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総武流山電鉄3000形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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総武流山電鉄3000形電車(そうぶながれやまでんてつ3000がたでんしゃ)は、流鉄が総武流山電鉄時代の1999年西武鉄道(西武)から譲受して運用を開始した通勤形電車

本項では、2010年から運用を開始した、種車が3000形と同一系列である流鉄5000形電車(りゅうてつ5000がたでんしゃ)についても記述する。なお、総武流山電鉄→流鉄では1979年1200形導入以来、新規に導入した編成に対し編成愛称を付けており、本項でも編成を表す場合は編成愛称を用いる。

3000形

  • クモハ3001-モハ3101-クハ31(「流星[注 1]」) - 元モハ136-モハ135-クハ1135。
  • クモハ3002-モハ3102-クハ32(「若葉」) - 元モハ132-モハ131-クハ1131。

ともに1970年西武所沢車両工場製。

在来車1200形・1300形の置き換えのため、1999年に(旧)101系の4両編成2本を3両編成化して譲受したもの。3両編成化に際し、種車のうちモハ101形偶数車に、廃車となるクハ1101形の運転台を接合して先頭車化を行っている。形式は、馬橋寄り車両が制御車クハ30形、中間車が主制御器と菱形パンタグラフ2基を装備した電動車モハ3100形、流山寄り車両が制御電動車クモハ3000形である。なお、本系列は西武(旧)101系で唯一の他事業者への譲渡事例である。

2010年1月20日の全列車2両編成化により定期運用を離脱し、「流星」は同年8月29日[1]、「若葉」は2011年5月15日[2]さよなら運転をもって運用を終了し、廃車となった。

総武流山電鉄(流鉄)3000形 編成表
 
馬橋
流山
編成愛称
塗色
形式 クハ30
(Tc)
モハ3100
(M1)
クモハ3000
(Mc2)
車両番号
( )内は西武時代
31
(クハ1135)
3101
(モハ135)
3001
(モハ136)
流星(2代)[注 2]
橙色地・N字形白帯
32
(クハ1131)
3102
(モハ131)
3002
(モハ132)
若葉(2代)[注 3]
黄緑地・N字形白帯[注 4]

5000形

  • クモハ5001-クモハ5101(「流馬[注 5]」) - 元クモハ273-クモハ274。
  • クモハ5002-クモハ5102(「流星[注 1]」) - 元クモハ275-クモハ276。
  • クモハ5003-クモハ5103(「あかぎ」) - 元クモハ277-クモハ278。
  • クモハ5004-クモハ5104(「若葉」) - 元クモハ287-クモハ288。
  • クモハ5005-クモハ5105(「なの花」) - 元クモハ271-クモハ272。

5004編成は1979年東急車輛製造製、それ以外の4編成は1982年西武所沢車両工場製。

つくばエクスプレス開業後の流山線の合理化の一環として、定期列車を終日ワンマン運転の2両編成にするために、2009年以降、新101系の2両編成を譲受したもの。編成両車とも制御電動車で、形式は馬橋寄り車両がクモハ5100形、流山寄り車両が主制御器と菱形パンタグラフ2基を装備したクモハ5000形である。譲受に際しては、ワンマン運転対応改造に加え、前面行先表示器LED化が実施されている。なお、3000形とはMMユニットの向きが逆である。

2009年に5001編成(後の「流馬」)が武蔵丘車両検修場で改造され、6月17日に流鉄カラーとなり同所から南入曽車両基地まで[3]移動の後、6月22日新秋津駅から馬橋駅まで甲種輸送された[4]

流山線入線後に愛称板の取り付けと行先表示器のLED化が行われた。西武時代に種別幕だった表示器には「ワンマン」を表示する。

2009年度冬からの運行開始が駅の掲示板で告知された後、2010年1月23日のダイヤ改正に先がけ、同月20日に営業運転が開始された[5]

5002編成は2010年度に導入が予定され[6]、 2010年9月に車両が甲種輸送された後、翌2011年3月11日に「流星」として営業運転が開始された[7]

2011年10月には5003編成が甲種輸送され[8]、2012年3月14日に2代目「あかぎ」として営業運転が開始された[9]

