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ノート:太平洋戦争

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これはこのページの過去の版です。にごう (会話 | 投稿記録) による 2007年7月14日 (土) 23:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (出典: マハティール自身「侵略」と言っているので該当箇所削除。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

呼称に関する議論(太平洋戦争・大東亜戦争・アジア太平洋戦争)

呼称については、少し調査して修正しました。

連合国側で使っていた太平洋戦争を利用することとなった。

というのは、あまり正しくもないので、修正が要ですが、言葉は発明するものでもないし、難しいです。G 13:56 2003年2月18日 (UTC)

その後の言論統制により、「太平洋戦争」を利用することとなった。
と言うのはどうでしょう?Sketch 15:21 2003年2月19日 (UTC)

確かに分からなければ書かない。それが正解かもしれません。G 15:47 2003年2月19日 (UTC)

上記を受けて、「その後の言論統制により、太平洋戦争という呼称を利用することになった。」と変更しました。
あと、「名残が残り」は二重表現のようなので、「名残で」にしました。
ついでに「戦争の原因」は原因について語っていなかったので「戦争への経緯」にしました。
ご意見があれば是非お寄せ下さい。Sketch 14:15 2003年2月22日 (UTC)

戦後、「アジア全域で戦争をした」という印象が定着することを回避するため、太平洋戦争の名称を日本国民に占領期間を通じて定着させ、現在に至る。 という記述がありましたが、事実関係として正しいのでしょうか。そもそも、「定着させ」の主語は誰なのでしょうか。一旦コメントアウトしました。--にごう 2005年11月2日 (水) 23:01 (UTC)[返信]


”アジア太平洋戦争”という呼称は、主に左翼勢力が使用している名称であり、戦後長期にわたり”太平洋戦争”と呼称されていたのですから、一般的呼称としては”太平洋戦争”が適当であると私は考えます。以上の署名の無いコメントは、202.67.18.251会話/whois)氏が[ 2005年12月8日 (木) 13:38]に投稿したものです(Kk8998982による付記)。

この発言は私がIPユーザーの時に記入したものです。一部不穏当な表現があるため下記のように修正します--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 02:34 (UTC)[返信]

”アジア太平洋戦争”という呼称は、主に左翼系の学者が使用し始めたとされる(何かの本で読んだと思いますがタイトルは不明です)名称です。戦後長期にわたり"太平洋戦争"と呼称されていたのですから、一般的呼称としては"太平洋戦争"が適当であると私は考えます。
現在、日本政府は『太平洋戦争』という名称の戦争は公式に定義しておらず、
鈴木宗男衆議院委員の下記の内容の国会における質問

(引用はじめ)
平成十九年一月二十六日提出
質問第六号


大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
提出者  鈴木宗男

大東亜戦争の定義等に関する質問主意書
一 大東亜戦争の定義如何。
二 太平洋戦争の定義如何。
三 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。


 右質問する。
(引用終わり)

という内容の質問に対し、政府答弁では、

(引用はじめ)
一について
 昭和十六年十二月十二日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。
二について
 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。
三について
「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
(引用おわり)

しています。よって、日本政府の2007年2月6日現在の公式見解では、
『支那事変』+『対米英戦争』=『大東亜戦争』
であり、いわゆる『太平洋戦争』は
『大東亜戦争』-『支那事変』=『対米英戦争』
となると思います。したがって、この項目の名称は『対米英戦争』とするのが妥当なように思います。ノート:大東亜戦争#出典の明記のテンプレートの件参照。
本文の"呼称に対する議論"の冒頭の
(引用始め)
戦前において、日本では、アジア太平洋戦争を大東亜戦争と呼称していた。
(引用終わり)
の部分は、
(私案始め)
戦前において、日本では、支那事変を含め対米英戦争を大東亜戦争と呼称していた。
(私案終わり)
と修正するのが穏当と考えます。--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 02:34 (UTC)一部修正--Kk8998982 2007年2月11日 (日) 20:43 (UTC)一部修正--Kk8998982 2007年2月17日 (土) 10:31 (UTC)[返信]


