「おとなになれなかった弟たちに…」の版間の差分
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作者が[[国民学校]](小学校)4年生のとき実弟(ヒロユキ)が生まれた。当時、日本は[[太平洋戦争]]の真っ最中で、[[配給 (物資)|配給]]も少なく食料難であった。戦争が酷く、作者一家は田舎へ[[疎開]]することになった。疎開者には配給が受けられず、実母は畑仕事を手伝ったり、自分の着物と食料を交換してもらったりして生活していた。母は自分はあまり食べずに作者たちに食べさせていたので |
作者が[[国民学校]](小学校)4年生のとき実弟(ヒロユキ)が生まれた。当時、日本は[[太平洋戦争]]の真っ最中で、[[配給 (物資)|配給]]も少なく食料難であった。戦争が酷く、作者一家は田舎へ[[疎開]]することになった。疎開者には配給が受けられず、実母は畑仕事を手伝ったり、自分の着物と食料を交換してもらったりして生活していた。母は自分はあまり食べずに作者たちに食べさせていたのでお乳が出なくなってしまった。弟はミルクが食料であった。お乳が出ない母は着物とミルクを交換してもらっていたのだが、とうとう、交換する着物がなくなってしまった。後日、栄養が悪く弟は[[栄養失調]]にかかり死んでしまった。そのとき疎開先のおじいさんに弟の遺体を入れる棺(かん)を作ってもらい納棺したとき、棺の弟が納まらなかった。栄養状態の悪い中、成長していたのを知った母ははじめて作者の前で涙を流した。 |
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== タイトルについて == |
== タイトルについて == |
2009年10月14日 (水) 08:14時点における版
『おとなになれなかった弟たちに……』は、米倉斉加年の絵本。1983年偕成社より刊行。
あらすじ
作者が国民学校(小学校)4年生のとき実弟(ヒロユキ)が生まれた。当時、日本は太平洋戦争の真っ最中で、配給も少なく食料難であった。戦争が酷く、作者一家は田舎へ疎開することになった。疎開者には配給が受けられず、実母は畑仕事を手伝ったり、自分の着物と食料を交換してもらったりして生活していた。母は自分はあまり食べずに作者たちに食べさせていたのでお乳が出なくなってしまった。弟はミルクが食料であった。お乳が出ない母は着物とミルクを交換してもらっていたのだが、とうとう、交換する着物がなくなってしまった。後日、栄養が悪く弟は栄養失調にかかり死んでしまった。そのとき疎開先のおじいさんに弟の遺体を入れる棺(かん)を作ってもらい納棺したとき、棺の弟が納まらなかった。栄養状態の悪い中、成長していたのを知った母ははじめて作者の前で涙を流した。
タイトルについて
- 「おとなになれなかった弟たちに……」と「弟たち」と複数形にしている理由は、作者の弟のように栄養失調が原因でなくなった、弟と同じような思いをした乳幼児がたくさんいるからである。
- 「……」とあるのは戦争で亡くなった弟たちに対する鎮魂歌(レクイエム)であることを意味している。
作品中の弟の名前のカタカナ表記
弟の名前は「ヒロユキ」。ヒロシマ・ナガサキ(被爆地)と表記するのと同じ。
あとがきについて
『戦争ではたくさんの人が死にます。そして老人、女、子どもと弱い人間から飢えて死にます。私はそのことをわすれません。(中略)そのことを私たちはわすれてはならないと思います。そのことをわすれて、私たちの平和は守られないのでしょ』とある。作品の最後にも『ひもじかったことと弟の死は一生わすれません。』とある。作者の戦争に対する怒り、弟を失った無念な思いが述べられている。
教科書での採用
この作品は1987年(昭和62年)度採用の版から現行版にかけておよそ20年以上、光村図書出版の中学校1年生の国語教科書で採用されている。作品の採用の意図として「表現に込められた、登場人物の心情や作者の思いを読み取る」「時代や状況の中で自分を見つめていくことの大切さを考える」「作品の中で生きる表現」と挙げている。(2006年採用『中学校 国語 学習指導書1上』光村図書より)
「僕たち子供を必死で守ってくれる母の顔は、美しいです。」という一文があり、教科書にもその形で載っている。このような形容詞に「です」の下接した形が国語の教科書に載っている点でも着目される。
2006年(平成18年)度から2009年(平成21年)度まで採用の版の指導CDの作品およびあとがき(資料)の朗読は作者自身が行っている。