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Wikipedia:秀逸な記事の選考/日本刀 20091121

賛成/条件付賛成/保留/反対 1/0/0/6 この項目の選考期間は、2010年2月21日 (日) 12:37 (UTC)(2010年2月21日 (日) 21:37 (JST))までです。

(ノート) 《推薦理由》日本刀の名称から、古墳時代から第二次大戦後までを網羅した歴史・各部の名称や形状・様々な観点からの分類・すべての工程にわたり、科学的根拠と理論を踏まえた製法等まで、日本刀に関する記述が詳細になされており、画像なども数多く挿入され、十分秀逸な記事に値すると思います。 かぬま 2009年11月21日 (土) 12:37 (UTC)[返信]

*(賛成): 《日本固有の製鉄技術に裏打ちされた有史以来の歴史がある日本刀を、総合的・客観的・理論的・体系的にまとめ上げている。日本刀のイントロダクションとして、多くの人にわかりやすいよう図・画像が多く挿入されている点に加え、各種刀剣・刀工に関しての詳細な解説が記載されているリンク先が多く設定されており、十分秀逸な記事に値すると思います。》--Rokurokusanjin 2009年12月2日 (水) 07:23 (UTC) [返信]

反対・早期終了2009-12-03 06:50:46 (UTC)版に対して。

秀逸な記事の目安に合致していないと判断します。目安に即して以下にコメントします。

  • 「出典」または「参考文献」が挙げられている。

この記事は= 2つの階層(==)が15あります。「日本刀の新聞」以下はともかくとして、多くの節では、極めて少数の出典が明記されているに過ぎません。何よりも、分量から見て核心ともいえる「歴史」の節にはひとつもありません。この目安に合致しないことは明らかです。

注の6に挙げられているのはこんな個人サイト内のページです。個人サイトをWikipedia:信頼できる情報源は一律に排除しているわけではありませんし、私も個人サイトであることを以って一律に排除するべきであるとは考えません。しかし、オークション出品支援をすることと、客観的な情報提供とは利益相反の関係にあるものではないでしょうか。念のために申し添えておくと、何もこのサイトのオーナーがそういうことをしている、と言いたい訳ではありません。そうした懸念を払拭できるだけの根拠が何かあった上で、出典として採用されているのでしょうか。そうでないのなら、かかるサイトの記述を「出典」と呼ぶということに、非常に疑問を感じざるを得ません。

また、テレビ番組内の実験を「出典」とする節がありますが、テレビ番組の内容は多くの場合検証可能ではないという判断・議論が今まで積み重ねられてきたはずです。妥当な出典とは思えません。

「参考資料」なる節もありますが、ここに掲げられている文献もいったい何なのでしょうか。現行の記事執筆スタイルに従うなら、記事執筆の上で参照した文献であれば「参考文献」とするべきですが、「注記・出典」の節に挙げられた文献と対照してみるとまったく関係がありません。記事の主題についてさらに知りたい読者のための文献を紹介する節として「関連文献」を挙げる記事のスタイルはアリですが、それもまず「参考文献」がきちんと整備され、それにもとづいて出典が明記されてからのことです。現状の「参考資料」は、位置づけの曖昧な文献を漫然と列挙しただけであって、記事の質(の向上)に何ら寄与するところが無いと考えます。

全体に、出典に欠けているだけでなく、わずかに挙げられた「出典」も質に疑問が残るものが散見されます。日本刀についてよく知っているわけではありませんが、冶金学とか材料工学の分野で何か研究は無いのでしょうか。こんな程度しか出典とし得る文献が無いのか、本当に系統的に文献を探索した結果なのか疑問を感じます。

  • 百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている

まず、はじめにお断りしておきますが、私自身は日本刀について知識がありません。しかし、それにもかかわらず説明されるべきことがきちんと説明されているのか、疑問に感じました。

この目安について、私は、知識がある人が見たときに、「説明されるべきことが全て説明されている」いるかどうかを点検することが出来るようにしておくという趣旨だと理解しています。そうした点検に際してまず一次的に用いる手段が、参考文献のチェックだとおもいます。しかし、すでに述べたように出典・参考文献に関して不備がある以上、「説明されるべきことが全て説明されている」かどうか不明確な状態であると見なさざるを得ません。

