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筒井はじめ

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つつい はじめ
筒井 はじめ
筒井 はじめ
生年月日 (1970-12-07) 1970年12月7日(54歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
血液型 O型
職業 芸術家
公式サイト TSUTSUIHAJIME officialweb
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筒井はじめ(本名:筒井 一(つついはじめ)、1970年12月7日 - )は、日本の芸術家デザイナー音楽家。また、フォトグラファーとして本名名義で活動する他、カメラカメン、HAJIMEROCKの名義でタレントなどの写真集を出版している。東京都葛飾区出身。『TSUTSUIHAJIME×HYOUZAEMON』『TSUTSUI HAJIME×L'HOMOS』『NINITA』のブランドデザイナー。

人物

1970年(昭和45年)生まれ。東京都葛飾区出身。1983年(昭和58年)世田谷区松原小学校卒業、1986年(昭和61年)世田谷区立梅丘中学校卒業。

東京都葛飾区亀有(当時)にて、結婚式場経営(大原会館)の父(筒井弘之助)と、母の長男として生まれ、父は男なら「吾一」女なら「貞子」の名を用意していたが、実姉から反対され、「一(はじめ)」と命名された。2001年「船井メディア」の対談コラムでは「生まれたのは下町だけど、すぐに世田谷区に引っ越しました。」と話している[1][2]

芸術方面に長けていた父に影響され、子供絵画コンクールでは多くの受賞。6歳の誕生日プレゼントは一眼レフカメラ。毎月24枚フィルムを一本与えられ、一枚一枚大切に撮影をしていた。中学校時代、家出同然で知人宅を転々とする青春時代を過ごした。16歳の時、父が不治の病に倒れ他界。

1990年(当時20歳)、働いて貯めた資金を運用し日本橋茅場町に天ぷら屋をオープンする。400円で天丼を提供したことで商売は安定したが経営に熱が入らず、一切を転売してしまう。後に榊英雄がパーソナリティーを勤める[[HAVE SOME FUN]](SHIBUYA-FM)の出演時に「いくらエビが大好きでも、それだけでは商売は続かない。」と語っている。

20代の大半を国外放浪する。この放浪経験が芸術基盤になっている。28歳の夏、母が不治の病になり余命宣告を聞かされ帰国。母の看病は一年半続き、その日々で母のために描き続けた花の作風が後の代表作になる。

筒井が経営する都会の森ガーデンで、撮影中だったファッション雑誌 「SEDA」のロケを見学して感化され、看板用に用意した100号キャンパスに花を描く。これが絵画を本格的に取り組むきっかけとなる。

田中聖の紹介で、元内閣府官僚である大前 孝太郎と出会い、ラブコモンズを結成。「北区花火会」プロデュース、社会貢献をテーマとするラブコモンズメッセージ「大人の皆様へ」[3]発表、子供たちのために何ができるかをテーマとする展覧会「ラブコモンズ展」を上野の森美術館ギャラリーで開催[4]するなど、芸術の可能性と向き合う活動に取り組んでいる。

来歴・経歴

都会の森ガーデン

2000年「都会の森ガーデン」製作開始。1700坪の敷地に「大人の秘密基地」をコンセプトにレストラン&アート空間を作りあげる。広大な敷地に広がる斬新な世界観が話題を呼び、TV・雑誌の取材オファーが絶えなかった。アド街ック天国(テレビ東京)では、井筒零として出演。

その後、映画「2番目の彼女」(2004年大森美香監督)・ファッション雑誌SEDAminiJILEpringなどのロケで使用される[5][6][7]

NINITA

2003年の春、都会の森ガーデンでSEDAのロケに参加していた西脇智代(スタイリスト)と立野正(ヘアメイクアーティスト)と出会う。様々なロケ現場で遊びに来るよう言われ出入りするうちに、ファッションブランドNINITAのデザイナーとして契約。

NINITAで描いたデザインは評価され、宮崎あおい [8]長澤まさみ深田恭子石原さとみ大塚愛など数多くの女優・ミュージシャンたちが衣装として着用した[9]。都会の森ガーデンを経営しながら、デザイナーとして活動を開始、こうして芸能界と深い関わりを持ち始めた。

映像作家、写真家としての活動

2001年、船井幸雄メディアが発刊する月刊誌「FunaiMedia」表紙デザイン、舞台公演ポスターを年間通して手がける。[10]

