コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「会田真一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m Bot作業依頼#Cite webの和書引数追加
 
(8人の利用者による、間の13版が非表示)
1行目: 1行目:
{{政治家
'''会田 真一'''(あいだ しんいち、[[1951年]][[2月2日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[茨城県]][[守谷市|守谷市長]]。市制施行前の守谷町時代から、連続6期24年にわたり首長を務めた。父は元守谷町長の会田源一郎。
| 人名 = 会田 真一
| 各国語表記 = あい しんいち
| 画像 =
| 画像説明 =
| 国略称 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1951|2|2}}
| 出生地 = [[茨城県]][[北相馬郡]]守谷町<br />(現:[[守谷市]])
| 没年月日 =
| 死没地 =
| 出身校 = [[中央大学]][[文学部]]
| 前職 =
| 現職 =
| 所属政党 =
| 称号・勲章 = [[旭日中綬章]]
| 親族(政治家)= 会田源一郎(父、元守谷町長)
| 配偶者 =
| サイン =
| ウェブサイト =
| サイトタイトル =
| 職名 = [[ファイル:Flag of Moriya Ibaraki.svg|25px|守谷市旗]] [[茨城県]][[守谷市|守谷市長]]
| 当選回数 = 4回(市制施行時含む)
| 就任日 = [[2002年]][[2月2日]]
| 退任日 = [[2016年]][[12月5日]]
| 職名2 = 北相馬郡守谷町長
| 当選回数2 = 3回
| 就任日2 = [[1992年]][[12月6日]]
| 退任日2 = [[2002年]][[2月1日]]
| 職名3 = 守谷町議会議員
| 当選回数3 = 2回
| 就任日3 = [[1980年]]3月
| 退任日3 = [[1988年]]2月
}}

'''会田 真一'''(會田 真一<ref name="soumu2023">{{Cite web|和書| url = https://www.soumu.go.jp/main_content/000879351.pdf | title = 令和5年春の叙勲勲章受章者名簿 | page = 25 | publisher = [[総務省]] | accessdate = 2023-05-04}}</ref><ref name="cao2023">{{Cite web|和書| url = https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/r05haru/meibo_jokun/kyokujitsu-chujusho.pdf | title = 令和5年春の叙勲 旭日中綬章 | publisher = [[内閣府]] | accessdate = 2023-05-04}}</ref><ref group="注">苗字の「會」の表記は正確には異体字の「㑹」。</ref>、あいだ しんいち、[[1951年]]([[昭和]]26年)[[2月2日]]<ref>『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、79頁。</ref> - )は、[[日本]]の[[政治家]]。元[[茨城県]][[守谷市|守谷市長]]。

市制施行前の守谷町時代から、連続6期24年にわたり首長を務めた。父は元守谷町長の[[会田源一郎]]


== 来歴 ==
== 来歴 ==
[[茨城県]][[守谷]]に生まれる。守谷町立高野小学校、守谷町立守谷中学校、[[茨城県立水海道第一高等学校]]、[[中央大学]][[文学部]]出身<ref>[http://www.dot-jp.or.jp/news/2998.html 会田 真一 茨城県守谷市長 「夢を持とう」]NPO法人ドットジェイピー</ref>。
茨城県[[北相馬郡]]守谷町(当時。現在の[[守谷]]に生まれる。守谷町立高野小学校、守谷町立守谷中学校、[[茨城県立水海道第一高等学校・附属中学校|茨城県立水海道第一高等学校]]、[[中央大学]][[文学部]]出身<ref>[http://www.dot-jp.or.jp/news/2998.html 会田 真一 茨城県守谷市長 「夢を持とう」]NPO法人ドットジェイピー</ref>。


1980年(昭和55年)の守谷町議会議員選挙で初当選し、町議を2期務める。
[[1980年]][[昭和]]55年)の守谷町議会議員選挙で初当選し、町議を2期務める。
1992年(平成4年)に行われた守谷町長選挙で当選し、2002年(平成14年)の守谷市制施行後も連続して当選を重ねた。6期にわたる連続就任は、市長および東京都特別区長としては全国2位タイであった(平成27年12月31日当時)<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000428199.pdf 地方公共団体の長の連続就任回数調]総務省</ref>。
[[1992年]][[平成]]4年)に行われた守谷町長選挙で当選し、[[2002年]](平成14年)の守谷市制施行後も連続して当選を重ねた。6期にわたる連続就任は、市長および東京都特別区長としては全国2位タイであった(2015年12月31日当時)<ref>[https://www.soumu.go.jp/main_content/000428199.pdf 地方公共団体の長の連続就任回数調]総務省</ref>。