「“日本刀”という呼称」という節(このタイトルのマークアップはスタイル上、妥当でしょうか?)では、近代になって新たに「日本刀」という概念が登場し、過去に製作されてきた刀が再評価されたという経緯が書かれているものと理解しました。逆に、そうした再評価や受容の歴史がなければ、日本刀は注目されることも無いまま歴史の彼方に消え去ってしまったということでもあるのでしょう。そうであるなら、再評価・受容の歴史は、もっと突っ込んで書かれるべき点ではないでしょうか。説明されるべきことが説明されていない、という違和感を感じます。

  • 完成度が高い

全体に文章の完成度に疑問を感じます。

まず、私が引っ掛かったのが、冒頭定義節の末尾にある「刀を作る職の者を「刀工」、「刀匠」、「刀鍛冶」という」一文です。冒頭の定義では、記事の主題について核心を示す場所であるはずです。そこでなぜ、「刀を作る職の者」について触れなければならないのか、脈絡がまったく把握できない唐突な一文がいきなり挿入されています。冒頭からいきなり読者に違和感を抱かせる文章が、「文章が読みやすい」「構成がしっかりしている」、「完成度が高い」文章なのでしょうか。いちいち全て列挙しませんが、率直に言って校正不足です。

また刀の評価を述べる文章が、非常に大仰で美文調であるのも気になります。刀の評価を記すのにそのようなスタイルの文章を書くのだということであれば、もちろんそれに従うべきです。しかし、前述の出典・参考文献の不備がここでも問題です。そうした文章のスタイルが妥当なものである根拠が示されていない以上、独自研究や場違いなエッセイもどきであるという疑いを感じてしまいます。

「日本刀の多様な側面」も問題です。「多様な側面」を読者に知らせるというのはよいことです。しかし、そのための「出典」が「テレビ番組内で行われた実験」なのですか? それは検証可能なのですか?

また、「多様な側面」配下に日本刀の性能や性能に即して戦史上の意義を述べた節があるのも、構成として間違っていないでしょうか。日本刀は本来武器であったわけで、その性能は「多様な側面」ではなく、主要なトピックであるはずです。しかし、現行の記事の記述を読んでも散漫な(しかも出典のない)記述が続くばかりで、結局どういう性能を持った武器なのか理解できませんでした。

  • 観点の中立性が保たれている

前述の点の繰り返しとなりますが、出典・参考文献が挙げられていません。そのため、個々の記述について、異説・異論がないレベルの記述に終始しているのか、異説・異論があるのに特定の観点のみを採用した記述なのかチェックできません。したがって、中立的な観点に立脚した記述になっているか確認できないようになっているという点で、中立性に疑問符をつけざるを得ません。

特に歴史の節を読んでいて感じたのですが、ごく少数の際立った名匠の動向が歴史のすべてを左右するようなストーリーになっています。そうしたストーリーに異論は存在しないのでしょうか。日本刀に関する文献において、あるていど共通に見出され、専門家たちの間で認められているものなのでしょうか。

  • 内容が充実している

百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されているか否か不明であるとすでに述べました。したがって、「必須の点だけをわかりやすくカバーし」た以上のことができているかどうか判断する以前の段階にあると考えます。

  • わかりやすく書かれている

個人的な見解を敢えて述べると、出典を明記することは何も執筆者がデタラメや独自研究を書いていないことの裏付けというだけでなく(もちろん、そうした意味もありますが)、記事を読んで関心を持った人がさらに知識を深める上での手助けだと思っています。出典・参考文献が乏しい現状の記事は、読者が理解を深める努力を助けるものになっていないという点で、分かり難く、評価できません。

  • 以上の点が全て満たされている

書く必要があるでしょうか。当然に満たされていません。

以上、記してきて以前あったある選考を思い出しました(Wikipedia:秀逸な記事の選考/日本航空インターナショナル)が、本質的には同種の記事 - 雑然と大量の記述が盛り込まれているが、質が伴わない記事であると思いました。今さら言うまでも無いことのはずですが、秀逸な記事は記事の質を問うものであって量を問うものではないはずです。目安に合致しているのか、本当にちゃんと検討したうえでの推薦なのか、非常に疑問に感じます。また、ほかの方の投票を云々するようなことは良いことでは無いかも知れませんが、推薦者のコメントの上面をなぞったようないい加減なコメントを付して賛成票を投じることも賛成できません。