戦後処理に東京裁判があるからには、靖国合祀の件や周辺国民への賠償などの問題についてもリストに加えておくべきでしょうかね。 - Gombe 14:14 2003年2月23日 (UTC)


自分ではうまく記事を書けないのですが(よく知らないですし)、「戦争の意義」のところの

日本敗戦後のアジア諸国が、次々と独立したことは世界史上特筆すべきことである。

というのは事実というより意見のように見えるのですが、どうなんでしょうか?項目も、たとえば「戦争の意義」より「戦争の影響」といった言葉のほうがよりバイアスが小さいような気がします。- Ryoji 16:44 2003年2月27日 (UTC)

同感です。ただ、そういう意見があること自体は事実だと思うので、その事実を記述するという立場から、対立する意見と並べて書き直してみました。粗雑な記述ですが、詳しい方が改稿して下さることを望みます。--Tomos 20:25 2003年2月27日 (UTC)



 第4パラグラフの「アジアへの侵略戦争であるという点を重要視し」という記述では、
「アジアへの侵略戦争である」という一つの価値判断、および、
この価値判断を「重要視」するというもう一つの価値判断が
客観的に承認された事実のように読めてしまいます。
 「アジアへの侵略戦争であるという観点を重視する立場からは」などとしたほうが、
記述の中立性が増すと思われます。
 また、「侵略戦争」という語ですが、
国際法等における定義があれば、その定義への参照を要するでしょうし、
そういった定義がなければ、使用を避けたほうがよいと考えます。 - TRI 17:04 2003年5月2日 (UTC)

僕よりもっとうまくやれる人がいそうですが、とりあえず試しにそういう風に変更してみます。よかったらご意見などお願いします。Tomos 20:12 2003年5月2日 (UTC)


>アジア諸国(日本を含む)の独立をめざしたとされる。

日本は当時も独立国なので(日本を含む)を削除しました。意味が違うようであれば、又修正して下さい。 ロリ 08:33 2003年9月14日 (UTC)


>自虐史観の人々によって

自虐史観というのは価値判断が入る言葉(蔑称)と思われますので、変更を検討しています。

  1. 「この戦争がアジアへの侵略戦争であるという見方」と同じような意味なので、削除
  2. 「自虐史観と呼ばれる(称される・評される)人々」と変更
  3. 「参考:自虐史観」のように切り離す
  4. 特に問題ないのでそのまま

どれが好ましいでしょうか? 220.97.67.251 17:23 2003年9月19日 (UTC)

  1. 「この戦争がアジアへの侵略戦争であるという見方を強調して、自ら日本の歴史に対して、

ことさらに非難を加える『自虐史観』と呼ばれる(称される・評される)人々」
なんですよ。

日本の起こした戦争は、全体像として間違いなくアジアに対しての侵略であったのは事実でしょう。
何があって何がなかったのか、冷静に分析することを『自虐史観』とは言わないです。 しかし、『自虐史観』の立場と言われる人々は、そのときの世界の動きの中で開戦に追いこまれて行った
日本の立場などは無視し、時には統治下とはいえ、日本の行った事の良い面は無視し、悪い面は針小棒大に
捏造してまで叩くことで、なにか自分たちは、「汚れた日本の中の限られた覚醒者」であるかのように
酔いしれている面が見られます。

南京事件派が、南京大虐殺派(自虐さん)に公開討論を申し込んだところ、一旦は申し出を請けながら、
どうも証拠を詰めてゆくと立場が悪いと気づいたのか、ずるずると約束を引き延ばし、挙げ句の果てに
「いまだに、そんなことを主張する人とは議論したくない」と難癖を付けて逃げたらしいです。
自ら、言論を放棄するような人たちが、叩けそうなところについてだけ叩いてカッコつけているというのが
どうにも見てても賛同できない気にさせる面だと私は思います。
本当に日本の歴史を恥じているのなら、そんな風に喜々として日本叩きするようなマネをするまえに、
ただひたすら理屈抜きに、自分が率先して頭を下げるものではないかと思うのです。

