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国枝慎吾

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Template:プロテニスプレイヤー 国枝 慎吾(くにえだ しんご、1984年2月21日 - )は、日本のプロ車いすテニス選手。トヨタ自動車所属。

グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計48回(シングルス27回、ダブルス21回)優勝の記録保持者。年間最終世界ランキングでは1位を8回記録している[1]

シングルスでは、年間グランドスラム(3冠)を計5回達成し、ダブルスではキャリアグランドスラムと4大会連続優勝を果たしている。

パラリンピックでは、金メダルをシングルスで8個、ダブルスで2個獲得。5大会連続(2004年アテネ〜2020年東京)でメダル獲得をしている。

人物

1984年2月21日東京都出身。千葉県海浜幕張市在住。身長173cm。麗澤大学国際経済学部卒。右打ちでハードコートを得意とし、オーエックスエンジニアリング社の車いすを用いる。

9歳の時、脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となる。それ以前は野球をやるなど、体を動かすことが好きだったので、まず車いすバスケのチームを探したが見つからず、母親の薦めで小学校6年生の時に吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始める。テニス用の車いすに乗った直後から、驚異の才能を見せつけ、巧みな車いすさばきを見せたという。最初は気乗りしなかったテニスをやってみようと思った。[2]

麗澤高校に進学し、高校1年生のときに初めての海外遠征を経験。麗澤高校1年次に参加した海外遠征で、当時車いすテニスで世界トップクラスに君臨していたリッキー・モーリエのプレーに感銘を受け、この競技で頂点を目指したいという思いが明確なものとなった[2]。17歳から現在のコーチである丸山弘道の指導を受け始め、本格的に競技に取り組んだ。

麗澤大学に進学後の2003年、ワールドチームカップに出場し、日本チームの同大会初優勝に大きく貢献。同年のNEC全日本選抜車いすテニス選手権大会男子シングルスでは連覇を続けていた斎田悟司を破って初優勝。

2004年アテネパラリンピックに出場し、斎田と組んだダブルスで金メダルを獲得した。卒業後は年間数百万にも及んだ遠征費の負担を理由に引退も考えたが、同大学の職員として働き、サポートを得ながらテニスを続ける決断に至った[2]

2006年フェスピックで金メダルを獲得。同年10月、アジア人初の世界ランキング1位となった。

2007年、史上初となる車いすテニス男子シングルスの年間グランドスラム(全豪オープン、ジャパンオープン、ブリティッシュオープン、全米ウィールチェアの4大会を制覇[3])を達成。国際テニス連盟(ITF)が選出する同年のITF世界チャンピオンに選出された。

2008年北京パラリンピックに出場し、男子シングルスで金メダル、斎田と組んだダブルスでは銅メダルを獲得。同年12月、麗澤大学を退職。

2009年4月、日本の車いすテニス選手としては初めてプロ選手に転向[4]。同年5月、SRIスポーツダンロップ)と用品使用契約を締結[5]。同年8月、ユニクロと所属契約(2年契約)を結んだ。競技用のウエアの提供も受ける。

2010年3月、ローレウス世界スポーツ賞の年間最優秀障害者選手に、同部門において日本人で初めてノミネートされ、アブダビで行われた表彰式に出席した。

2010年5月25日、脊髄損傷者専門トレーニングジムを運営するJ-Workoutにて1年間のトレーニングを受けて歩行機能が回復。報道ステーションでその成果を披露した。

2010年9月、車椅子テニス初のシングルス100連勝達成。

2015年全豪オープンではシングルス3連覇8回目の優勝、ダブルスは3連覇9回目の優勝。2015年全仏オープンではシングルス2連覇6回目の優勝、ダブルスは2年ぶり6回目の優勝。特にダブルスは自身初のグランドスラム4大会連続優勝(Non-calendar Year Glandslam)を果たした。2015年全米オープンではシングルス2連覇6回目の優勝。

2016年は4月に右肘のクリーニング手術を受けたことも影響し、順調とは呼べない時間を過ごした[6]。わずか5大会の出場のみで臨んだリオデジャネイロパラリンピックではシングルス3連覇を狙ったが、準々決勝でストレート負けを喫し、ベスト8で終えることとなった。 ダブルスでは、長年ペアを組んでいた斎田悟司とともに、3位決定戦で三木拓也真田卓との日本勢対決を行い、銅メダルを獲得した[7]。シーズンの獲得タイトルは2に留まり、最終ランキングも10位で終えた。

右肘の痛みが再発し、2016年11月から約半年間休養をとった。2017年は1年間フォームの改造に努めると、2018年全豪オープンで2年ぶりのグランドスラムタイトル獲得。全仏オープンでも優勝すると、1位にも返り咲いた。また、ワールドチームカップで11年ぶりの優勝を手にした[8]

2019年はグランドスラムこそ獲れなかったが、自己最多の年間9勝を挙げた。ウィンブルドン選手権でも初の決勝進出した。

2020年全豪オープンで同大会10勝目を挙げた[9]。3月より新型コロナウイルス感染症流行の影響でツアーが中断に。中断期間にはダニエル太郎とともに国内の男子トッププロテニス選手に呼びかけ、エキシビションマッチを開催した[10]。再開後の全米オープンでは同大会5年ぶりの優勝を果たす。