私などがあれこれ言うのは本来おこがましいことかも知れませんが、Wikipedia:秀逸な記事は最高水準の記事を顕彰することで、全体のレベルアップの目標を示すことを目的としているはずです。このようないい加減な推薦や賛成票が、レベルアップにつながるなど、まったく思いもよらないことです。また、投票やコメントを求めるために推薦者がマルチポストをしていることも、感心できません。

以上を含めて、秀逸に達するには相当の時間をかけて大手術をする必要があると思います。このまま選考を続けることにほとんど意味が見出せません。反対票と同時に早期終了を提案します。--ikedat76 2009年12月3日 (木) 14:34 (UTC)一部、誤解にもとづく発言がありました。コメントを求めることは#推薦の仕方に記されているものです。抹消線を追加すると同時に、お詫びいたします。大変失礼いたしました。--ikedat76 2009年12月3日 (木) 15:27 (UTC)[返信]

  • (反対)毎度のことながら、FA選考では言いたい放題言っている訳ですが……。まず、私も、日本刀については専門外ですが、少なくとも、この記事が現状では、FAになれないと判断します。
  1. 「定義」について--日本刀が日本で作られた刀剣であるということはまったく持ってその通りだと思います。しかし、この記事での言及は平安時代以前の日本における刀剣の歴史についても言及しています。そこで、疑問として生じるのは、ワカタケルの銘が打たれている「鉄剣」、聖徳太子の画像でも紹介されている「太刀」を日本刀の定義に当てはめていいのかということです。もしも、古墳時代・飛鳥時代に製造された剣・太刀が日本刀の定義に該当するということであれば、参考文献を下に脚注を付与して欲しいですし、該当しないのであれば、日本刀の記事から記述を除去すべきでしょう。
  2. 「名称」について--欧陽修の「日本刀歌」が果たして、日本で製造された刀剣類のことを日本刀と呼ぶ初出なのかどうかの検証が不十分である。仮にそうであれば、その研究書を参考文献として脚注の付与が必要であるし、幕末以降であれば、欧陽修の記述を除去する必要があります。
  3. 「歴史」について--おそらく武士の台頭とともに、日本刀がいろいろな形を変遷しながら、日本の社会に根付いていったことだろうと思いますので、記述についてはほぼ問題ないと思いますが、どの文献をもとに現状の歴史節の記述をしたのか分かればいいと思います。
  4. 「製法」について--これも歴史と同様で、ほぼ問題ないと思うんですけれども、さて、どの文献を参照したのでしょうか。
  5. 「表記」について--「趣味的表記」以降、大丈夫ですか、この記述。独自研究の匂いがぷんぷんと漂ってきますけど……。
  • とまあざっと、気づいた点を記述してみました。FA/GA/A/B/Start/Stub/NAの7段階であらわすのであれば、参考文献がついているだけに、B程度の評価が妥当でしょうか。記事の大幅なブラッシュアップが必要でしょう。--Tantal 2009年12月4日 (金) 15:01 (UTC)[返信]
  • 反対 上記2名に言い尽くされた感があります。冶金工学、金属工学、日本史に関する専門の研究書などを元に記事のブラッシュアップが必要です。これだけ、長い記事なのに脚注が1桁とは。検証可能性を満たすべく、出直しが無難かと思います。--Wushi 2009年12月5日 (土) 00:57 (UTC)[返信]


(取り下げ)皆様方の反対多数ですので、Rokurokusanjin様からのご意見がなければ、この提案を取り下げとさせていただきたいと存じます。不慣れな事をしようとして皆様にご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありませんでした。--かぬま 2009年12月11日 (金) 10:27 (UTC)[返信]

(コメント)Rokurokusanjinさんの賛成票が撤回されない限り、取り下げは出来ません。念のため。--ikedat76 2009年12月12日 (土) 01:51 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。取り下げのルールについては一応存じ上げていたのですが、理解していないと誤解なさるような文章になってしまっていましたね。申し訳ありません。--かぬま 2009年12月12日 (土) 13:36 (UTC)[返信]
  • (賛成): 賛成画像の挿入などは、必ず必要。日本刀の歴史は、古く、もちろん武器として製作されたものであります。しかし、戦闘が行われない時代においては、鑑賞す る日本刀でありました。そのため、世界に類をみない、日本刀の研ぎ技術が進歩しました。これは、武器としてより、鑑賞もしくは、宝物としての扱いです。日 本刀を研ぐには、多くの砥石を用い研ぎ、鉄で作られた刀を、荒研ぎから始まり、なるめ工程まで、荒い砥石の傷を、きめの細かい砥石で砥石で入った傷を