これは、いろいろ本などを読んだ上での私の感想・意見ですが、『自虐史観』をどう処理するかの参考になれば。


自虐史観についてよく分かりました。
ただ、「ことさら」という言葉は、何と比較しているのかが分からないと主観的な表現になってしまうかと思ったので削除しました。
近年では、アジア・太平洋戦争と呼ばれることも多くなっている。これは主として、この戦争がアジアへの侵略戦争であるという視点のみを強調し、自ら日本の歴史に対して非難を加える自虐史観と評される考えを持つ人々の見方に基づくものであり、そのような考えに賛同する人が増えてきたことに対応している。
まだ暫定です。修正案がありましたらお願いします。(「この戦争が?」で始まる自虐史観を説明する文章が長いかな)
ところで、「自虐史観」を持つ側の人は、自分たちのことを何と呼んでいるのでしょうか。220.97.67.251 19:40 2003年9月19日 (UTC)


「近年、太平洋のみならずアジアの大陸部をも含んだことから、この戦争をアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されている。」ではいけませんか。ある説の紹介は、その説の論者の意図をくんで要約するべきです。反対説は別の段落を立てて反対説として紹介すればいいのです。Wikipediaの中立的観点はそういうものだと思います。正反対の意見をなんとかしてまぜこもうと苦吟することはないでしょう。Kinori 21:46 2003年9月19日 (UTC)


無理に主観的な言葉を出す必要は無いですね。先ほどの文を読み返すと、右翼のプロパガンダみたいです。書きたい人は、後で「皇国史観」「自虐史観」のようなトピックを作ればよいことでしょう。この文言を最初に入れた人には悪いですが、削除して簡潔にします。220.97.67.251 22:47 2003年9月19日 (UTC)

『先ほどの文』が「日本の起こした戦争は、全体像として〜」に始まる、私の文章を指すならば、
そもそも「右翼のプロパガンダみたい」というレベルの理解不足な感想しか語れない方に批判してほしくないと思います。
ただし
>「無理に主観的な言葉を出す必要は無い」
には同意しています。この記事は「自虐史観」を語る場ではありません。だから、直接記事に書いていません。 右翼と言うより学問の領域で研究されている内容からの主張であって、右翼にも親米派・反米派など正反対な考えがあり、
侵略戦争がどうとかなど別にどうでも良い者や。タテマエはさておき神格否定した後の天皇などどうでも良い者さえ居ます。

上記は「日本が悪かった」を前提として、改めて歴史の検証をすること自体を反動的とするような、市民運動を名乗る
割には偏向した左翼みたいなプロパガンダを聞かされると、私も違和感があると言っているだけです。

「先ほどの文」というのは、私が書いた暫定案の文のことだと分かりませんでしたか?その文が右寄りの意見に偏っていると言ったのです。Kinoriさんとのやりとりなど、流れをよく読みましたか?
私は戦争関連の記事もこれから書くつもりですし、GHQの記事も(書きかけですが)書いています。「歴史の検証をすること自体を反動的」などとは微塵も思っていませんのでお間違いなく。220.97.67.251 18:17 2003年9月20日 (UTC)

Johncapistranoさんこんばんは。「戦争の評価(アジア)」の部分ご改稿いただきありがとうございます。今回日本の植民地政策について、軍事政権の雛形として評価していると改稿されました。確かにそういった面も存在しますが、その一方で逆に民主化の原動力と評価している国や団体もあります。軍事政権の雛形としてのみ評価されていると書くのは、戦後のアジアの一面しか見ない書き方ではないでしょうか?よろしければお考えをお聞かせください。

