国土地理院
国土地理院 こくどちりいん Geospatial Information Authority of Japan | |
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国土地理院庁舎 | |
役職 | |
院長 | 山本悟司 |
参事官 | 河瀬和重 |
総務部長 | 高石将也 |
企画部長 | 長谷川裕之 |
組織 | |
上部組織 | 国土交通省 |
内部部局 |
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地方機関 |
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概要 | |
所在地 |
〒305-0811 茨城県つくば市北郷1番 北緯36度6分16.5秒 東経140度5分4.5秒 / 北緯36.104583度 東経140.084583度 |
定員 | 651人(2024年度予算定員)[1] |
年間予算 | 86億6643万4千円[1](2024年度) |
設置根拠法令 | 国土交通省設置法 |
設置 | 1869年(明治2年)6月 |
改称 | 1960年(昭和35年)7月1日 |
前身 |
民部官庶務司戸籍地図掛(内務省地理局) 太政官政表課 兵部省陸軍参謀局間諜隊(参謀本部陸地測量部) 工部省測量司 地理調査所 |
ウェブサイト | |
国土地理院 |
本機関は日本の地理空間情報当局および国家地図作成機関に当たる。
概要
[編集]日本国内における「すべての測量の基礎となる測量」(基本測量)を自ら実施し国家座標の維持管理を行うほか、国土地理院以外の国の行政機関や公共団体が実施する公共測量の指導・助言を行う。また、地理空間情報の国際標準化や国際連合地名標準化会議・地理学的名称に関する国連専門家グループなどの国際会合への参画、宇宙測地や重力測定の国際的事業への参画など、国家地図作成機関としての国際協力も担っている。また、測量士試験、測量士補試験、測量士登録行政も行っている。
一般に国の基本図である「地形図」の発行元として知られ、この基礎データベースである電子国土基本図[注 1]を基に測定・公表される「全国都道府県市区町村別面積調」[注 2]は、地方交付税法に規定する、地方行政に要する経費の測定単位に関する数値の算定基礎として用いられている。また、災害対策基本法第2条第3号及び武力攻撃事態法第2条第4号に規定する指定行政機関として、地震・火山噴火等の災害時や武力攻撃事態等において、地形図や空中写真をはじめとする地理空間情報の提供のほか、GNSS測量や合成開口レーダーによる地殻変動の観測などによる災害観測も行う。
沿革
[編集]明治から戦前、戦中まで
[編集]1869年6月(明治2年5月)設立の民部官庶務司戸籍地図掛を行政組織の起源とするが、近代政府としての測量・地図に関する制度的な嚆矢としては、行政官が府県・諸侯に対して発した1868年(明治元年)12月24日の沙汰[注 4]にまで遡ることができる。戸籍地図掛は翌1870年(明治3年)には民部省地理司へと拡充し、翌1871年(明治4年)の民部省廃止に伴い測量地図作成業務は新設された工部省測量司に、同じく戸籍業務は大蔵省租税寮へ移管。内務省設置の1873年(明治6年)の翌年1月には、太政官達[2]により、同省に地理寮が発足した。その後、同年8月発布の太政官達[3]により、測量司(元工部省)[注 5]及び太政官正院内史地誌課[注 6]の業務等を移管統合しつつ、1877年(明治10年)に太政官達第3号[4]により「内務省地理局」と改称され、全国大三角測量と地籍調査の実施を主要業務とした。
