「ジェレミー・リン」の版間の差分
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{{中華圏の人物 |
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2012年2月17日 (金) 13:56時点における版
ニューヨーク・ニックス No.17 | |
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ポジション | ポイントガード |
基本情報 | |
国語 | 林書豪 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1988年8月23日(36歳) |
出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
身長 | 191cm (6 ft 3 in) |
体重 | 91kg (201 lb) |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2010年 ドラフト外 |
選手経歴 | |
2010-11 2010-2011 2011-2012 2012 2012- |
ゴールデンステート・ウォリアーズ → リノ・ビッグホーンズ ニューヨーク・ニックス →エリー・ベイホークス エリー・ベイホークス ニューヨーク・ニックス |
Stats Basketball-Reference.com | |
林書豪 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 林書豪 |
簡体字: | 林书豪 |
拼音: | Lín Shūháo |
和名表記: | りん しょごう |
発音転記: | リン・シューハウ |
英語名: | Jeremy Lin(ジェレミー・リン) |
ジェレミー・リン(Jeremy Lin)ことジェレミー・シューハウ・リン(Jeremy Shu-How Lin,中国語: 林書豪、1988年8月23日 - )はアメリカ合衆国のプロバスケットボール選手。北米男子プロバスケットボールリーグNBAのニューヨーク・ニックスに所属している。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。パロアルト高校卒業。マサチューセッツ州ハーバード大学の卒業。NBA初の東洋系アメリカ人二世選手である。
生い立ち
カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ、パロアルトにて育つ。幼少期は地元のYMCAで兄弟とともにバスケットボールをプレイした。
高校
高校はカリフォルニア州のパロアルト高校に進学。キャプテンを務めた三年生時にチームはカリフォルニアのCIFディヴィジョンで32勝1敗を記録した。リンは平均15.1ポイント、7.1アシスト、6.2リバウンド、5.0スティールでディヴィジョン2の1stチームに選出された。
大学
リンは自身のプレイのハイライトを録画したDVDを全てのアイビー・リーグの大学、カリフォルニア大学バークレー校、スタンフォード大学、そしてリンの憧れであったカリフォルニア大学ロサンゼルス校などに送ったがパシフィック・テン・カンファレンスの大学は彼にウォーク・オン(スポーツ奨学金以外での入学)を望んだ。ハーバード大学とブラウン大学は彼のバスケットボールチームでのプレイを保証したがアイビー・リーグの大学にスポーツ奨学金の制度はなかった。最終的にリンはハーバード大学への入学を選ぶ。(この件に関してゴールデンステイト・ウォリアーズのオーナーの一人でスタンフォード大学のファンでもあるジョー・ラコブは「スタンフォード大学がリンをリクルートしなかったのは実に愚かなことだった。少年(リン)はすぐそこにいたというのに気づいていなかったのだから。」と述べている。)
リンは2007-2008年の2年生時にオールアイビーリーグでセカンドチームに選ばれている。3年生時には27得点8アシスト6リバウンドの活躍で、82-70で全米ランク17位のボストンカレッジを破っている。(その3日前にボストンカレッジは全米1位のノースカロライナ大学を破っている。)
4年生時は平均16.4得点、4.4リバウンド、4.5アシスト、2.4スティール、1.1ブロックを記録しオールアイビーリーグのファーストチームに選ばれる。また、ジョンウッデン賞にもノミネートされた。 リンはアイビーリーグで初めて1450得点、450リバウンド、400アシスト、200スティール以上を記録した選手としてキャリアを終えた。(リンの記録は1483得点、487リバウンド、406アシスト、225スティール。)
リンは3.1のGPAで卒業した。
NBAキャリア
ドラフト