なおアジア諸国の太平洋戦争に対する評価については、文化的・歴史的・政治的に非常に複雑な要素を多数抱えております。力量不足のため「一慨に語る事は難しい」とぼかして書いてしまいましたが、本来はこの段落の内容について、肯定的・否定的な評価もあわせてもっと詳しく書くべきだったと思います。今後少しずつ充実させて行きたいと思いますので、Johncapistranoさんもご協力頂けると幸いです。Kamakura 15:58 2003年12月1日 (UTC)

ミャンマーやインドネシアのスハルト時代・シンガポールなどの例です。大陸時代の中華民国はおっしゃる通りかも。でも現在(台湾への移動は民主的とはとても言えない。)とは連続性がない。具体例を挙げていただけるといいのですが、消し合いだと他頁のように時間の無駄なので。一応復元もお願いします。Johncapistrano 18:25 2003年12月1日 (UTC)

まず台湾については具体例を記載いたしました。今後パラオなどほかの国々についても追記していく予定です。もし間違っている記載とかがあればご指摘願います。Kamakura 02:19 2003年12月2日 (UTC)

大東亜戦争と硝石戦争が1ページの中に混在しています。曖昧さ回避のページをつくり分割すべきと思うのですが、長いこと行われずに来ているようですね。何か理由があるのでしょうか?平 誠 16:24 2004年3月28日 (UTC)

おそらく
  • 日本で「太平洋戦争」といえば、もっぱら第2次世界大戦の方を指すことから、曖昧さ回避は不適切。
  • 硝石戦争を独立の記事とするには、内容が全然不足してるから、硝石戦争について詳細な記事を執筆される人が分離すべき。補充の予定がない段階で分離して、スタブ記事を増やすのは避けたい。
ということでしょう。よって、曖昧さ回避化と分割に反対します。oxhop 16:41 2004年3月28日 (UTC)

oxhopさん、素早いコメントありがとうございます。

確かに日本では「太平洋戦争」といえば大東亜戦争のそれを指します。南米に興味のある方や硝石について調べている人でもない限り、存在すら知らないでしょう。そして硝石戦争の記事が少ないというのもご指摘の通りです。 がしかし、だからと言ってそれがページを分けなくてよい理由にはならないと思います。

『ウィキペディア(Wikipedia)』では編集の履歴を残しておくことが求められているのですから、むしろ積極的に分割すべきなのではないでしょうか。現在のままでは大東亜戦争関係の履歴と硝石戦争関係の履歴とが混ざってしまい好ましくありません。

私の考えでは、現在の「太平洋戦争」のページを「太平洋戦争 (大東亜戦争)」に移動し、移動先にて「硝石戦争」関係の記事を削除。新たに「太平洋戦争 (硝石戦争)」というページを立ててそこに「太平洋戦争 (大東亜戦争)」から切り出した記事を貼り付ける。そして「太平洋戦争」のページは曖昧さ回避のページとし、既存のリンク先に適宜編集を加える、という段取りを考えています。

単に移動させるだけでしたらシステムの改良もあってそう難しい話ではありません。このノートページもしっかり「太平洋戦争 (大東亜戦争)」へ持っていくことができます。幸か不幸か今のところ硝石戦争関係の議論がノートでなされていませんからまったく問題なく移動させられます。しかし、硝石戦争関係のノート記事が出来てしまってからでは手作業でしなければならないので大変なことになります。しかもそれは完全なものではありません。次善の策となります。それを考えると早急に分割したほうが良いように思います。平 誠 17:27 2004年3月28日 (UTC)

