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今川義用

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今川義用(いまがわ よしもち、天明6年(1786年) - 天保10年(1839年))は、江戸時代高家旗本。高家旗本今川義彰の長男。生母は小笠原氏。通称は彦三郎、刑部。官位は従四位下侍従、上総介。

文化5年(1808年)12月1日将軍徳川家斉に御目見する。文政元年(1818年)11月4日父義彰の死去により、家督を相続する。文政2年(1819年)12月24日高家職に就き、従五位下侍従・刑部大輔に叙任する。後に上総介に改める。天保10年(1839年)死去、享年54。

正妻は本庄道昌の娘。長男義順、次男西尾治左衛門あり。なお、今川範叙は孫にあたる。

先代
今川義彰
高家今川氏歴代当主
1786~1839
次代
今川義順
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