ノート:おとなになれなかった弟たちに…
ノートに書くべきではないのかもしれませんが、米倉斉加年著氏の弟の名前が分かる方は直接明記していただけませんか?--Tsucchy 2011年10月13日 (木) 09:00 (UTC)
参考資料
[編集]『おとなになれなかった弟たちに……』に関して、絵本の紹介とは別のことで以下の記述を見つけました
息子(が生まれて-引用者註)から十一年後に娘が生まれた。その娘が1999年に子を産んだ。男の子だった。授乳している娘の姿に戦時中の母と弟の面影を見る。弟は敗戦を半月後に控えた七月二十八日に疎開先で死んだ。栄養失調だった。母は私や妹に食べさせ自分は食べなかった。母の乳は出なくなった。配給のミルクは一缶。私は甘いミルクを盗み飲みした。弟は死んだ。-引用 日本経済新聞 2001年2月3日朝刊32面 |
とあります。日経の記事は『おとなになれなかった弟たちに……』の紹介ではなく、米倉氏の半生記であります。同じ記述は5年後に発行された 米倉斉加年 著『いま、普通に生きる』新日本出版社、2006年、p.20-21にもあります。
ですので『おとなになれなかった弟たちに……』の内容はほぼ事実と考えて良いでしょう。細かなことは多小違うかも知れませんが、もしも事実と違うことがあっても些少なことと言っても差し支えないでしょう。西郷 竹彦 監修、文芸教育研究協議会 編集『文芸研教材研究ハンドブック. 中学校 1』明治図書出版、1993年を読んでしまって、ちょっとやる気になったので、大幅に改稿したいと思っています。でも、核心を書いてしまうと、中学生が自分で考えると言う学校教育の根幹を犯してしまうので、ちょっと悩んでいます。--ぱたごん 2011年10月24日 (月) 12:45 (UTC)
- ちょっとついでがございましたので、原典(実に19版!)を参照してみました。あまり多く「盛ってある」印象はありませんが、あとがきなどでは特に実話や否やについて言及はされていませんでした。まあ編集者側で判断してしまうのは独自研究ですから、その辺りは資料待ちと致しまして。何分私生活が多忙でしてこれ以上の調査は棚上げとなりますが、さし当たって項目名は変更の必要がありそうです。表紙では四点リーダー一つ、奥付では三点リーダー一つ、出版社公式も三点リーダー一つですので、細かい所ですが、三点リーダー一つが適切ではないでしょうか。--Hman 2011年10月25日 (火) 09:25 (UTC)
- リーダーの数は、私が見ている2001年7月の刷では、カバー表では5つ、カバー背表紙では4つ、表紙では4つ、奥付けでは3つですね。出版社と著者はリーダーの数にはあまりこだわっていないようですが、リーダー6つは見当たりません。なのでリーダーは3つか4つだと私も思います。3つか4つのどっちかというとどっちでもよさそうです。なのでHmanさんの提案に賛成します。--ぱたごん 2011年10月25日 (火) 10:01 (UTC)
- 可能性としてはアリとの様ですので、改めて正規の手順で改名を提案させて頂きました。--Hman 2011年10月25日 (火) 10:15 (UTC)
- リーダーの数は、私が見ている2001年7月の刷では、カバー表では5つ、カバー背表紙では4つ、表紙では4つ、奥付けでは3つですね。出版社と著者はリーダーの数にはあまりこだわっていないようですが、リーダー6つは見当たりません。なのでリーダーは3つか4つだと私も思います。3つか4つのどっちかというとどっちでもよさそうです。なのでHmanさんの提案に賛成します。--ぱたごん 2011年10月25日 (火) 10:01 (UTC)
改名提案
[編集]本記事を おとなになれなかった弟たちに…… から おとなになれなかった弟たちに… へ改名することを提案します。上記節で私およびぱたごん氏が述べております通り、三点リーダー2つよりは、1つの方がより適切であると思われるからです。なお、Wikipedia:表記ガイドでリーダー2つが禁止されている訳ではありませんので、あくまで一般的な表記にどちらが近いかのお話となります。--Hman 2011年10月25日 (火) 10:15 (UTC)
- 賛成 賛成します。少なくとも当該書籍では「……」は使われていません。おとなになれなかった弟たちに…で良いと思います。--ぱたごん 2011年10月25日 (火) 10:26 (UTC)
- (報告)提案から10日、異論もなく改名しました--ぱたごん 2011年11月5日 (土) 04:05 (UTC)