「太平洋戦争」と「硝石戦争」でいいんじゃないですか? 別名があるのなら、それを使うべきでしょう。そして、「太平洋戦争」の隅っこに別の用法として「硝石戦争」へのリンクをはる。で、平 誠さんは、硝石戦争について記事を書く、と。これで、スタブ記事もできずにすむし、全然関係のない記事が同居してる状況も回避できて、万事解決だと思いますが。
> 南米に興味のある方や硝石について調べている人でもない限り、存在すら知らないでしょう。
雑学マニアは、この話大好きですよ。実は、「太平洋戦争」と呼んでるのは日本だけで、世界的には「太平洋戦争」といったら、南米の太平洋沿岸海域で起きた戦争のことを指すんだよ。へぇー。って具合に。oxhop 15:18 2004年3月29日 (UTC)

南米で太平洋戦争と言えば地元の太平洋戦争がまずあがりますが、英語圏では1941年の方です。他の言語がどうかは知りませんが、南米の戦争の方が有名とは思えません。それと、硝石戦争はいわばあだなです。普及度でも日本語訳からいっても太平洋戦争が適当です。

区別については、「太平洋戦争 (1879年-1883年)」がスマートだと思います。このページの名前はこのままでいいでしょう。日米戦を求める人にいちいち手間をかけさせることはありません。裁判所裁判所 (地方制度)のような形ではいけませんか。Kinori 17:55 2004年3月29日 (UTC)

まず前段ですが、英語圏はこうなってますよ。Wikipedia英語版より。
次に後段。裁判所みたいにするのは賛成ですが、スマートさなら、平 誠さんの「太平洋戦争 (硝石戦争)」の方が勝ってるかな。年代指定で、ページ名の衝突を避けてる例って他にありますか?oxhop 19:48 2004年3月29日 (UTC) - 最後の1文を修正oxhop 20:00 2004年3月29日 (UTC)
参考のため。マイペディアは、「太平洋戦争 (日本)」と「太平洋戦争 (南米)」になってました。oxhop
括弧付き記事名については利用者:Michey.M/括弧付き記事名一覧に一覧があります。最近更新していませんが、ご参考までMichey 20:18 2004年3月29日 (UTC)
Micheyさん、ありがとうございます。命名に対する皆さんの工夫の仕方が、なかなか面白かったです。もちろん、中には首をかしげるものもありますが。oxhop 16:49 2004年3月31日 (UTC)

皆さんのご意見を参考に硝石戦争を太平洋戦争 (南米)として分割するよう編集しました。ただし、ページの冒頭に誘導する文言が付いてしまいましたが、それは致し方ないでしょう。「文末へ持って行け」というご意見があるかもしれませんが、文末では有効な誘導ができませんのでこれは認めていただきたく思います。平 誠 20:54 2004年3月29日 (UTC)

妥当と思います。ただ、第一段落の初めは「太平洋戦争(たいへいようせんそう)」にした方が索引つくりには便利です。(でしたよね。確か)
ところで英語版にはPacific Warという項目もあります。はじめ米軍内の呼称であるPacific Theater of Operationsで作られたところ、Pacific Warの方が一般的で、米国中心的でないという意見が出ました。で、呼称問題を残して本体がPacific Warに移り、今もそのまま二つ記事があるという経緯のようです。Kinori 10:51 2004年3月30日 (UTC)
Kinoriさん、情報ありがとうございます。ホントについ最近、改名したみたいですね。改名された記事名は、Asian Theatre of World War IIの方ですが。2003年2月24日に改名の提案がされて、実行されたのが、2004年3月27日。この慎重さが羨ましい(笑)。それはともかく、英語圏で、Pacific Warという表現がされることが分かり勉強になりました。感謝です。oxhop 16:49 2004年3月31日 (UTC)

この手の記事は中立性を保つのが難しいと思いますが、いくつか気になる点があります。

「この戦争の呼称・表現を巡って」の項で、『「戦争賛美」「復古的国粋主義を煽る」との理由から使われていない。』とありますが、「大東亜戦争という呼称を利用することが戦争賛美になる」は事実ではなく意見なので不適切だと考えます。『「戦争賛美」~との理由から反対意見も多く、実際には使われていない」のように記述すべきです。

