金刃憲人
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金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手で、ポジションは投手。読売ジャイアンツ所属。背番号は28。
略歴
- 生年月日:1984年4月10日
- 出身地:兵庫県尼崎市
- 身長・体重:177cm・83kg前後
- 血液型:B
- 球歴:尼崎市立尼崎高等学校-立命館大学-読売ジャイアンツ(2006年大学・社会人ドラフト希望入団枠)
- 投打:左投左打
背番号
- 28(2007年‐)
来歴・人物
- 園和北小1年時に「園和北フレンズ」(軟式)に入団以来、ずっと投手。6年時に全国優勝。園田中時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。
- 市立尼崎高校2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出されると遠征でMVPを受賞する活躍。3年夏の兵庫大会、2回戦・伊和高戦、初回先頭打者からの7者連続三振含む17奪三振完封で自己最速MAX141kmを計測(7回コールド)で下すと、3回戦・明石高専10-0(登板なし)、4回戦・村野工業6-1、5回戦・夢野台4-2、準々決勝・東洋大姫路3-0。登板した試合で2点以上取られることはなく選抜優勝・報徳学園を破る一番手と目されたが準決勝・神戸国際大付戦で9回裏に6点差を逆転され、甲子園のマウンドに立つことなく金刃の夏は終わった。
- 高校卒業後は立命大へ。大学1年秋、京大1回戦にてリリーフで大学初登板、続く関大戦で初先発。立命の1年生投手がリーグ戦登板を果たしたのは96年秋の田中総司(元ダイエー)以来異例中の異例ともいう事態である(立命は投手出身の松岡監督独自の投手育成プログラムにより、原則として1年生投手は1年間体力作りに専念させるため実戦登板は早くても秋の新人戦となる。そのためこの時の金刃の起用がいかに異例中の異例であるかが分かる。ちなみに金刃の同学年の多田文彦投手もこのシーズンデビュー)。近大戦では1-0の初完封勝利。最終節・同志社大戦では1失点完投勝利。絶対に落とせない大事な試合でも先発を任されるなどベンチからの信頼も厚く、エースとして立派な活躍を見せたシーズンであった。
- 大学2年の春、リーグ優勝し大学選手権出場。初めて神宮のマウンドを踏む。初戦で徳山大学に0-4で敗れた。MAX144kmを出す。3年の秋には、京大戦にてノーヒットノーランを達成している。
- 高校時代は大谷智久(報徳学園-早稲田大学-現トヨタ自動車)、大学時代は大隣憲司(近畿大学、現福岡ソフトバンクホークス)をライバル視し、お互いに切磋琢磨していった。大隣とはプロではリーグは違うが、交流戦などもあることからライバル関係は続くものと見られる。
- 紅白戦、オープン戦と結果を残し、上原浩治、ジェレミー・パウエルが開幕に間に合わない見通しとなり、開幕先発ローテーションの一角をつとめた。
- 2007年4月4日、開幕2カード目の中日ドラゴンズ戦でプロ公式戦初登板初先発。ゆったりとしたフォームで5回1/3を1失点、3-1でリードしたままマウンドを降り後続に託すも、後続の会田有志・豊田清がそれぞれタイロン・ウッズ・森野将彦に一発を浴びてしまいチームは3-6で敗戦。勝敗は付かず読売ジャイアンツでは青木宥明から47年振りとなる大卒ルーキーの初登板初先発勝利の快挙はならなかった。その次の登板となった4月11日に先発し、6回まで新井貴浩のソロホームランの1点に抑え、7回の表に巨人が金刃の代打木村拓也の逆転2点タイムリーツーベースで逆転し、そのまま巨人が逃げ切り金刃はプロ初勝利を挙げた。ちなみに、この試合でも会田と豊田は登板したが、会田は1回無失点でホールド、豊田は一死満塁のピンチを招くものの後続を抑え通算150セーブ目となるセーブを挙げる。その後も好投を続け、現在は同じく開幕から好投を続ける内海哲也、高橋尚成と共に巨人の左腕3本柱と呼ばれている。