今井町
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今井町(いまいちょう)は、奈良県橿原市にある町。江戸時代の町並みが残ることで知られる。
歴史
古くは興福寺の荘園で、中世の環濠集落を母体として発展した町である。 室町時代後期に、浄土真宗称念寺を中心とする寺内町となり、東西南北の他、新町・今町の6町が成立した。 石山合戦の際には、石山本願寺について織田信長に反抗、環濠や土塁、見通しを妨げる筋違いの道路等を築いて城塞都市となった。 1575年、織田信長に降伏してからは大阪湾に面する堺と並び称される自治都市として栄え、江戸時代には「大和の金は今井に七分」「金の虫干し玄関まで」と称されるまでになった。
江戸後期に重税により町は衰退に向かい、明治期には近隣に持ち上がった鉄道駅建設計画に反対したことから都市化を免れることができた(畝傍駅として開業)。それゆえ現在も、町の大半が江戸時代の姿を残しており、大部分は実際に住居としても使用されている。ただし中には廃屋同然に放置された建物も存在し、空家対策が必要である。
重要文化財9件12棟、県文化財3件11棟、市文化財4件4棟。重要伝統的建造物群保存地区に選定。
重要伝統的建造物群保存地区データ
- 地区名称:橿原市今井町
- 種別:寺内町、自治都市
- 選定年月日:平成5年12月8日
- 選定基準:伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの
- 面積:17.4ha
名所・旧跡・施設
- 今西家住宅(重要文化財) - 今西家は代々今井の惣年寄筆頭を務めた。今西家の先祖は、もと大和南部の豪族十市氏の一族で永禄9年(1566)に十市遠勝が筒井順慶に圧迫されて今井に亡命した後を追って川井助衛門尉正治が一族郎党をひきつれて当地に移住した。今井町の西口にあることから郡山城主徳川家康の孫松平忠明にすすめられて以後今西姓を名乗った。幕府から自治権を委ねられて、領主・代官の町方支配の一翼を担う。民家というより城郭を思わせる構造で、「八つ棟造り」と呼ばれる。内部には、お白洲があり裁判が行われ、罪人を閉じこめた部屋(いぶし牢)も残っている。春秋それぞれ1か月間、一般公開している。慶安3年(1650)の建築で棟札も残っている。日本の民家建築史上「一里塚」と言われるほどの貴重な建物である。昭和32年6月18日重文指定(附・棟札1枚)。
- 豊田家住宅(重要文化財) - 古くは材木商の牧村家の所有で「西の木屋」と呼ばれ、大名に貸し付けを行い藩の蔵元を務めていたほどの豪商だったが、明治維新後の廃藩置県により貸付金が凍結し今井を離れざるを得なかった。なお大阪府堺市の大仙公園にある今井宗久ゆかりの茶室「黄梅庵」は、もと牧村家所有の茶室を移築したものである。この茶室は秀吉公の吉野山花見に設けられ「宗久茶屋」と称せられた。住宅は寛文2年(1662)の建築で今井町では、今西家に次いで古い。昭和47年5月15日重文指定。
- 称念寺 - 浄土真宗本願寺派の寺であり、御坊(今井山)である。今井町は称念寺を中心に発展した寺内町であったが、織田信長に武装解除されてから後は、堺と共に自治都市として幕末まで栄えた。また明治10年(1877)2月10日~11日、明治天皇の「大和行幸」の際の今井行在所(あんざいしょ)であった。本堂は近世初頭に再建されたもので、平成14年5月23日国の重要文化財に指定された。また、太鼓楼などが橿原市指定の文化財に指定されている。
- 中橋家住宅(重要文化財) - 屋号を「米彦」といい、米屋を営んでいた。建築年は分からないものの、寛廷元年(1748)の絵図に描かれていることから、当時すでに住居を構えていたことがわかる。宝暦11年(1761)には南町組頭を務めていた。昭和47年5月15日重文指定。
- 上田家住宅(重要文化財) - 屋号を「壺屋」といい、今西家・尾崎家と並び惣年寄を勤めていた。惣年寄の旗が残っている。延享元年(1744)の祈祷札がありこの頃の建築とみられる。入母屋造りで、大壁造の妻をみせた外観は重厚な感じを与え、入口が西に構えてるのは珍しい。昭和47年5月15日重文指定。
- 音村家住宅(重要文化財) - 屋号を「細九」といい、かつては金物問屋を営んでいた。17世紀後半頃の建築と推定される。昭和47年5月15日重文指定。
- 旧米谷家(こめたにけ)住宅(重要文化財) -屋号を「米忠」といい、代々金具商、肥料商を営んでいた。農家風の民家で、18世紀中頃の建築と推定される。内部は無料で一般公開されている。昭和47年5月15日重文指定。
- 河合家住宅(重要文化財) - 屋号を「上品寺屋」といい、寛永年間に上品寺村(橿原市上品寺町)から移住した。家蔵文書によると明和9年(1772)には既に酒を造っており、今なお酒造業を営んでいる。18世紀後半の建築。昭和51年5月20日重文指定。
- 高木家住宅(重要文化財) - 屋号を「大東の四条屋」といい、酒造業を営んでいた。切妻造本瓦葺きの2階建てで、幕末上層民家の特徴が残る。江戸時代末期(文政~天保頃) の建物。昭和47年5月15日重文指定。
- 吉村家(県指定文化財)-旧は上田家で、屋号を「壺八」といい、肥料商を営んでいた。主家は文化二年(1805)の再建とみられるが、他の建物は、主家より約50年程さかのぼるとみられている。
- 山尾家(県指定文化財)-山尾家は、十市郡新堂村より移住したので「新堂屋」の屋号で、幕末には、町年寄を務めた。
- 今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」 (県指定文化財) - 今井町に関する資料を展示する。入館無料。月曜日休館。今井観光案内の拠点となっている。建物は明治36年の建築で旧高市郡教育博物館であった。
- 今井まちづくりセンター - 今井町町並み保存会の活動拠点。月曜休館。
- 今井まちや館 - 本町筋の中央部にある18世紀初期の町家。保存復元工事の後、無料で一般公開している。月曜休館。
- 旧常福寺観音堂(市指定文化財)- 慶長18年(1613)建立。 橿原市今井町3丁目162 春日神社内にある。
- 旧常福寺表門(市指定文化財)
- 順明寺表門(市指定文化財)
- 春日神社-堺の有力商人から寄贈された手水鉢(ちょうずばち)が今も残る。江戸時代からの秋のだんじり祭りは、今もなお勇壮に続いている。
- 今井都市緑化-今井町の西南隅で、一部に環濠が残る。
- 今井児童公園-織田信長公本陣跡があったが第二次大戦の空襲による火事を回避するため取り壊したとの事。
その他
景観のために電線類の地中化を町並みの中心部(本町筋)で行っている。