「戦後処理」の項で「現代でも靖国神社への公式参拝については、中国や韓国が未だに反対している」とありますが、「現代でも」と「未だに」で意味が重複している上、中韓両国の態度が時代遅れであるような印象を与えます。「未だに」を省くべきだと思います。 あるいは中韓両国の態度を時代遅れであるとする考え方について、事実のみを記述すべきです。

「解放者としての見方」の「内政干渉的な抗議」というのは、公正に言って日本の保守派の主張です。また、抗議のほとんどが中韓両国によるものなので、「アジア諸国」は不要と考えます。「中国や韓国などによる抗議~至っていない。これを内政干渉と批判する人もいる」のようにすべきです。

「台湾における評価」の項で従軍慰安婦に関する記述がありますが、従軍慰安婦自体が論争になっているため、従軍慰安婦の実在を前提とした記述は避けるべきです。「従軍慰安婦が台湾にもいたという人がいる」などとして、従軍慰安婦の是非は従軍慰安婦の記事に譲るべきではないでしょうか。--En-forester 2004年12月7日 (火) 07:31 (UTC)[返信]

四点とも、En-foresterさんのおっしゃる通りだと思います。--sketch 2004年12月7日 (火) 12:29 (UTC)[返信]
修正しておきました。何かおかしな点があれば補筆をお願いします。--En-forester 2004年12月8日 (水) 01:53 (UTC)[返信]

戦後、「アジア全域で戦争をした」という印象が定着することを回避するため、太平洋戦争の名称を日本国民に占領期間を通じて定着させ、現在に至る。 という記述がありましたが、事実関係として正しいのでしょうか。そもそも、「定着させ」の主語は誰なのでしょうか。一旦コメントアウトしました。--にごう 2005年11月2日 (水) 23:01 (UTC)[返信]


「指示」を「支持」に改めました。誤字と思われるためですが、もし何らかの意図があって「指示」になっていたのならお詫び申し上げます。たらこ 2005年1月22日 (土) 02:37 (UTC)[返信]

いやはや、なんとまあくだらない議論をしているのか・・・ 大東亜戦争は大本営政府連絡会議にて陸軍案として出されたものであり、 太平洋戦争は海軍案として出されたものである。閣議決定されたのは大東亜戦争の方だが、太平洋戦争も海軍部内では普通に使われたものである。 太平洋戦争が戦後使われたのは、単に対米戦争メインで記憶されたからだろう。 陸軍の株がさがったせいもあるだろうが。ともあれ、どちらも正しい名称である。言うまでもない事だがアジア太平洋戦争なる名称は何等の根拠も無い者であり、明らかに誤った名称であると断言できよう。以上の署名の無いコメントは、野狐会話履歴)氏が[2006年6月24日 (土) 22:17(UTC)]に投稿したものです(Kk8998982による付記)。


議論の中身については詳しく無いので何ともいえませんが、 項目名は「太平洋戦争」となっているのにも関わらず、「呼称に関する議論」の部分でいきなり

>戦前において、日本では、アジア太平洋戦争を大東亜戦争と呼称していた。

「アジア太平洋戦争」という言葉が何の前触れもなく登場します。「アジア太平洋戦争」がリンクになっていますが、それをクリックしても同じ「太平洋戦争」の項目につながるばかりで、何の意味も成していないように思います。

さらに、「呼称に関する議論」の最後には

>また、主戦場がアジアと太平洋に広がっていた面から、近年ではアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されている。

と書かれています。これは不自然ではないでしょうか。 思想云々には興味が無いので呼称がどうなろうと全く気にならないのですが、この文には違和感を覚えました。 始めの「アジア太平洋戦争」のリンクを外し、「太平洋戦争」と書き換えれば違和感は無くなると思います。 --203.135.226.40 2007年3月4日 (日) 22:56 (UTC)[返信]