2012年9月には5004編成が甲種輸送され[10]、3代目「若葉」として12月3日から営業運転開始された[11]

2013年9月には5005編成が甲種輸送され[12]、3代目「なの花」として12月6日から営業運転開始された[13]。これにより、全5編成が出揃い、在来形式をすべて置き換えた。

なお、5003編成は2011年6月5日に西武鉄道の武蔵丘車両検修場で開催された「西武・電車フェスタ2011 in 武蔵丘車両検修場」にて、本系列への改造途上の状態で展示されている引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足しています
水色地・N字形白帯 |- |5102
(クモハ276) |5002
(クモハ275) |流星(3代)[注 6]
橙色地・N字形白帯 |- |5103
(クモハ278) |5003
(クモハ277) |あかぎ(2代)[注 7]
臙脂色地・N字形白帯 |- |5104
(クモハ288) |5004
(クモハ287) |若葉(3代)[注 8]
黄緑地・N字形白帯[注 4] |- |5105
(クモハ272) |5005
(クモハ271) |なの花(3代)[注 9]
黄色地・N字形黄緑帯 |- |}

脚注

注釈

  1. ^ a b 読みは「りゅうせい」。
  2. ^ 初代は1200形1201編成、3代は5000形5002編成。
  3. ^ 初代は1200形1208編成、3代は5000形5004編成。
  4. ^ a b 初代「若葉」1200形1208編成の塗色は若草色地に白帯であった。
  5. ^ 読みは「りゅうま」。
  6. ^ 初代は1200形1201編成、2代は3000形3001編成。
  7. ^ 初代は1300形1301編成。
  8. ^ 初代は1200形1208編成、2代は3000形3002編成。
  9. ^ 初代は1200形1210編成、2代は2000形2005編成。

出典

  1. ^ “流鉄で「流星」のさよなら運転”. 鉄道ファン・railf.jp (2010年8月30日11:49 掲載). http://railf.jp/news/2010/08/30/114900.html. 
  2. ^ “流鉄3000系「若葉」が,さようなら運転”. 鉄道ファン・railf.jp (2011年5月16日19:22 掲載). http://railf.jp/news/2011/05/16/192200.html. 
  3. ^ “流鉄色となった新101系が出場”. 鉄道ファン・railf.jp (2009年6月18日16:20 掲載). http://railf.jp/news/2009/06/18/162000.html. 
  4. ^ “流鉄5000系が甲種輸送される”. 鉄道ファン・railf.jp (2009年6月23日15:56 掲載). http://railf.jp/news/2009/06/23/155600.html. 
  5. ^ “流鉄5000形(3代目「流馬」)が営業運転を開始”. 鉄道ファン・railf.jp (2010年1月21日17:38 掲載). http://railf.jp/news/2010/01/21/173800.html. 
  6. ^ 交友社 (2010年9月28日). “流鉄5000系第2編成が甲種輸送される”. 2010年9月30日閲覧。
  7. ^ 交友社 (2011年3月20日). “流鉄5000系「流星」が営業運転開始”. 2011年6月6日閲覧。
  8. ^ 交友社 (2011年10月18日). “流鉄5000系が甲種輸送される”. 2011年10月18日閲覧。
  9. ^ 交友社 (2012年3月20日). “流鉄 二代目「あかぎ」が営業運転を開始”. 2011年7月17日閲覧。
  10. ^ 交友社 (2012年9月11日). “もと西武鉄道新101系が流鉄へ”. 2012年9月12日閲覧。
  11. ^ 交友社 (2012年12月7日). “流鉄5000形第4編成が営業運転を開始”. 2012年12月7日閲覧。
  12. ^ 交友社 (2013年9月10日). “流鉄5000形が甲種輸送される”. 2013年9月10日閲覧。
  13. ^ 交友社 (2013年12月7日). “流鉄5000形,三代目「なの花」号が営業運転を開始”. 2012年12月7日閲覧。

参考文献

  • 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 路面電車・中私鉄編』JTB(現、JTBパブリッシング)〈JTBキャンブックス〉、2003年4月。ISBN 4-533-04718-1 

関連項目

他社の西武新101系譲渡車

外部リンク

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