あとがき節について
[編集]IP氏のこの編集ですが、『おとなになれなかった弟たちに…』のあとがきには「私の弟が死んだ太平洋戦争は、日本がはじめた戦争なのです。そして朝鮮、韓国、中国、東南アジアの国々、南方諸島の人たちをどんなに苦しめたことでしょう。(中略)そのことを私たちはわすれてはならないと思います。-引用 米倉斉加年『おとなになれなかった弟たちに…』あとがき」とあります。それは一般的なイメージでのアジア諸国のことでは有りません。明らかに日本が支配しあるいは軍隊を送り込んだ国のことなのです。米倉氏が言いたかったのは「ヒロユキは日本にだけいるわけではない。日本が軍隊を送り込んだ国々にも大勢のヒロユキはいる。そのことを忘れて平和は無い」ということです。何のために作者が弟の名を「ヒロユキ」とカタカナ書きしたのかを考えれば(ヒロシマ・ナガサキは人類全体の課題であるという事と同じ)こういう結論になるかとおもいます。
で、いかがでしょう? 『作者はあとがきにおいて「戦争ではたくさんの人が死にます。弱い人間から飢えて死にます。でももっとわすれてはならないことがあります。私の弟が死んだ戦争は日本がはじめた戦争なのです。そして日本が軍隊を送り込んだ国の人たちは私達以上に苦しみ悲しんだことでしょう。そのことををわすれて私たちの平和は守られないでしょう。」としている。』としてはどうでしょうか?--ぱたごん(会話) 2012年10月10日 (水) 10:06 (UTC)
- えーさし当たり、ご説明を。私が「特定アジア」と致しましたのは、単に「アジア」ではトルコからこちら全てが含まれかねず、日本に深い知識を持たない読者にミスリードを与える可能性があることに配慮したものです。しかしそう言った、日本に詳しくない方の誤解を防ぐ意味からは、やや直裁的ながら原文通り、朝鮮・韓国・中国と明記した方がよろしいのかもしれませんね。まあその辺りはさておき、私の記述方針にコンセンサスが得られないのであれば、特に拘泥は致しません。除去して頂いても結構ですし、変更して頂いても結構です。こういうものの読み取り方については、分別あるオトナであればおおよそ誰の目にも異論がなかろう場合についてのみ、認められるものですから。しかしながら、引用(または引用に見えるもの)を行うのであれば、これは最大限忠実に行わねばなりませんので、「日本が軍隊を送り込んだ国の人たち」となさられるのは、いけませんでしょう。朝鮮半島についてはそう見なされるものでもありませんし・・・。--Hman(会話) 2012年10月10日 (水) 11:34 (UTC)
- ?1894年以来、何度も朝鮮半島には日本が軍隊を送り込んでいると思いますが、この辺はいろいろ異論が出る事は予想できます。それに引用(要約)は正確にしなければならないのはご指摘どおりです。それでは原文どおり『作者はあとがきにおいて「戦争ではたくさんの人が死にます。弱い人間から飢えて死にます。でももっとわすれてはならないことがあります。私の弟が死んだ戦争は日本がはじめた戦争なのです。そして朝鮮、韓国、中国、東南アジアの国々、南方諸島の人たちは私達以上に苦しみ悲しんだことでしょう。そのことををわすれて私たちの平和は守られないでしょう。」としている。』ではいかがでしょう?--ぱたごん(会話) 2012年10月10日 (水) 12:23 (UTC)
- ええ。解釈にぶれもあるでしょうし、そこはやめておきましょう。・・・まあ何れにいたしましても、引用を行うのであれば正確に行くのでしょうから、直接的には関係の無い話でもありますし。私は長い引用には踏み切れなかったのですが、長さ自体余り変わっていないと言えばそうですし、恐らく許される範囲ではあると思います。--Hman(会話) 2012年10月10日 (水) 12:32 (UTC)
- ?1894年以来、何度も朝鮮半島には日本が軍隊を送り込んでいると思いますが、この辺はいろいろ異論が出る事は予想できます。それに引用(要約)は正確にしなければならないのはご指摘どおりです。それでは原文どおり『作者はあとがきにおいて「戦争ではたくさんの人が死にます。弱い人間から飢えて死にます。でももっとわすれてはならないことがあります。私の弟が死んだ戦争は日本がはじめた戦争なのです。そして朝鮮、韓国、中国、東南アジアの国々、南方諸島の人たちは私達以上に苦しみ悲しんだことでしょう。そのことををわすれて私たちの平和は守られないでしょう。」としている。』ではいかがでしょう?--ぱたごん(会話) 2012年10月10日 (水) 12:23 (UTC)