城 (き)
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『三国史記』地理志に、「悦城県本百済悦己県」(今の「悦城」県はもと百済の「悦己」県である)、「潔城県本百済結己郡」(今の「潔城」県はもと百済の「結己」郡である)という記述が見られる。これらの例は、“城”の意味を表す百済の言葉(百済語)が、漢字「己」の音で写されるべきものであったことを示している。
藤堂明保の推定によれば、「己」は上古音 [kɪəɡ],中古音 [kɪei] である。
李基文は、百済語で“城”を意味する語が [kɨ] であったことは確実とし、上代日本語の「城(キ乙)」を百済語からの借用語と考える。
「城(き)」という語が単独で用いられた最も古い例は、『日本書紀』欽明天皇 23 年 7 月の条に見える、「柯羅倶爾能 基能陪儞陀致底 於譜磨故幡 比例甫囉須母 耶魔等陛武岐底(韓国〈からくに〉の城〈き〉の上〈へ〉に立ちて大葉子〈おほばこ〉は領巾〈ひれ〉振らすも日本〈やまと〉へ向きて)」、「柯羅倶爾能 基能陪儞陀々志 於譜磨故幡 比禮甫羅須彌喩 那儞婆陛武岐底(韓国の城の上に立たし大葉子は領巾振らす見ゆ難波〈なには〉へ向きて)」の歌謡 2 首である。城(き)とは韓国(朝鮮半島)のものという認識をとどめているようである。
ちなみに、「“しろ”の語源」にある「垣(かき)」「関(せき)」は、いずれも「き」がキ甲類であり、無関係と見られる。
参照文献
- 藤堂明保 編(1978)『学研 漢和大字典』学習研究社.
- 李基文(1974)『韓国語の歴史』村山七郎(監修),藤本幸夫(訳)(1975),p.48,大修館書店.