一方で、1871年(明治4年)7月、兵部省に「機務密謀ニ参畫シ地圖政誌ヲ編輯シ並ニ間諜通報等ノ事ヲ掌ル」ことを目的に陸軍参謀局が設けられ、「平時ニ在リ是ヲ諸地方ニ分遣シ地理ヲ測量セシメ地圖ヲ製スルノ用ニ供スル事」として間諜隊が置かれた。翌年の2月に兵部省が陸軍・海軍両省に分割された際には陸軍省参謀局として存置されたが、1873年(明治6年)4月、「陸軍文庫・測量地圖・繪圖彫刻・兵史並兵家政誌蒐輯」を掌る陸軍省第六局(翌年再び参謀局と改称)となった。さらに、1878年(明治11年)12月、陸軍省参謀局の廃止と参謀本部設置を機に、同部の地図課・測量課として拡充・改称された[5]。
このように、一時期日本における測地測量は内務省地理局と参謀本部測量課により二元的に実施されてきたが、1884年(明治17年)6月26日、一連の太政官達[注 7]によって地理行政の業務が整理され、内務省地理局から大三角測量業務を参謀本部に移管、以後、同局の主な業務は地誌編纂中心に縮小されたこれに伴い参謀本部の地図課・測量課は「測量局」へと拡充(1884年9月)、さらに参謀本部の一局から分離され陸地測量部として本部長直属の独立官庁となるのは1888年(明治21年)5月[注 8]である。全国規模の陸地部における測量を統括するという原則は第二次世界大戦終戦時まで継続され、1945年(昭和20年)には東京大空襲を受けて各部署毎に長野県松本盆地に分散疎開した[6]。
陸地測量部発足以前
[編集]- 1869年(明治2年)
- 1870年(明治3年)7月 - 民部省庶務司戸籍地図掛が廃止され、民部省地理司測量掛、図籍掛、戸籍掛を設置。
- 1871年(明治4年)7月 - 兵部省陸軍参謀局に間諜隊を設置。地理調査と地図編集を担当。
- 1871年(明治4年)9月 - 工部省に測量司が設置される。測量、地図作製を担う部門が整備される。
- 1872年(明治5年)
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)7月 - 内務省庁舎が焼失し、ほとんどの地図原図、測量野帳、測量器機を失う。
- 1875年(明治8年) - 内務省地理寮量地局が関東地方全域の大三角測量事業(一等三角測量)を開始。
- 1877年(明治10年)1月 - 内務省地理寮が廃止され、内務省地理局が設置される。測量・地図作成・地誌編纂にあたる。
- 1878年(明治11年) - 陸軍省参謀局が廃止され参謀本部が設置。
- 1879年(明治12年) - 参謀本部が全国測量計画を策定。
- 1883年(明治16年) - 参謀本部が一等三角測量、一等水準測量を開始。
- 1884年(明治17年)
参謀本部 陸地測量部
[編集]- 1888年(明治21年)5月 - 陸地測量部条例が公布。参謀本部陸地測量部が発足。三角、地形、製図の3科と修技所を置く。
- 1891年(明治24年) - 東京三宅坂参謀本部内に日本水準原点を設置。
- 1892年(明治25年) - 東京麻布に日本経緯度原点を設置(東京天文台子午環中心)。
- 1910年(明治43年) - 2万5千分1地形図の作成を開始。
- 1915年(大正4年) - 一等三角測量が完了(明治成果)。
- 1924年(大正13年) - 全国5万分1地形図がほぼ完了(陸測の5万)。
- 1938年(昭和13年) - 国内の2万5千分1地形図の作成を中断。
- 1941年(昭和16年)4月 - 昭和16年勅令第505号により陸地測量部条例が全部改正。陸地測量部令となる。三角科が第一科、地形科が第二科、製図科が第三科、修技所が教育部となる。
- 1944年(昭和19年)4月 - 杉並区の明治大学予科校舎に疎開。
- 1945年(昭和20年) - 長野県中信地方に疎開。(波田村、梓村、塩尻町、明盛村温明の各国民学校)
終戦後
[編集]終戦直後、参謀本部第二部参謀・渡邊正少佐の「戦後の復興にも地図作成機関が必要」として文民組織へのいち早い切り替えの努力により[7][8]、「内務省官制中改正ノ件」(昭和20年勅令第502号)の制定・施行により、陸地測量部令[注 9]の廃止とともに陸地測量部は消滅、終戦2週間後の1945年(昭和20年)9月1日付けで文民組織である内務省地理調査所が新たに発足。貴重な資料・機器は、多くが戦後の混乱による散逸から免れた。翌年には、疎開先の長野県から千葉県千葉市稲毛(旧千葉陸軍戦車学校跡地)に移る(再移転は後述)。1948年(昭和23年)1月1日に建設院地理調査所[9]、続けて同年7月10日に建設省地理調査所[10]となり、1960年(昭和35年)7月1日に現在の国土地理院と改称された[11]。 その後、1984年(昭和59年)7月1日、国家行政組織法の改正により建設省の特別の機関に位置づけられ、更に中央省庁再編に伴い国土交通省の特別の機関となり現在に至っている。
