肖像権
肖像権(しょうぞうけん)とは、肖像(人の姿・形及びその画像など)が持ちうる人権のこと。大きく分けると人格権と財産権に分けられる。プライバシー権の一部として位置づけられるものであるが、マスメディアとの関係から肖像権に関する議論のみが独立して発展した経緯がある。
社会的反響が大きい事案で当該肖像が無許諾で使用されることがあるが、これは当該肖像権よりも、公に報道することの方が優越的利益があるからであって、肖像権が無いためではないと解されている。もっとも、その範囲を逸脱した使用や、それに付随する名誉毀損、侮辱などの行為は当然に違法となる。また、公に報道するための優越性の立証の責任も負うこととなる。
歴史的な経緯
肖像権が注目されるようになったのは、新聞や雑誌、映画などの普及によって個人の私的生活が世間に知られる可能性が強まった19世紀後期以後の事である。1890年に発表されたアメリカのサミュエル・ウオーレンとルイス・ブランデルズの共著による論文「プライバシーの権利」が肖像権に触れた最初の文章とされている。
日本における肖像権の扱い
日本では肖像権に関して特別に定められた法律は現在は存在しない。ただし、判例の中で肖像権が実質的に認められているケースがある。
人格権に関しては、「公権力が特別の事由なく私人を撮影してはならない」とする最高裁判例が存在する。この判例における法源としては、憲法13条(幸福追求権)が挙げられる。しかし、この効力が私人相互の関係に及ぶかどうかについては議論が分かれている(参照:私人間効力)。
肖像画に関しては、原則として肖像権は認められないものの、法廷内における刑事被告人の様子を描いた絵を公表した場合は肖像権の侵害が認められる場合がある[1]。
なお、競走馬といった人間以外の対象の場合、たとえパブリシティー価値を持つものであっても肖像権は認められない(ダービースタリオン事件[2])。
現在、日本国内で刑事において盗撮行為を罰する際の法的根拠は「肖像権の侵害」ではなく、わいせつ罪や各地方公共団体が定める迷惑防止条例にある。そのため、わいせつ要素が無い場合や迷惑防止条例に違反していない場合、無断で肖像を撮影・公開されても、刑事の面で罰せられることが無い野放し状態となっている。一方、民事においては著名人であっても私生活を許可なく撮影(盗撮)された場合は肖像(人格)権の侵害が認められる場合がある。
人格権
被写体としての権利でその被写体自身、もしくは所有者の許可なく撮影、描写、公開されない権利。すべての人に認められる。みだりに自分の姿を公開されて恥ずかしい思いをしたり、つけ回されたりする恐れなどから保護するというもの。犯罪の関係者(被害者・加害者・両者の周囲の人々)などが侵害されて問題となることが多い。
ただし、被写体が不特定多数の人々に見られることを前提としている場合、及び撮影内容から個人が特定できない場合などは一般的に人格権が認められない。
前者の例としてはイベントに出演したり、デモ行進に参加するといった場合が挙げられる。これらの例では、当人が被写体となることを事前許諾していると認められるため、肖像権を主張できない。ただし、近年では肖像権保護の立場から、イベント会場やスポーツ競技場においては運営側が撮影の自粛を求めることがある[3]。また、後述するように警察といった公権力がデモ行進の参加者を理由なく撮影することは肖像権の侵害となる。
後者の例としては、後ろ姿で撮られていたり、顔面を除いた身体の一部分のみが撮影されている場合が挙げられる。また、被写体が明らかに観光客と認められる場合も含まれる。後者の例では、いずれも個人が特定が実質的に不可能であり、人格を保護するという法益に反していない。ただし、衣服の上から身体の一部のみを撮影する場合であっても、人を著しく羞恥させ、又は不安を覚えさせるような卑わいな撮影の仕方(言動)をした場合、各都道府県が定める迷惑防止条例に違反する恐れがある[4]。
ただし、これは私人間における例外規定であり、被写体が著名人であれば後述の財産権を侵害する恐れがある。更に、公権力は私人をみだりに撮影してはならないという最高裁判例がある(京都府学連事件[5])。ただし、捜査の過程において高度な蓋然性が認められる場合はこの限りではない(山谷監視カメラ事件)。
財産権
著名性を有する肖像が生む財産的価値を保護する権利。著名性を有するということから、おのずとタレントなどの有名人に認められることになる。有名人の場合はその性質上個人のプライバシーが制限される反面、一般人には認められない経済的価値があると考えられている。例えば、有名人を起用したテレビコマーシャルや広告・ポスター・看板などを使って宣伝を行うとより多くの人が関心・興味を持つようになるなど効果が期待され、結果的に有名人には集客力・顧客吸引力があると言える。この経済的価値を「パブリシティー権」(あるいはパブリシティー価値)と呼ぶこともある。アイドル歌手などの写真を勝手に販売したり、インターネットで配布するなどして問題になることが多い。
法律との関連
