認と記述表現の修正をありがとうございました。感謝申し上げます。--さかおり(会話) 2013年6月3日 (月) 15:42 (UTC)
- (その他)《七里岩台地と日野春原野》以外は完璧だと思います。《七里岩台地と日野春原野》だけはちょっと冗長ではないかな?と思ったんですが要望として《七里岩台地と日野春原野》のなかで『当地の中央本線は』から『今日ではすべて解消されている。)』まではなくても事件の理解には困らないと思います。FA記事はどれも長大なので読み切るのは大変です。ダイエットも時には必要だと思います。『日野春村の立地する』から『通称「七里岩ライン」に相当)の道筋にあたる[10]。』までと空中写真2枚もどうしても必要なのかな?とおもいます。願わくば、《七里岩台地と日野春原野》の部分だけは加筆でなくダイエット(特に『当地の中央本線は』から『今日ではすべて解消されている。)』まで)を考えてくださるとうれしいですけど、私の考えが間違っているかもしれません。生意気だったらごめんなさい。でも、ものすごく素晴らしい記事だということにはまったく異存はありません。《七里岩台地と日野春原野》節を少しダイエットしてくださったら賛成します。【条件付き賛成】とかにするほど自分の意見に自信を持って言えるわけでないので(条件付き賛成って、それが解消されないと選考を通過できない一種の反対票みたいなものですよね?)今のままでも私以外の賛成票が3票あつまったら選考通過することにまったく異議はありません。--朝姫(会話) 2013年6月9日 (日) 01:36 (UTC)
- 朝姫さん、貴重な御意見をありがとうございます。冒頭節で当地の地理を解説したのは、この事件の経過を説明するのに先立ち、事件発生の経緯を理解するのに重要なことだと考えたからでした。中央本線敷設ルートの地理的な位置関係、なぜ急勾配を登る経路が選定されたのか、また、急勾配を登る途中という地形的理由から日野春駅には給水塔が設置され、それが枯死原因の一因でもあった等、事件の経過を理解する上で、ある程度の地理的解説は重要なことと考えました。文章だけでなく2枚の空中写真をサムネイルを使って解説したのも、そのような考えがあったからでした。ただ、朝姫さんが「冗長」とお感じになられたことも一考すべきことと思います。執筆する側は(良かれと思い)多くの情報を入れる傾向があるのは確かにその通りかと。当該節は文章の推敲を含め、簡素化を検討してみます。--さかおり(会話) 2013年6月9日 (日) 03:03 (UTC)
- ご指摘の件に関しまして、表現の見直しを行いました。可読性は向上されたと思います。よろしくお願いします。--さかおり(会話) 2013年6月12日 (水) 02:41 (UTC)
- 朝姫さん、貴重な御意見をありがとうございます。冒頭節で当地の地理を解説したのは、この事件の経過を説明するのに先立ち、事件発生の経緯を理解するのに重要なことだと考えたからでした。中央本線敷設ルートの地理的な位置関係、なぜ急勾配を登る経路が選定されたのか、また、急勾配を登る途中という地形的理由から日野春駅には給水塔が設置され、それが枯死原因の一因でもあった等、事件の経過を理解する上で、ある程度の地理的解説は重要なことと考えました。文章だけでなく2枚の空中写真をサムネイルを使って解説したのも、そのような考えがあったからでした。ただ、朝姫さんが「冗長」とお感じになられたことも一考すべきことと思います。執筆する側は(良かれと思い)多くの情報を入れる傾向があるのは確かにその通りかと。当該節は文章の推敲を含め、簡素化を検討してみます。--さかおり(会話) 2013年6月9日 (日) 03:03 (UTC)
- 賛成 対応してくださってありがとうございました。とても素晴らしい記事だとおもいます。今のwikipediaは山梨県に関することがとても充実している百科事典なので私も(私ではさかおりさんの100万分の1くらいしかできませんが)東京の記事を充実させたいです。--朝姫(会話) 2013年6月13日 (木) 01:03 (UTC)
(通過)賛成票のみ3票集まった状態で1週間以上経過し、特に異論がないため、秀逸な記事となりました。--84story64(会話) 2013年6月20日 (木) 10:51 (UTC)