本院は筑波研究学園都市内の茨城県つくば市北郷1番にある。1979年(昭和54年)に東京・目黒から現在地(当時は筑波郡谷田部町)に移転した。1996年(平成8年)6月1日に、地図や測量について親しめるような施設「地図と測量の科学館」を開館させた[12][13]。
内務省 地理調査所
[編集]- 1945年(昭和20年)8月31日 - 内務省官制が改正され、地理調査所の設置が決定。陸地測量部令は廃止され、陸地測量部が消滅。9月1日に地理調査所が暫定的に3課制(企画、測量、地図)で発足。
- 1946年(昭和21年)7月 - 長野県松本市郊外から千葉市黒砂町の旧陸軍戦車学校跡地に移転(稲毛庁舎)。
- 1947年(昭和22年)
建設省 地理調査所
[編集]- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)6月3日 - 測量法が公布される。
- 1950年(昭和25年) - 2万5千分1地形図の作成を再開。全国地磁気測量を開始。高知験潮場の開設を機に、全国各地に験潮場が新規開設され始める。
- 1951年(昭和26年)7月 - 地籍調査の実施を決めた12道県に地理調査所の支所を設置。四等三角測量・二等多角測量を実施。
- 1952年(昭和27年) - 国内重力測量を開始。
- 1953年(昭和28年) - 基本測量長期計画を告示(昭和28–37年度まで)。2万5千分1地形図による全国の平地部全域の整備、空中写真測量の実施などを明確化。以降、約10年ごとに改定。新たな20万分1地勢図の整備を開始。月による星の掩蔽(えんぺい)観測を開始。
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年) - 湖沼調査を開始。1万分1湖沼図の整備を開始。千葉県君津町(現 君津市)鹿野山に、地磁気絶対観測室を設置。
- 1956年(昭和31年)
- 南極観測事業に参加。地球物理観測と地図作成を主務として、測地・地形観測要員が参加。
- 6月 - 測量第1部・測量第2部を廃し、測地部・測図部に改編。写真測量による地図作成が実用・本格化。
- 1957年(昭和32年) - 技術員教育所が建設研修所測量研修部となる。
- 1958年(昭和33年)7月 - 千葉県千葉市から東京都目黒区の駒沢練兵場跡地へ庁舎を移転(東山庁舎)。東京支所が三宅坂に移転して関東支所に改称。
- 1960年(昭和35年)4月 - 水害予防対策土地条件調査(現 土地条件調査)を開始。洪水地形分類図(現 2万5千分1土地条件図)と地盤高及び水防要図の整備を開始。
建設省 国土地理院
[編集]- 1960年(昭和35年)
- 1962年(昭和37年) - 鹿野山測地観測所を設置。職員が常駐し本格的な天文・地磁気・重力などの連続観測を行う。
- 1963年(昭和38年) - 測量用航空機「くにかぜ」の運用が海上自衛隊宇都宮教育航空群へ移管される。
- 1964年(昭和39年)
- 第二次基本測量長期計画を告示(昭和39–49年度まで)。2万5千分1地形図の全国整備などを明確化。
- 人工衛星観測を開始。
- 写真図の作成を開始。
- 1965年(昭和40年) - 土地利用調査を開始。2万5千分1土地利用図の整備を開始。
- 1969年(昭和44年) - 地震予知連絡会を設置。
- 1972年(昭和47年) - 沿岸海域基礎調査を開始。沿岸海域地形図、沿岸海域土地条件図の整備を開始。
- 1973年(昭和48年) - 測量用航空機「くにかぜ」の運用が海上自衛隊徳島教育航空群第202教育航空隊へ移管される。