2005年、ミステカ族の結婚式のドキュメンタリーで監督デビューを果たし、日本郵政公社主催「第20回全日本DM大賞」銅賞を受賞した。これを機に映像作家としても活動を開始する。2006年、YouTube公式チャンネルCameracamenfilmsを開設。その年に投稿された動画の中から最も素晴らしい動画を決める、YouTube VIDEO AWARDS JAPAN 2008にノミネートされる。cotorichにビデオブログを始めたいと相談された際、「おはよう、こんにちは、こんばんは、いつ見てるかわからないから挨拶全部」というフレーズを伝授した[11]。後に「cotorichのビデオ日記」は話題を呼び、6900万再生回数を超えるチャンネルと成長する[12]

2008年、20代から世界中を旅して撮りためた写真集「美しい人へ」を発表。SpecialThanksには、飯田 譲治犬飼恭子大森美香早乙女太一山崎ハコ服部茂章など、著名人が多数記載してある[13]

同年、早乙女太一を13歳から撮り続けた写真集「13-15」がワニブックスから出版される。早乙女の13歳から15歳までの写真は筒井しか撮影しておらず話題になった。7月20日福家書店銀座店にて行われた記者会見では、早乙女と一緒に壇上に上がった[14]。 2011年、貝を主人公にした3DCGアニメーション「貝星君」を発表。第18回上海電視節(上海テレビフェスティバル)にて優秀賞を受賞した[15]

GENERAL HEAD MOUNTAINビジュアルディレクションを担当、シングル、アルバム、アーティスト写真、PVを制作。

芸術家としての活動

2000年-2004年

都会の森ガーデン経営時代、谷村大輔谷村新司長男)の主催するアートチーム「コアファイタ」に参加。定期的に六本木界隈でアートイベントを行う。

2000年、母に捧げた花の絵が、世田谷美術館展賞を受賞。画家としての活動が認められ、東京大学病院内にある「めだかの学校」にて美術講師を2期務める。

2001年、ジャパンアートグランプリ ホルベインスポンサー賞受賞。

2004年、早乙女太一(当時13歳)と出会い、着物を制作するようになる。2007年、早乙女がNHK紅白歌合戦に初出場した際に着用した着物を手掛け、その後早乙女は3年連続、筒井の着物を着用してNHK紅白歌合戦に出場した。中でも全面をプラチナ染料で染めた着物は4000万円の保険が付き、最も高額保険の付いた着物として話題となった[16]

2008-2010年

2008年、ラフォーレ原宿・池袋パルコにてライブペイント開催。

2009年、インディー500NASCARにて、TOYOTA日本政府共同チーム「YOKOSO!JAPAN」のカーデザインを担当。アメリカ国技で日本人がデザイナーを務めるのはヒロヤマガタ以来、2人目である。チームオーナーはレーサー服部茂章。デザインは依頼を受けた瞬間に感じた言葉を表現したと語っている[17] [18]

箸ブランド「TSUTSUIHAJIME×HYOZAEMON」を発表。新宿小田急百貨店正面スペースにて行われたオープンレセプションを皮切りに、有楽町マルイ・池袋マルイ阪急百貨店などで特別販売を行う。「TSUTSUIHAJIME×HYOZAEMON」はマイ箸ブームを起こし、40万本(善)売れ話題を呼んだ。後に天皇皇后両陛下の使用する箸を手掛け、従来の作品から大きく飛躍した作品を発表する[19]

富士紡とインナーズブランド『TSUTSUI HAJIME×L'HOMOS』を発表。

大相撲行司木村堅治郎の軍配「花美絵無」を手掛け、2009年9月場所で使用された[20]

2010年、春、古事記に登場する神々をキャラクター化した「きみとも」を発表。著作「KIMITOMO(この世界はあなたのものである。)」がある。

2011年

きみともキャラクターのベンザイテンが城北信用金庫の現金封筒キャラクターとして採用される。その際、封筒にアルファベットで名前が記載された。金融機関の封筒に個人名が記載されたのは日本初の事例となった。後に、OKI電機が開発した、日本初人間工学に基づいて作られた城北信用金庫のATM機のデザインにも採用される。

ラブコモンズ(詳細は「ラブコモンズ」を参照)を結成。社会貢献に関する共同研究を行い、その研究過程で得た感覚をアートとして表現するアートユニットである。

2012年

アメリカWBA(Western Baseball Association)リーグに所属する野球チーム「サムライ サンディエゴ」のユニホームデザイン及びチームキャラクター「チェイス君」を手掛ける。