2016年(平成28年)11月20日に行われた市長選には出馬せず引退した<ref>[https://www.sankei.com/region/news/161115/rgn1611150051-n1.html 茨城・守谷市長選に4氏立候補 市議補選も4人の争い]『産経新聞』</ref>。
[[2016年]](平成28年)[[11月20日]]に行われた市長選には出馬せず引退した<ref>[https://www.sankei.com/article/20161115-C6FZSIRQU5LK3PVW6OYT5QYBQA/ 茨城・守谷市長選に4氏立候補 市議補選も4人の争い]『産経新聞』</ref>。

[[2022年]]([[令和]]4年)[[3月16日]]、守谷市名誉市民に選出された<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shikumi/profile/20anniversary/hyosho/220509.html | title = 名誉市民 守谷市公式サイト-Moriya City | publisher = [[守谷市]] | accessdate = 2023-05-01}}</ref>。

[[2023年]](令和5年)[[4月29日]]、[[旭日章|旭日中綬章]]を受章した<ref name="soumu2023" /><ref name="cao2023" /><ref>『官報』号外第93号、令和5年5月1日</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
{{Reflist}}


{{守谷市長}}
{{Japan-politician-stub}}
{{Japan-politician-stub}}
{{デフォルトソート:あいた しんいち}}
{{先代次代|[[ファイル:Flag of Moriya Ibaraki.svg|25px]] [[茨城県]][[守谷市|守谷市長]] |1992年 - 2016年|[[大和田仁]]|[[松丸修久]]}}
{{DEFAULTSORT:あい しんいち}}
[[Category:守谷市長]]
[[Category:守谷市長]]
[[Category:茨城県の市町村議会議員]]
[[Category:旭日中綬章受章者]]
[[Category:茨城県出身の人物]]
[[Category:守谷市議会議員|町あいた しんいち]]
[[Category:茨城県立水海道第一高等学校出身の人物]]
[[Category:中央大学出身の人物]]
[[Category:中央大学出身の人物]]
[[Category:茨城県出身の人物]]
[[Category:1951年生]]
[[Category:1951年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2023年11月13日 (月) 12:31時点における最新版

会田 真一
あいだ しんいち
生年月日 (1951-02-02) 1951年2月2日(73歳)
出生地 茨城県北相馬郡守谷町
(現:守谷市
出身校 中央大学文学部
称号 旭日中綬章
親族 会田源一郎(父、元守谷町長)

当選回数 4回(市制施行時含む)
在任期間 2002年2月2日 - 2016年12月5日

北相馬郡守谷町長
当選回数 3回
在任期間 1992年12月6日 - 2002年2月1日

守谷町議会議員
当選回数 2回
在任期間 1980年3月 - 1988年2月
テンプレートを表示

会田 真一(會田 真一[1][2][注 1]、あいだ しんいち、1951年昭和26年)2月2日[3] - )は、日本政治家。元茨城県守谷市長

市制施行前の守谷町時代から、連続6期24年にわたり首長を務めた。父は元守谷町長の会田源一郎

来歴

[編集]

茨城県北相馬郡守谷町(当時。現在の守谷市)に生まれる。守谷町立高野小学校、守谷町立守谷中学校、茨城県立水海道第一高等学校中央大学文学部出身[4]

1980年昭和55年)の守谷町議会議員選挙で初当選し、町議を2期務める。 1992年平成4年)に行われた守谷町長選挙で当選し、2002年(平成14年)の守谷市制施行後も連続して当選を重ねた。6期にわたる連続就任は、市長および東京都特別区長としては全国2位タイであった(2015年12月31日当時)[5]

2016年(平成28年)11月20日に行われた市長選には出馬せず引退した[6]

2022年令和4年)3月16日、守谷市名誉市民に選出された[7]

2023年(令和5年)4月29日旭日中綬章を受章した[1][2][8]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 苗字の「會」の表記は正確には異体字の「㑹」。

出典

[編集]
  1. ^ a b 令和5年春の叙勲勲章受章者名簿”. 総務省. p. 25. 2023年5月4日閲覧。
  2. ^ a b 令和5年春の叙勲 旭日中綬章”. 内閣府. 2023年5月4日閲覧。
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、79頁。
  4. ^ 会田 真一 茨城県守谷市長 「夢を持とう」NPO法人ドットジェイピー
  5. ^ 地方公共団体の長の連続就任回数調総務省
  6. ^ 茨城・守谷市長選に4氏立候補 市議補選も4人の争い『産経新聞』
  7. ^ 名誉市民 守谷市公式サイト-Moriya City”. 守谷市. 2023年5月1日閲覧。
  8. ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
');