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2022年5月3日 (火) 12:45時点における版
つぼいすなお 坪井直 | |
---|---|
生誕 |
1925年5月5日 日本・広島県音戸町 |
死没 |
2021年10月24日(96歳没) 日本・広島県広島市 |
出身校 | 広島高工 |
職業 | 元中学校数学教諭、元中学校校長 |
肩書き |
日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 広島県原水爆被害者団体協議会 理事長 |
受賞 | 第23回 谷本清平和賞(2011年) |
栄誉 | 広島市名誉市民[1] |
坪井 直(つぼい すなお、1925年5月5日 - 2021年10月24日)は、日本原水爆被害者団体協議会代表委員[2]。広島県原水爆被害者団体協議会理事長[2]。広島市名誉市民[3][4][5]。元中学校教諭。
人物
- 1925年、広島県音戸町(現・呉市)生まれ[6]。
- 広島市に原爆が投下された1945年8月6日、広島工専(現在の広島大学工学部)への通学途中、爆心地から1.5kmの地点で直接被爆し、顔や両腕に大やけどを負いながら生き延びた(原爆投下から3時間後、中国新聞カメラマン松重美人が御幸橋西詰めの欄干付近を撮影した写真に、救援を待ちながら坐っている坪井の姿が写っている)[7]。NHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日放送)でその時の様子を語っている。
- 1986年に広島市立城南中学校を最後に教員(第4代校長[8])を定年退職。
- その後、数々の非核運動に参加。
- 2000年から日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員[6]。
- 2004年から広島県原爆被害者団体協議会(県被団協)理事長[6][11]。
- 2011年、第23回谷本清平和賞を受賞[12]。
- 2016年5月27日、広島市を訪問した安倍総理・オバマ大統領と、広島平和記念公園にて握手し言葉を交わした[13](バラク・オバマの広島訪問)。
- 2018年4月5日、広島市から名誉市民の称号を贈られた[3][4][5]。
- 2019年1月、坪井の高齢により理事長代行の役職が新設され、箕牧智之副理事長が就任[14][15]。
- 2021年10月24日、貧血による不整脈のため広島市内の病院で死去[16][17]。96歳没[18][19][20][21]。10月27日、岸田文雄首相が哀悼の意を示した[22][23]。
- 2021年12月22日、広島平和記念資料館メモリアルホール(広島市中区)で広島県被団協主催による「お別れ会」が開かれた[24]。広島県被団協理事長 箕牧智之と日本原水爆被害者団体協議会事務局長 木戸季市があいさつを行った[24]。広島県知事 湯崎英彦や広島市長 松井一実など約400人が参列し、坪井の遺影に花を手向けた[24]。岸田文雄首相は「残された我々は、坪井さんの思いを胸に刻み、いつの日か良い報告ができるように全力で前へ進んで参ります」との弔電を寄せた[24]。
出演
テレビ
- 100年インタビュー「坪井直」(2007年8月2日、NHK BSHi)[25]
- WATCH〜真相に迫る〜『あきらめない〜被爆者・坪井直90歳』(2015年3月28日、広島テレビ)
- NHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日、NHK総合)
- NEXT 未来のために『オバマと会った被爆者』(2016年8月20日、NHK総合)
- ドキュメント広島『ピカドン先生、生きる』(2019年5月26日25:01-25:31、広島ホームテレビ)30分
- ドキュメント広島『ピカドン先生、令和も生きる』(2019年12月30日あさ6:00-7:00、広島ホームテレビ)60分
- クローズアップ現代+『被爆者・坪井直さん 未来に遺したメッセージ』(2021年11月11日、NHK総合)
- WATCH〜真相に迫る〜『あきらめない 〜坪井直 96年の生涯〜』(2021年11月27日、広島テレビ)
脚注
- ^ “広島市名誉市民 - 広島市publisher=広島市” (2018年). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “広島市 坪井さん、名誉市民に…被爆者援護、核廃絶へ尽力”. 毎日新聞 (2018年2月16日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ a b “坪井直さん広島名誉市民に 「核なき世界、みんなで」”. 日本経済新聞 (2018年4月5日). 2019年7月30日閲覧。
- ^ a b “坪井氏、広島名誉市民に 平和な世界へ「燃えて燃え尽きるまで」”. 産経新聞 (2018年4月5日). 2019年7月30日閲覧。
- ^ a b “広島名誉市民 坪井さん「皆で平和作りたい」”. 毎日新聞 大阪朝刊 (2018年4月6日). 2019年7月30日閲覧。
- ^ a b c “<戦後69年 平和を考える>(5)日本被団協代表委員 坪井直さん(89)”. 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター (2014年9月3日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ “「人間の悪知恵でできた核兵器だから、人間の理性で潰すしかない」広島県被団協理事長 坪井直さん(93)が世界に託す思い”. AERA dot. (2018年8月6日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “広島市立城南中学校 学校概要”. 広島市立城南中学校. 2019年7月26日閲覧。
- ^ “西城さん、原爆への思い 絶頂期に出演したアニメ映画”. 朝日新聞デジタル (2018年5月18日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ “OKI'S DIARY 2016”. THE STREET BEATS公式サイト (2016年6月3日). 2019年8月17日閲覧。
- ^ “壁の向こうに 記者が見た被爆67年:2(2012年8月1日 朝日新聞朝刊)”. 朝日新聞 (2012年). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “谷本清平和賞 坪井直さん受賞 広島県被団協理事長 核廃絶に献身”. 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター (2011年10月14日). 2019年7月26日閲覧。
- ^ オバマ米大統領、広島で追悼…「惨劇に思い」読売新聞 5月27日
- ^ “坪井被団協理事長に代行職 高齢のため”. 毎日新聞 (2019年1月9日). 2019年7月30日閲覧。
- ^ “広島被団協、坪井理事長に代行職 高齢理由、反核運動けん引”. 共同通信 (2019年1月8日). 2019年7月30日閲覧。
- ^ 「坪井直さんが死去 日本被団協の代表委員」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2021年10月27日。2021年10月27日閲覧。
- ^ “日本被団協の坪井直さん死去 96歳 核兵器廃絶を訴え | おくやみ”. NHKニュース (NHK). (2021年10月27日) 2021年10月27日閲覧。
- ^ “核廃絶に尽力 坪井直さん(96)死去 広島県被団協理事長│RCC NEWS”. 中国放送 (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “被爆者 坪井直さん死去 96歳”. 広島テレビ (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “広島県被団協 坪井 直理事長が死去”. 広島ホームテレビ (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “県被団協 坪井直理事長が死去 96歳 核兵器廃絶を訴え続ける”. テレビ新広島 (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “坪井さん死去に岸田首相が哀悼の意│NHK広島 NEWS WEB”. NHK (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ “「被爆地出身総理として思いを胸に刻み進む」 坪井直さん死去で首相”. 朝日新聞デジタル (2021年10月27日). 2021年10月28日閲覧。
- ^ a b c d “「ネバーギブアップ」坪井さんの言葉忘れない 被爆者、市民らしのぶ”. 朝日新聞デジタル (2021年12月22日). 2021年12月29日閲覧。
- ^ “NHK 100年インタビュー 2007年8月2日放送 日本被団協代表委員 坪井 直”. NHK. 2019年8月2日閲覧。