- 1974年(昭和49年) - 精密測地網測量を開始。
- 1979年(昭和54年) - 東京都目黒区から茨城県筑波郡谷田部町(現 つくば市)へ庁舎を移転。火山基本図の整備を開始。
- 1981年(昭和56年) - VLBI装置(可搬型VLBI観測装置)を導入。
- 1983年(昭和58年) - 2万5千分1地形図全国整備が完了(一部離島を除く)。1万分1地形図の整備を開始。測量用航空機「くにかぜ」が退役し、「くにかぜII」を運用開始。
- 1984年(昭和59年)7月1日 - 建設省の特別の機関となる。
- 1989年(平成元年) - 国土基本図データベース作成事業の開始。火山土地条件図の整備を開始。
- 1993年(平成5年) - 南関東・東海地域に電子基準点を設置。
- 1994年(平成6年) - 全国GPS連続観測施設の運用を開始。
- 1995年(平成7年) - GIS基盤情報整備事業の開始。都市圏活断層図(現 活断層図)の整備を開始。
- 1996年(平成8年)6月1日 - 地図と測量の科学館が開館。
- 1998年(平成10年) - つくばVLBI観測局を国土地理院構内に設置。地球地図の整備を開始。
国土交通省 国土地理院
[編集]- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年) - 電子基準点網の全国整備が完了。
- 2003年(平成15年) - 電子国土Webシステム(現 地理院地図)の運用を開始。数値地図25000(空間データ基盤)の全国整備が完了。
- 2007年(平成19年) - 測量法改正(測量成果の活用促進)。測量用航空機「くにかぜII」に航空測量用デジタル航空カメラ「Ultra Cam D」が導入される。
- 5月30日 - 地理空間情報活用推進基本法が公布される。
- 2009年(平成21年) - 測量用航空機「くにかぜII」が退役し、「くにかぜIII」を運用開始。航空機用合成開口レーダー (SAR) 装置の導入等による搭載機材の大型化に伴い機体をセスナ208に変え、運用もそれまでの防衛省から民間委託となり、共立航空撮影により運用される。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 国土地理院の英称を Geospatial Information Authority of Japan に変更(略称は GSI のまま変更なし)。
- 2011年(平成23年) - 東北地方太平洋沖地震の影響で日本経緯度原点及び日本水準原点の原点数値を改正。
- 2012年(平成24年) - 明治期の低湿地データの整備を開始。地震による液状化発生に関与する、過去の土地利用を再現。
- 2013年(平成25年)7月 - 地理院地図の運用を開始。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年) - 電子地形図20万、数値地図(国土基本情報20万)の全国整備が完了。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年) - ビッグデータを用いた地形図(登山道)の修正を開始。
- 2019年(令和元年)
- 2020年(令和2年)4月1日 - 民間等が設置するGNSS連続観測局について、国土地理院がその性能に応じて級別に登録する制度を開始。
- 2021年(令和3年)5月26日 - 電子国土基本図がベース・レジストリ(デジタル社会形成基本法第31条に規定する「公的基礎情報データベース」)に指定される[14]。
- 2022年(令和4年)2月1日 - 国家座標の認証に係る指針[15]を公表。
- 2023年(令和5年)
- 2024年(令和6年)
- 4月1日 - 東京に置かれる本院組織として防災・地理空間情報企画センターが発足。
- 6月19日 - 測量法改正(技術の進展に対応した担い手の確保、測量成果等の提供の電子化等)。