日本においては肖像権に関することを法律で明文化したものは存在していない。このため、刑法などにより刑事上の責任が問われることはないが、一方、民事上は、人格権、財産権の侵害が民法の一般原則に基づいて判断され、差止請求や損害賠償請求が認められた例が多数ある。財産権に関しては立法化の流れも生まれている。著作権を根拠に肖像の保護が可能であるとする主張があるが、著作権の保護の対象は被写体ではなく肖像を創作した撮影者等の著作者であるため、自らが撮影した写真などの場合を除いては、著作権によって肖像の利用を止めることはできない[6]。なお昭和45年まで効力のあった旧著作権法(明治32年3月4日法律第39号)第25条では、写真館などで撮影した肖像写真の著作権が撮影の依頼者に帰属する旨規定されていた(山本桂一『著作権法』(有斐閣、昭和44年)248-250頁参照)。
米国においては、被写体の肖像権よりも、写真などの撮影者や、それらを加工した編集者の権利が最優先されるという考え方が一般的である。 これは米国憲法修正第1条に定められている「表現の自由・言論の自由」は民主主義の絶対条件であり、「何ごとよりも優先される」という考え方によるものである。このため、写真を左右反転しただけで、「創作物である」と主張する人物が現れた事例がある。
また、「表現の自由・言論の自由」は、日本においては日本国憲法に明記されている。民法に定められている権利が憲法に定められている権利に負ける恐れがあるため、近年、芸能事務所が契約を結ぶ際には、契約書の中に「事前の承諾なしには画像の修正等は認めない」、「過度の修正は認めない」、「加工物の権利は芸能プロダクション側に譲渡するものとする」などを事細かに明記するのが通例となっている。
肖像権に関する問題の例
- 京都府学連事件(最高裁判所昭和44年12月24日大法廷判決)
- おニャン子クラブ事件
- スター・ウォーズ・キッド - 私人の動画が本人の許可を得ず流出し、インターネット上で流行した事例。
- 日本テレビ等NNN系列局局制作・著作の番組の一部をCS★日テレで同時ネットができなかった事例。
- テレビ東京等TXN系列局制作・著作の番組の一部(例:ドラマ24など)をBSジャパンで放送できない問題。
- ジャニーズ事務所の所属タレントの写真を一部例外を除いてウェブサイトでの公開許可が降りない問題。
- ジョン・レノン事件 - 営団地下鉄(現:東京メトロ) が遺族のオノ・ヨーコらに無断で、アンディ・ウォーホル作のジョン・レノンをコラージュした肖像画のプリペイドカードを発売した問題。
- 水島漫画の肖像権 - 漫画家の水島新司の書く「ドカベン プロ野球編」と「あぶさん」はプロ野球界への貢献度が大きいとして、1997年まで選手の肖像権料を取っていなかった。
- 映画靖国 YASUKUNI問題 - 映画制作者が靖国神社の許可を取らずに施設内を撮影したとされる。
- 特に参拝している自衛官の許可を取らないまま出演させ、映画宣伝のメイン映像にまで使用した点が問題とされている。また、主な出演者の一人であった刀匠は、作品内容が自身が想定していたものと異なっていたため、肖像権を根拠に自身を撮影した映像を削除するように要求した(ただし、これは肖像権というよりは期待権の侵害に近い)。
- 映画監督は少なくとも刀匠に関しては事前の許諾があったと主張している。この口頭契約において不実告知が適用できるかどうかが論点となっている。ただし、主に問題となっているのは刀匠の配偶者の発言シーン(事前に許諾を取らなかったとされているため)。
- この件に関してドキュメンタリー作家の森達也は、ドキュメンタリーにおいて全ての被写体から撮影許諾を取るは事実上不可能であり、どんな内容であろうと全被写体の撮影許可を取るという慣行もないとしている[7]。
- 大日本スクリーン製造の関連会社である『マイザ』が製作・販売したCD『百人の顔』は、一般人約100人の顔写真を収録しているが、これについて、広告など商業目的利用への十分な説明が無いまま撮影し販売し、CDに収録の写真を使用した業者と被撮影者との間で、トラブルが頻発している。CDの販売は中止されたものの、既に販売されたCDは回収不能状態である[8]。
脚注
- ^ 最高裁平成15(受)281号 損害賠償請求事件(肖像権侵害)
- ^ 東京高裁平成13年(ネ)第4931号 製作販売等差止等請求控訴事件
- ^ 日本中学校体育連盟
- ^ 札幌高裁平成19(う)73号 公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反被告事件
- ^ 最高裁昭和40(あ)1187号 公務執行妨害、傷害被告事件
- ^ ピリ辛著作権相談室:Q11:愛娘の写真がネットにアップされたのですが
- ^ 言論の自由を宝の持ち腐れにしないために - マル激トーク・オン・ディマンド - ビデオニュース・ドットコム
- ^ 顔写真:無断で広告に CD販売、回収不能--東京の業者 毎日新聞 2009年1月4日