仮にドラフトされていれば、アイビー・リーグからドラフトされるのは1995年の2巡目で指名されたペンシルベニア大学のジェローム・アレン以来となるはずであった。アイビー・リーグの選手が最後にNBAでプレイしたのは2003年のクリス・ダドリー(イェール大学)であり、ハーバード大学出身となれば1954年のエド・スミスにまでさかのぼる。
結局2010年のドラフトでは指名されなかったが8チームがトライアウトに招待した。ところがリンは「トライアウトは1オン1、2オン2、3オン3などがメインで、それでは自分の良さが出ない。」として参加しなかった。その後サマーリーグに参加し、ダラス・マーベリックス、ロサンゼルス・レイカーズおよびいくつかの東カンファレンスのチーム(名前は明らかにされていない)から契約を提示されたが、最終的に「自分のホームタウンでプレイしたい。」としてゴールデンステイート・ウォリアーズと契約した。
ゴールデンステート・ウォリアーズ
サンフランシスコ沿岸はアジア系アメリカ人が多く、リンは熱狂的に歓迎された。初めて出場した時にはリンがボールに触れる度にオベーションをもって会場が盛り上がり、地元の新聞紙は「カルト的なファンがいた」評している。リン自身も「とても感動した。決して忘れられないだろう。」とコメントしている。
2011年の12月9日にウォリアーズはフリーエージェントとなるデアンドレ・ジョーダンの獲得を狙い、サラリーキャップをあける目的でリンを解雇する。 その後、ヒューストン・ロケッツと契約するが、、2011-12年シーズンが始まる前に解雇される。
ニューヨーク・ニックス
その後ニューヨーク・ニックスと契約したがほどなくDリーグ行きを命じられる。その後Dリーグではトリプルダブルを記録するなど順調な活躍をし、1月23日にはニックスのロスターに復帰する。2012年2月4日の対ニュージャージー・ネッツ戦で36分の出場時間を与えられると、リンはチーム最多となる25得点および7アシストにターンオーバーはわずか1という高いパフォーマンスをみせる。二日後の対ユタ・ジャズ戦でキャリア初のスターターとして出場すると28得点8アシスト、続くワシントン・ウィザーズ戦ではダンクシュートを含む23得点10アシストでキャリア初のダブルダブルを記録。さらに続くロサンゼルス・レイカーズ戦ではキャリアハイ(そしてチームのシーズンハイ)となる38得点7アシストという大爆発で勝利。カーメロ・アンソニーとアマーレ・スタウダマイアー不在間のチームを全勝に導き、現在チームは7連勝を記録している。
2月6日(月)から2月12日(日)までに行われた試合を対象としたプレイヤー・オブ・ザ・ウィークに東カンファレンスから選出され、各紙は"Lin-Sanity"(Linと"尋常でない"という意味を持つ単語の"Insanity"をかけた造語)と大きく報道している。
突然の大活躍をうけ、オールスターゲームのライジング・スターズ・チャレンジへの出場が急遽決定した。
キャリアハイ
- 38得点。2012年2月11日。対ロサンゼルス・レイカーズ戦。
- 13アシスト。2012年2月15日。対サクラメント・キングス戦。
- 6リバウンド。2012年2月12日。対ミネソタ・ティンバーウルブズ戦。
- 3スティール。2012年2月12日。対ミネソタ・ティンバーウルブズ戦。
主な記録
- 初先発出場から2試合連続で20得点以上。(2003年のレブロン・ジェームズ以来。NBAの歴史でも6人しか達成していない。)
- 初先発出場から最初の3試合で89得点、4試合で109得点、5試合で計136得点。(それぞれNBA記録。)
- 初先発出場から最初の6試合全てで20得点7アシスト以上。(NBA初。)
その他
- リンは一週間で25点→28点→38得点と、わずか一週間でキャリアハイを3度更新するという珍しい記録も残した。
- 両親は台湾出身(身長はともに168cm)であるが外祖父母は中国出身である。リン自身はYouTubeのインタビューで「自分が中国人であることを誇りに思う。両親が台湾人であることも誇りに思う。」としている。そのためより正確にリンのルーツを表現するならば中国/台湾系二世アメリカ人であると言える。
- 兄と弟がおり、弟はハミルトン・カレッジでバスケットボールをプレイしている。
- 台湾代表チームから誘いがあったが「自分が台湾を代表するべきかどうかまだ判断しかねる」と返事を保留している。
- 敬虔なクリスチャンでもあり、いつかは牧師としてNPO活動を助けたり、地域共同体のために働きたいと語っている。
- 「人種的な差別も多少なりはあった。自分が違う人種であればもっと違った評価を受けていたと思う」とも語っている。具体的には大学入学にあたって(高校時代の成績からすれば得られたであろう)スポーツ奨学金が得られなかったことや、大学時代に対戦相手大学の体育館で「今日ここでバレーボールの試合はないよ」(暗に黄色人種がバスケットボール選手のはずがないという意味)と言われたことがあるという。