組織
[編集]国土地理院の内部組織は一般的に、法律の国土交通省設置法、政令の国土交通省組織令および省令の国土地理院組織規則が階層的に規定している。
本院
[編集](茨城県つくば市北郷1番)
- 院長
- 参事官
- 総務部 - 測量法の施行に関する事務、事務全般に関する業務を行う。
- 総務課
- 政策課
- 人事課
- 会計課
- 契約課
- 厚生課
- 広報広聴室
- 企画部 - 事業計画・研究開発計画の企画・立案、防災に関する企画・立案、測量の技術・管理の改善に関する事務、公共測量の指導・助言、国際協力・交流に関する業務等を行う。
- 企画調整課
- 防災課
- 技術管理課
- 測量指導課
- 国際課
- 測地部 - 基本測量における測地測量(基準点測量)、地殻活動の異常な地域における地殻活動の観測、地磁気測量、重力測量及びジオイド測量、超長基線測量等を行う。
- 計画課
- 測地基準課
- 物理測地課
- 宇宙測地課
- 地理空間情報部 - 地理空間情報の管理・提供・地域連携、地理院地図(電子国土Web)等に関する情報通信システムの開発等を行う。
- 企画調査課
- 情報企画課
- 情報サービス課
- 情報普及課
- 情報システム課
- 基本図情報部 - 国土の地図の作成、地名等の資料の収集・処理、陸地の面積の測定、基盤地図情報の整備、空中写真の整備・更新、写真測量・リモートセンシングの測図技術に関する業務等を行う。
- 管理課
- 国土基本情報課
- 基本図課
- 地名情報課
- 画像調査課
- 地図情報技術開発室
- 応用地理部 - 低地・火山・活断層・湖沼等の地理に関する調査図(地形分類等)の作成、防災及び環境保全に必要な地理空間情報の整備等を行う。
- 企画課
- 地理調査課
- 地理情報処理課
- 防災・地理空間情報企画センター - 防災に係る事項のうち情報通信システム及び緊急災害対策派遣隊に関する企画・立案等、技術に関する事項のうち地理空間情報及び測量に関する渉外の総括、地理空間情報及び地理情報システムの整備及び利用に関する事項の企画・立案等を行う。
- 防災企画調整課
- 地理空間情報企画課
- 測地観測センター - 電子基準点の運用、地殻変動の連続観測、測地に関する人工衛星情報の収集・解析・管理・提供、験潮等を行う。
- 衛星測地課
- 電子基準点課
- 地殻監視課
- 地理殻活動研究センター - 地殻変動、宇宙測地及び地理情報解析に関する基礎的な研究を行う。
- 研究管理課
- 地殻変動研究室
- 宇宙測地研究室
- 地理情報解析研究室
地方測量部及び支所
[編集]- 北海道地方測量部 (北海道札幌市北区8条西2-1-1)
- 管轄:北海道
- 東北地方測量部(宮城県仙台市宮城野区五輪1-3-15)
- 管轄:青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県
- 関東地方測量部(東京都千代田区九段南1-1-15)
- 管轄:茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、長野県
- 北陸地方測量部(富山県富山市牛島新町11-7)
- 管轄:新潟県、富山県、石川県、福井県
- 中部地方測量部(愛知県名古屋市中区三の丸2-5-1)
- 管轄:岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
- 近畿地方測量部(大阪府大阪市中央区大手前4-1-76)
- 管轄:滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
- 中国地方測量部(広島県広島市中区上八丁堀6-30)
- 管轄:鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県
- 四国地方測量部(香川県高松市サンポート3-33)
- 管轄:徳島県、香川県、愛媛県、高知県
- 九州地方測量部(福岡県福岡市博多区博多駅東2-11-1)