上記発言は、冒頭に有るのは不適切と思われたので移動しました。--Kk8998982 2007年3月11日 (日) 00:23 (UTC)[返信]

本文のこの項目が丸ごと削除されていましたので復帰しました。項目ごと丸ごと削除するのは、"荒らし"と取られかねません。内容に異議があるのでしたら、ノートで議論してください。--Kk8998982 2007年3月17日 (土) 14:22 (UTC)[返信]

よく見てください。現在のバージョンでは「呼称に関する議論」として全く同じものが2回書かれています。貴殿の自主的なリバートを所望します。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月17日 (土) 14:37 (UTC)[返信]
誤りを確認し、差し戻しました。Cave cattumさんに対し深く謝罪いたします。--Kk8998982 2007年3月17日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

アメリカの「先制攻撃」について

>開戦は真珠湾攻撃であるというのが定説であったが、事実は現地時間昭和16年12月7日午後0時10分、アメリカ軍艦が、アメリカ領海外において、宣戦布告無しに日本海軍の潜水艦を攻撃、撃沈した事に始まる(アメリカの先制攻撃)。

という記述が「戦争の経過」節に挿入されていますが、これは特殊潜航艇「甲標的」に対する米掃海艇の攻撃を指すのでしょうか? とすれば、それは米領海内での(国籍不明艦の領海侵犯行為に対する)防衛行為であり、「宣戦布告無しに...攻撃」には当たらないと考えますが? この攻撃が確かに領海外で行われたものであり、米艦は日本軍の潜水艦に対して攻撃を加えるという事前の認識があったとする根拠があれば示していただきたいのですが。--にごう 2005年8月15日 (月) 05:45 (UTC)[返信]

「U.S.S. Wardによる特殊潜航艇攻撃が先制攻撃だった」なる説をどうしても入れたい方がいらしゃるようなので、少々手直しをしておきました。この公式レポートにもあるように、攻撃は米領海内であり、標的は未識別状態であったとされています。--にごう 2005年10月26日 (水) 05:43 (UTC)[返信]


 なんであれ、この潜水艦事件の前に、日本軍は既にマレー半島への上陸を開始しています。

左翼・右翼などの呼称について

イデオロギー色が強く中傷が強くなるので、左翼や右翼といった言葉やそれに関連する言葉を本文で使うのは個人的には避けるべき(特に歴史で議論が分かれるものなど)と考えますが、皆様のご意見お待ち申しあげます。--Tamachan21 2006年2月14日 (火) 12:35 (UTC)[返信]

どういう間違いだか、Tamachan21さんの編集に戻したつもりだったのが、さらに一つ前の編集の編集に手を加えていたようです。少なくとも解釈者について「右翼」「左翼」という用語を使うべきではない(というか、当たり前だ)と思いますが、しかし「東京裁判史観」という言葉もなんとかなりませんかね。「自虐史観」然りですが、「史観」によって歴史的事実が変わるかのごとき言い分こそが党派的で、かつ、歴史教科書への異議申し立て運動によるレトリックの一つだったからです。言い返すために作られた「自慰史観」も含め、「○○史観」も可能なかぎり避けたほうが良いかと思います。Iosif 2006年2月15日 (水) 19:53 (UTC)[返信]
「東京裁判史観」、「自虐史観」、「自慰史観」などの言葉もイデオロギー色がありますから避けたほうがいいかもしれませんね。特に後者の2つは史観以前に言葉として下品ですからね。とは言え、司馬史観とかマルクス主義史観とかは中傷度は低いので、客観的事実であれば使用しても構わないのかなと思われます。とは言え、これらの言葉も価値観を含むので濫用を避けたほうがいいのではないかと思われます。--222.12.150.145 2006年2月16日 (木) 12:20 (UTC)[返信]

ってかその前にアメリカが日本への石油の輸出を止めたのが原因じゃないの?