砥石で消していき、最後は、鋼鉄で磨き上げ、日本刀の持つ刃文を、きらびやかに見せるための工程があります。 こ の技術は、武器としての日本刀には必要の無い、鑑賞のための日本刀の研ぎです。この鑑賞するための日本刀の研ぎは、熟練した技術が必要です。武器として日 本刀を用いる場合には、全く必要の無い工程です。そのため、世界の刀剣史上まれな研ぎの技術により、製作した、刀工の技術や感性を楽しむことの出来る、美 術品であります。美術品である以上画像の挿入は不可欠であります。しかし、写真のみでは、日本刀の本来の美しさは解りません。そのため、日本刀の刃文を写 し取った、押形という描写が必要です。しかし、これでも十分ではありません。もちろん、美術館などに展示してあるガラスケース入りの日本刀を見るだけで は、本当の鑑賞は出来ません。手に日本刀を持ち、白熱球の明かりで照らして透かすようにして見たり、地金の美しさを楽しまなくてはなりません。日本刀の鑑 賞にも知識が無ければ意味さえも解りません。地金の美しさ、刃文の美しさを楽しむのにも十分な学習と共に知識が必要です。日本の歴史の中で、武士の魂とも 言われた、鉄製で、錆びやすいの日本刀は、錆びさせぬように、鑑賞に値する美術品として保存され、そうやって大切に扱われ現代にまで数百年の時を超え現存 しているのです。もちろん、美術品としての価値の低い、日本刀も数多く現存しています。--信国末裔 2009年12月15日 (火) 11:21 (UTC)[返信]

  • (反対)『刀と首取り』(鈴木眞哉)、『日本刀』(小笠原信夫)を確認しました。現状では「百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている」とは言い難く、秀逸化には反対します。少なくとも刀剣目利や奈良刀の話は、日本刀の歴史を語る上で重要な要素であり、歴史の節に盛り込むべきでは無いでしょうか。また、内容面に関しても私が手に取った前述の書籍とはまったく異なることが書いてあったりして、独自研究なのか、別の書籍に見解の異なることが書かれていたのか判断できません。まずは既存の記事に明確な出典を付与することを希望します。--R.Lucy 2009年12月19日 (土) 07:48 (UTC)[返信]
  • (反対):賛成を撤回します。「日本刀」に関する記述そのものが、「秀逸な記事」に値するか疑問が生じました。文章校正に関しては「条件付で賛成」します。しかし、「百科事典において必ず説明されるべきことが全て説明されている」ことが果たして「日本刀」を説明する上で必要なのかどうなのか、疑問に感じます。研究者が賛成する最大公約数として日本刀を記述するのであれば、細かな歴史的経緯、製法等、内容に関して記述することは無理です。一例としては、一本の在銘刀(一例として古備前光忠)の時代、国を解釈するにしても、研究者によっては全く違う見解を示す場合もあります。全ての研究者の見解を一つ一つ明確な出典をつけて説明していけば、時代区分から何から何まで読む側からしてみれば読みにくいと私自身は考えました。「百科事典」の内容そのものも、著者によってまとめ方が異なります。例えば小笠原信夫は本間順治、佐藤貫一の弟子ですから、本間順治に準じたまとめ方をしております。日本刀における百科事典的な記述とは何か?出典を尽く明確化しつつも総花的な記述にならず、一つの文章として日本刀を解説する方法が私自身考えつかないので、賛成を撤回いたします。--Rokurokusanjin 2009年12月25日 (金) 05:51 (UTC)[返信]
  • (反対) :私は日本刀に関して全くの素人ですがこのWikipediaの日本刀の鋼材と刀身構造に関する記述は北朝鮮の国営放送と同じレベルの内容だと思っています。

