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竹崎八十雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹崎 八十雄(たけざき やそお、1875年(明治8年)10月5日 - 1950年(昭和25年)5月11日)は、日本の牧師で、教育者である。

1875年(明治8年)に熊本県熊本市に生まれた。1896年札幌農学校予科を卒業[1]し、米国スタンフォード大学哲学を専攻する。その後、カリフォルニア州バークレー市太平洋神学校を卒業し、海老名弾正の推薦で、札幌独立キリスト教会の牧師に就任する。1912年(明治45年)に内村鑑三が3度目の札幌伝道に行った時に、竹崎が教友会を全国的に組織しようと提案した。しかし、内村と教友会のメンバーによって拒否された。内村たちと意見が合わなくなり、1917年(大正6年)に札幌独立キリスト教会を辞任する。

1917年に再度留学し、イエール大学S.T.M.を取得する。1920年(大正9年)に同志社大学宗教主任になる。1923年(大正12年)に熊本の祖母竹崎順子が創設した熊本女学校(現、熊本フェイス学院高等学校)の校長に就任し、学校再建に尽力する。1949年2月に引退し、名誉校長になり、翌1950年死去する。

出典

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  1. ^ 札幌農学校一覧 明治36-39年分』札幌農学校、1907年3月、122頁。doi:10.11501/812781全国書誌番号:40041286https://dl.ndl.go.jp/pid/812781/1/142 

参考文献

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