加害者としての側面

戦争中の加害責任を追及する立場の人が原爆肯定論という文章がありますが、加害責任を追及する人達の立場は反米スタンスが多く、原爆は大量殺戮と取る見方が主流であり、原爆肯定論はあまり見かけません。
中韓からの原爆礼賛論について、加害責任を認めることによって原爆の被害を理解させるというスタンスが原爆肯定論というのであれば、それは少しニュアンスが異なると思われます。(原爆を肯定したも同然という意味か)そこら辺少し話を詰めたほうが適切かと考えました。--Tamachan21 2006年2月14日 (火) 12:43 (UTC)[返信]

私も加害責任を追及する側から原爆肯定論を耳にしたことがありません。民族主義者が愉快犯的に挑発的に肯定論を述べるということはあります。また、「原爆の被害を理解させる」というスタンスも冷静で真面目なものであれば(どんなに真面目でも私はそんな立場に反対ですが)、とうてい「原爆を肯定したも同然」とは言えないと思います。詰めるという以前に、Tamachan21さんの認識におおむね同意であることを表明します。Iosif 2006年2月14日 (火) 19:44 (UTC)[返信]

開戦と終戦の放送

開戦時と終戦時のNHKの放送のファイルをコモンズで見つけました。Monaneko氏のアップロードしたファイルです。保護が解けたときに自分の手で追加できればなと思ったのですが、私は忘れてしまっている可能性が高いように思います。ですが重要なファイルと思いますので、保護解除時にどなたかが音声ファイルを追加できる形にしておこう、と考え、ここにソースを貼らせていただくことにいたしました。

ちなみにこれらの音声は旧著作権法11条により、パブリックドメインの資料として扱われます。Was a bee 2007年1月9日 (火) 12:40 (UTC)[返信]

保護解除へ向けて

10ヶ月近く保護が続いていますがそろそろ保護解除(半保護化も含む)をしてもいいのではないでしょうか?意見をお聞かせ下さい。--Alljal 2007年1月27日 (土) 08:07 (UTC)[返信]

開戦の経緯

現在開戦の経緯としてABCD包囲網→日独伊三国軍事同盟となっていますがお互いに対抗措置をとり エスカレートしていったことがすっぽり抜け落ちていて問題だと思います。 米の輸出制限→日独伊三国軍事同盟・北仏印進駐→米の一部物資輸出禁止→南仏印進駐→ABCD包囲網

Information needed about the Battle of Timor

Hello! I wrote during the last time in German Wikipedia an article about the Battle of Timor. I had just one problem: I couldn't find many informations about the Japanese view, the troops and the tactics. The English article wrote only about the Australians on Timor. If someone have some informations and could translate them for me into English (or German ^^), please contact me at my German user page: de:Benutzer Diskussion:J. Patrick Fischer. Domo arigato! --62.158.75.126 2007年2月25日 (日) 16:16 (UTC)[返信]

出典

  • www.waseda-coe-cas.jp/symposium/pdf0512/Speech_TDM_Waseda3Dec01-j.pdf

マハティールはこの手の日本軍擁護を世界中どこででもやってます。 --Dreme 2007年7月8日 (日) 08:04 (UTC)[返信]

利用者:Dremeさん、出典の提示ありがとうございました。しかしご提示の(英文日本語訳)を読む限り、マハティール自身「日本の侵略(invasion)」と発言していますね。つまりマハティール氏の論旨はむしろ「日本(軍)はマラヤを侵略した、しかしそれは植民地原住民であった我々の心を解放した」と読むべきであると思われ、「侵略ではなかった論」の例示として用いるのは適切ではない(更に言えば「いかなる場合も」という命題が成立しないことがこれによって示されている)と考えられましたので、本文該当箇所を削除しました。--にごう 2007年7月14日 (土) 23:15 (UTC)[返信]
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