これが秀逸な記事の対象となること自体が信じられない愚挙と言えます。紙面の関係で詳しい理由は避けますが、 先ず、考古学に参入した佐々木稔氏などの金属学者(御用学者は論外)の古代~中世のたたら製鉄の解明や鉄器類(含む日本刀)に使用された渡来鉄の分析などの史実を刀剣界及び刀剣専門家を自称する人達は一切無視しています(不勉強)。 現在稍々判明している新々刀と永代たたらのみを語り、本来新々刀=現代刀の解説と明示すべきところを恰も古刀期からの実態にスリ替えて世間を惑わして続け、古代から徳川鎖国まで活発に展開された大陸・半島との官民を問わない活発な環シナ海・環日本海貿易の実態などは全く視野に入らず、 古代から日本の地鉄はたたら製鉄で賄われていたという根拠のない錯覚を前提にして刀剣地鉄を語るなど・・・結果的に一種の詐欺行為を恥じることがありません。 又、日本刀は武器であるにも拘わらず、地刃や体配の美的要素、流派・刀匠の解説に力点が置かれ、肝心な性能や強度の考察は間違った認識でおざなりに触れているだけです。 「数打ち物」という侮蔑した捉え方に日本刀認識の偏狭さが如実に表れています。武器としての認識が完全に欠落しているからです。 私は地刃や流派の勉強をしていない(正確には敢えて美術刀剣界の情報を忌諱したというのが実態)のでその部分の論評は避けますが、地鉄や刀身構造一つを取っても現在のWikipediaの日本刀の解説は日本刀の実態を説明していないことは確かです。 他の方が言われているように、参考文献が少なすぎますし、その参考書の選定が偏狭過ぎます。 戦前の日本刀剣界、戦後の日刀保に関与した人達、或はそこから丸暗記教育を受けた人達の著述は大変失礼ですが「木を見て森を見ず」と言えます。 一昔前は、いい加減な日本刀解説でも通用したかも知れませんが、インターネット普及のお陰で様々な情報を得られるようになりました。 刀剣専門家と称する人達の主張がどうもおかしいと世の中が認知を始めています。かく言う私もその一人です。 そうした中で、美術刀剣界の組織や知名人の著述を頼りに参考書を安易に選定するという姿勢が既に考察力、思考力の停止と言えるでしょう。秀逸評価に反対する所以です。 --Orangutan0904 2010年1月6日 (水) 23:05 (UTC)[返信]

(反対) 私は東北地方A市の教育委員会で考古遺産の発掘と研究を担当している者です。同時に日本刀の収集と勉強をしてきました。直裁に言わせて頂きます。 このウィキペディアの日本刀の実質に関する記述は空虚の一言です。百科事典の要件を満たしているかどうかを論ずる以前の問題です。日本刀認識の根本から間違っています。その理由はここに書ききれませんので次のサイトをご覧下さい。http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/gunto_111.htm これは軍刀研究のサイトですが今や日本刀研究の新次元を拓いたサイトと言って良いでしょう。戦前の刀剣会、戦後の(財)日本美術刀剣保存協会を中心とする刀剣界と彼等の日本刀認識が如何なるものであるかを抉り出し、武器であった日本刀の実態を多角的に考察した真摯な論文です。 これを読めば、今までの日本刀の認識が如何に異様で日本刀の実態を惑わし続けていたかが理解できると思います。日本刀の実質に関する限り、このサイトの右に出る日本刀の解説書を私は知りません。 ウィキペディアの日本刀の解説は先ず日本刀認識の間違いに立脚するもので、客観性と論拠が完全に欠落しています。参考資料の拠り所が根本的に間違っています。武器として生まれた日本刀の実態解説と附帯的要素(美的側面、流派、刀工など)の解説は区別すべきです。 附帯的要素は極めて趣味的に流れますので必用なら別のウィキペディア項目を立てて述べるべきでしょう。これを偏重する余りに日本刀の本質を見失った訳ですから 「ノート日本刀」の"地鉄と刀身構造"、"昭和刀"の項目にも私と同じ見解を持つ方々がその間違いを指摘されています。前記サイトの論稿を私の見解に代えて秀逸な記事に反対する理由とさせて頂きます。--ほねつぎ 2010年1月14日 (木) 14:42 (UTC)[返信]


選考期間終了のため、今回のFA化は見送りとなりました。--Wushi 2010年2月21日 (日) 12:51 (UTC)[返信]