「巨大病院が動いた!阪大病院移転」の版間の差分
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'''巨大病院が動いた! 阪大病院移転'''(きょだいびょういんがうごいた! はんだいびょういんいてん)は[[1993年]][[9月24日]]に[[朝日放送|ABCテレビ]]で放送された近畿ローカルの特別番組である。 |
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[[1993年]][[9月24日]] 14:00-14:54 |
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* ナレーション [[道上洋三]](ABCアナウンサー) |
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道上独特の淡々とした語りがマッチしていた。 |
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[[画像:Fukushima-1chome-Project-2006Nov.jpg|thumb|200px|2006年11月撮影。右側の高層ビルは大阪中之島合同庁舎。]] |
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2007年現在の阪大病院跡地は、東側に大阪高検・大阪地検などが入居する[[大阪中之島合同庁舎]]、中央部に高層マンション(建設中)、西側に朝日放送新社屋(建設中・2008年移転予定)となっている。 |
[[2007年]]現在の阪大病院跡地は、東側に大阪高検・大阪地検などが入居する[[大阪中之島合同庁舎]]、中央部に高層マンション(建設中)、西側に朝日放送新社屋(建設中・2008年移転予定)となっている。番組を制作し放送した朝日放送が、旧阪大病院跡地に移転する事になった。 |
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2008年7月29日 (火) 04:55時点における版
巨大病院が動いた! 阪大病院移転(きょだいびょういんがうごいた! はんだいびょういんいてん)は1993年9月24日にABCテレビで放送された近畿ローカルの特別番組である。
概要
大阪大学医学部附属病院が福島1丁目(旧・堂島浜通)へ、大阪大学医学部が中之島から吹田市山田丘へ移転するまでを描いた記録。1993年1月から7月のオープンまでをドキュメンタリーで放送した。大学の附属病院の引越しまでを取材するため、大阪大学医学部附属病院が全面的に撮影に協力した。
なお、当時の院長・看護師・医師・患者等が映っているため、肖像権の問題で再放送及びビデオソフト化はされていない。
放送日時
出演
- ナレーション 道上洋三(ABCアナウンサー)
病院移転
時代の最先端に乗り遅れた旧阪大病院
ロケ地だった旧阪大病院は、中之島から移転した1924年から1993年6月まで福島(旧町名:堂島浜通)にあった。しかし、古い病院ゆえに多くの問題点を抱えており、時代の最先端にも乗り遅れていた。建物の増改築等で構造が複雑化し、建物の中には明治から大正時代にかけての建物が存在していた事から病院内は迷路のような状態であった。
最新鋭の医療システムも無く、当時はほとんどの新しい病院で採用されていた電子カルテもなく、更にカルテも手書き作業であり、検査も順番通りに手書きの検査用紙を使うなど混雑していた。また、診察待ちも最大3時間、病院内で薬をもらう待ち時間だけでも1〜3時間半もかかり、当時の医師や患者、看護師、会計にとっては約1日を病院での診察等に費やした様である。一時、建て替えながら業務をする案があったが、末期の時点で医学部が吹田へ移った事もあり、吹田へ移転する形となった。吹田へ移転後、しばらく建物は解体されなかったが、その後解体された。
吹田移転後、最先端の病院へ変身
吹田移転後は、再診受付を自動受付機で対応し、同時に診察室でのパソコンによるオーダリングシステムや電子カルテも導入し、診察と同時に薬の処方箋、検査箋や入院時の食事箋なども入力出来たり、会計での算定もスピード化されたりする等、最先端の設備が整えられ、変身を遂げた。診察や薬の待ち時間も最短で10分と緩和された。
跡地の再開発
2007年現在の阪大病院跡地は、東側に大阪高検・大阪地検などが入居する大阪中之島合同庁舎、中央部に高層マンション(建設中)、西側に朝日放送新社屋(建設中・2008年移転予定)となっている。番組を制作し放送した朝日放送が、旧阪大病院跡地に移転する事になった。