- 管轄:福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県
- 沖縄支所(沖縄県那覇市おもろまち2-1-1)
- 管轄:沖縄県
その他施設
[編集]- 石岡測地観測局(茨城県石岡市)
- 水沢測地観測所(岩手県奥州市)
- 鹿野山測地観測所(千葉県君津市)
- 東海機動観測基地(静岡県掛川市)
- 地図と測量の科学館 (茨城県つくば市)
- 忍路験潮場(北海道小樽市忍路)
- 奥尻験潮場(北海道奥尻郡奥尻町)
- 浅虫験潮場(青森県青森市浅虫)
- 男鹿験潮場(秋田県男鹿市戸賀塩浜)
- 鼠ケ関験潮場(山形県鶴岡市鼠ヶ関)
- 飛島験潮場(山形県酒田市飛島)
- 相馬験潮場(福島県相馬市原釜)
- 勝浦験潮場(千葉県勝浦市興津)
- 油壺験潮場(神奈川県三浦市三崎町)
- 小木験潮場(新潟県佐渡市)
- 柏崎験潮場(新潟県柏崎市鯨波)
- 三国験潮場(福井県坂井市三国町)
- 伊東験潮場(静岡県伊東市富戸)
- 田子験潮場(静岡県賀茂郡西伊豆町)
- 焼津験潮場(静岡県焼津市中港)
- 鬼崎験潮場(愛知県常滑市港町)
- 海南験潮場(和歌山県海南市冷水)
- 田後験潮場(鳥取県岩美郡岩美町)
- 須佐験潮場(山口県萩市)
- 久礼験潮場(高知県高岡郡中土佐町)
- 仮屋験潮場(佐賀県東松浦郡玄海町)
- 細島験潮場(宮崎県日向市細島町)
- 阿久根験潮場(鹿児島県阿久根市波留)
- 沖縄験潮場(沖縄県南城市)
幹部
[編集]国土地理院の幹部は以下のとおりである[17]。幹部名簿には、事務官と技官の別の記載があり、総務部(広報広聴室長を除く)、主任監査官、監査官、適正業務管理官及び各地方測量部の管理課長は事務官、他のすべての幹部は技官[17]である。
なお、院長に直属する参事官は、国土地理院組織規則(平成13年国土交通省令第20号)では、他の中央官庁における参事官(課長級)と同様、国土地理院の所掌事務に関する重要事項の企画及び立案に参画する(第3条)とされる。ただ、建制順では院長の次に位置し、英訳名称も Deputy Director-General(副院長)となっている[18][19]。
- 院長:山本悟司
- 参事官:河瀬和重
- 総務部長:高石将也
- 企画部長:長谷川裕之
- 測地部長:山際敦史
- 地理空間情報部長:岡谷隆基
- 基本図情報部長:飯田洋
- 応用地理部長:大塚孝治
- 防災・地理空間情報企画センター長:中村孝之
- 測地観測センター長:宮川康平
- 地理殻活動研究センター長:矢来博司
地形等の正式名
[編集]島名や海峡名などについて、国土地理院と海上保安庁とが協議して名称を固定している。日本ではこの名称を「正式名」と呼ぶことになっている。場合によっては、住民も自治体も通常用いない名称がこの正式名として定められる場合がある(例:屋代島(俗称:周防大島))。
山名などについてはこのような制度はない。
所管法人・財政・職員
[編集]国土交通省の該当の項を参照
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 電子国土基本図は、ベース・レジストリ(デジタル社会形成基本法第31条に規定する「公的基礎情報データベース」)に指定されている。
- ^ 全国都道府県市区町村別面積調 - 国土地理院
- ^ 建物自体は西南戦争後に着工、明治14年に落成。参謀本部として供用中の明治27年、明治東京地震により若干の被害を受け、修理している。参謀本部は明治31年に完成した新館に転出した。
- ^ 明治元年12月24日付の府県・諸侯宛ての行政官沙汰は、凡例等について詳細に指示した上で管轄地図を調製させる旨であった「行政官沙汰」1868年12月24日。。
- ^ 明治4年8月14日設置。元工部省管轄、内務省発足に伴い引き継ぐ。
- ^ 起源は明治4年6月8日設置の太政官政表課。