3月に開催された「東京国際アニメフェア2012」に「きみとも」が正式ノミネート。

8月、スマートフォンケース「TSUTSUIHAJIME×SMILE WORLD」を発表。

2013年

絵画展「ラブコモンズ展」を上野の森美術館ギャラリーにて開催。描き下ろし作品30点に加え、会場で描いた絵など合わせて70作品を展示した。3月3日には、東日本大震災で被災した子供たちとライブペインティングを開催。1枚のキャンパスに協力して完成させた絵は、美しく生命力にあふれた作品となった[21]

補足

全日本空輸と機内限定の箸を手掛け、機内誌ANA SKY SHOPの表紙を飾る。「ANAのSKYは宇宙へ」をテーマにモダンで美しいデザインされている[22]

レッスンを一切引き受けない事で定評のシンガーソングライター山崎ハコが声質に惚れこみ唯一リズムレッスン&ボイストレーニングをしたことをラジオで明かす。その際に教材として使用した映像をYOUTUBEで公開している。[23]

小説家狗飼恭子の長編小説「低温火傷」主人公音海の恋人筒井はじめとして登場。クライマックスにはじめが音海に答える実娘の名前に筒井実母の『よしこ』を使っている。

万年筆メーカープラチナ萬年筆社長中田俊也から幻の万年筆をプレゼントされた。その万年筆で友人である大森南朋浅草キッドに年賀状を書いている[24]

2008年 春、早乙女太一とアメーバスタジオ(AmebaVision参照)で番組を持つ。原宿公開スタジオでは、毎回整理券が配られるほどの反響を呼んだ[25]

脚注

  1. ^ 船井幸雄.com|船井幸雄グループ社員の、日々もの思い、考へる”. 2013年3月18日閲覧。
  2. ^ 船井幸雄.com|船井幸雄のいま知らせたいこと”. 2013年3月18日閲覧。
  3. ^ 大人の皆様へ|ラブコモンズメッセ―ジ”. 2013年3月20日閲覧。
  4. ^ 筒井はじめオフィシャルサイト|ニュース”. 2013年3月20日閲覧。
  5. ^ 「spring」『ファッション雑誌』第10巻、宝島社、2005年9月、107頁。 
  6. ^ 「mini」『ファッション雑誌』第60巻、宝島社、2000年8月、98頁。 
  7. ^ 「SPUR」『ファッション雑誌』2006年2月、58頁。 
  8. ^ 宮崎あおいさん、大塚愛さん。:nara store blog:So-netブログ”. 2013年3月18日閲覧。
  9. ^ 著名人.com”. 2013年3月20日閲覧。
  10. ^ 著名人.com”. 2013年3月20日閲覧。
  11. ^ 「spring」『雑誌』、マガジンハウス、2008年12月、45頁。 
  12. ^ コトリッチのビデオ日記”. 2013年3月20日閲覧。
  13. ^ 「spring」『写真集』、僕出版、2008年11月、124頁。 
  14. ^ 《道路側新聞社のオフィス》人気女形・早乙女太一が心情語る「女性になりたいと思っていない」”. 2013年3月20日閲覧。
  15. ^ TSUTSUIHAJIMEOFFICIALSITE”. 2013年3月20日閲覧。
  16. ^ 「週刊朝日」『週刊誌』、朝日新聞出版、2008年1月。 
  17. ^ “東京スポーツ”. 新聞. (2009年2月). 
  18. ^ 米国最大の自動車レース開幕戦に「CarNo.01 Yokoso!Japan TOYOTA」出場”. 日本政府観光局. 2013年3月20日閲覧。
  19. ^ 筒井はじめ×兵左衛門×ANA. 全日本空輸. (2009年7月). p. 004. 
  20. ^ 行司・木村堅治郎(きむら けんじろう)”. 大相撲 峰崎部屋. 2013年3月20日閲覧。
  21. ^ 月刊美術「日本のために、そして世界中の子供たちのために」. 451. 実業之日本社. (2013年3月). p. 004. 
  22. ^ 筒井はじめ×兵左衛門×ANA. 全日本空輸. (2009年7月). p. 005. 
  23. ^ ハコからのビデオレター”. YouTube筒井はじめ関連チャンネル. 2013年3月20日閲覧。
  24. ^ 筒井はじめと幻のプラチナ万年筆”. 2013年3月18日閲覧。
  25. ^ たいちとはじめ(2)”. YouTube筒井はじめ関連チャンネル. 2013年3月20日閲覧。

外部リンク

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