- ^ 太政官達の1件目、1884年(明治17年)6月26日実施の地理行政の整理のため、内務省地理局の大三角測量業務を終了。「内務省所属大三角測量事務ヲ参謀本部ニ引渡」太政官達の2件目、1884年(明治17年)6月26日実施の地理行政の整理に備えて参謀本部に大三角測量業務を移管。「内務省所属大三角測量事務ヲ参謀本部ニ請取」
- ^ 陸地測量部條例(明治21年5月勅令第25号)により制定された。
- ^ 昭和16年勅令第505号(1941年)。明治21年5月勅令第25号(1889年)の全面改正。
出典
[編集]- ^ a b 令和6年度一般会計予算 (PDF) 財務省
- ^ 「太政官達」1874年(明治7年)1月。「大蔵省中戸籍、土木、駅逓ノ三寮及租税寮中地理、勧農ノ事務ヲ内務省ニ交割セシム」
- ^ 「太政官達」。「内務省中測量司ヲ廃シ地理寮ヘ量地課ヲ置キ内史所管地誌課ヲ地理寮ニ併ス」
- ^ 「各省中諸寮ヲ廃シ局ヲ設ケシム」第3号、太政官。
- ^ [1][2][3][4][5][6]
- ^ 金窪敏知「陸地測量部から地理調査所へ」『地図』第52巻第1号、2014年、1_13-1_18、doi:10.11212/jjca.52.1_13。
- ^ 地理情報部 (2005年12月). “渡邊正氏に国土地理院長から感謝状”. 国土地理院広報. 2014年8月6日閲覧。
- ^ 『地図の読み方事典』東京堂出版、164-165頁。
- ^ 1947年(昭和22年)12月26日法律第237号「建設院設置法」
- ^ 1948年(昭和23年)7月8日法律第113号「建設省設置法」
- ^ 1960年(昭和35年)7月1日法律第115号「建設省設置法の一部を改正する法律」
- ^ 長岡 1997, p. 42.
- ^ 日本測量協会 1996, p. 34-35.
- ^ 内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室 (2021年5月26日). “ベース・レジストリの指定について” (PDF). 2021年10月18日閲覧。
- ^ 国土地理院 (2022年2月1日). “国家座標の認証に係る指針” (PDF). 2023年2月28日閲覧。
- ^ “Q2.16:日本の島の数は?”. 国土の情報に関するQ&A. 国土地理院. 2023年2月28日閲覧。
- ^ a b “国土地理院幹部一覧表(令和6年10月1日現在)”. 国土地理院. 2024年10月11日閲覧。
- ^ “Organization Chart”. 国土地理院. 2024年8月13日閲覧。
- ^ 河瀬和重「横Mercator図法を“真球でなく扁平な”地球に適用することの無意味さについて」『国土地理院時報』第137巻、国土地理院、2024年、7-12頁、doi:10.57499/JOURNAL_137_02。
参考文献
[編集]- 金窪敏知「陸地測量部から地理調査所へ」『地図』第52巻第1号、日本地図学会、2014年、13-18頁、doi:10.11212/jjca.52.1_13。
- 長岡正利「国土地理院に「地図と測量の科学館」―平成8年6月1日開館―」『びぶろす』第48巻第2号、国立国会図書館協力部、1997年、42-45頁、doi:10.11501/9664580。
- 日本測量協会「地図と測量の科学館が6月にオープン!」『測量』第46巻第5号、日本測量協会、1996年、34-37頁。
- 斉藤敏夫、佐藤侊、師橋辰夫「明治初期測量史試論 伊能忠敬から近代測量の確立まで」『地図』第15巻第3号、日本地図学会、1977年、1-13頁、doi:10.11212/jjca1963.15.3_1。
- 清水靖夫「内務省地理局『東京実測全図』について」『地図』第6巻第3号、日本地図学会、1968年、1-6頁、doi:10.11212/jjca1963.6.3_1。
関連項目
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外部リンク
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