2021年東京パラリンピックに出場。日本選手団主将として挑んだ5回目の五輪、世界1位の男子シングルスではウデ、リード、エグバーリンクを下し、シングルス3つ目の金メダルを獲得した。ダブルスのメダル獲得はならなかった。[11]

東京パラリンピック 車いすテニス 男子シングルスにおいて金メダルを獲得した功績をたたえ、2022年1月26日、千葉県海浜幕張市の海浜幕張郵便局前に記念のゴールドポスト(第55号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト[12])。

2022年全豪オープンで同大会11回目の優勝を果たした[13]

選手としての特徴

圧倒的な「チェアワーク」が強み。車いすテニスは2バウンドまで認められているが、国枝はほとんどすべてのボールを1バウンドで打ち返す。対戦相手にとってはボールを待つ時間が半減するので、脅威となる。元世界ランキング3位のマイケル・ジェレミアスも、「オールマイティな能力を兼ね備えているのは確かだけど、とりわけ秀でているのは動きの速さ。どんなボールでもワンバウンドで対応する身体能力は、現在の車椅子テニスの世界ではずば抜けている」と称える[14]。時代や怪我に合わせてサービスやバックハンドも改良している[15]

メンタル強化のため、2006年より3年から4年もの間、毎朝「オレは最強だ!」と鏡に向かって叫んだ。当初は半信半疑だったが、それを続けるうちに、「サーブを打つ時に『もしかしたらダブルフォルトしちゃうかな』と考えてしまうんですが、ラケットに刻んだ『オレは最強だ!』のフレーズを見て口に出すと、そういう弱気がパッとなくなるんです」と効果に気付いたという。今でもラケットに『オレは最強だ!』のシールを貼っている。[15]

ライバル

最大のライバルは、フランスのステファン・ウデ。シングルスでは2006年に初めて試合で顔を合わせて以来、58回対戦(2019年8月時点)。対戦成績は国枝の45勝13敗と、差が開いているが、勝敗数やスコアの数字以上に、その内容はいつも厳しく接戦である。2010年に国枝の連勝記録を「107」でストップさせたのも彼である。元々健常者としてナショナルレベルでプレーしていた経験を活かし、サーブから押すテニスで時代を変えた。国枝も「彼が車いすテニスにもたらした影響はものすごく大きい。ウデが出てきてからサーブで相手を押すというテニスにみんな変わった」と語る。[16]

そのウデも、「間違いなく、シンゴがナンバーワンだ」と話している[17]

エピソード

日本の記者から「なぜ日本にはあなたのような選手が出てこないのか」という問いかけにロジャー・フェデラーは、「日本には“シンゴ”がいるじゃないか」と答えた。このエピソードが非常に有名だが、真偽自体は不明。[2]

フェデラーが国枝を認知していることは事実で、特にフェデラーもユニクロをスポンサーにしてからは対談もしている[18]

主要大会獲得タイトル

男子シングルス

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

グランドスラム

大会 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022
全豪オープン NH W W W W W A W W W QF A W SF W SF W
全仏オープン NH W W W W SF F F W W SF SF W SF SF F W
ウィンブルドン NH A SF QF F NH QF
全米オープン SF W NH W W W NH F W W NH QF F QF W W

スーパーシリーズ

マスターズシリーズ

その他

男子ダブルス

グランドスラム

大会 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021
全豪オープン NH W W W W W A W W W F A SF SF SF SF
全仏オープン NH W SF W W W W SF W W SF SF W F SF
ウィンブルドン W F F SF A W W 3rd A SF SF SF NH SF
全米オープン F W NH SF SF SF NH SF W SF NH SF SF F SF

※準決勝からの出場もあるため、一概に勝ち進んだとは言えない。

スーパーシリーズ

マスターズシリーズ

その他

国別対抗団体戦

受賞歴

2008年北京パラリンピック
2011年全米オープンでの様子
2018年
GQ Men of the Year 2018 スポーツマン・オブ・ザ・イヤー賞[20]
2008年
日本テニス協会最優秀選手賞、千葉県知事特別賞、柏市民特別功労賞、毎日スポーツ人賞国際賞、東京運動記者クラブテニス分科会特別賞
2007年
柏市スポーツ顕彰、バカラ・アスリーツ・オブ・ザ・イヤー、東京運動記者クラブテニス分科会最優秀賞、朝日スポーツ賞
2004年
千葉県民栄誉賞、柏市民特別功労賞、東京運動記者クラブテニス分科会最優秀賞
2003年
東京運動記者クラブテニス分科会特別賞
2021年
紫綬褒章[21]

関連項目

脚注

  1. ^ shingo kunieda Year End Rankings”. ITF. 2020年2月2日閲覧。
  2. ^ a b c d 国枝慎吾:車いすテニスの第一人者は引退危機を振り払い、「俺は最強だ!」の信念を貫く【アスリートの原点】”. Olympics.com. 2021年9月4日閲覧。
  3. ^ この時点ではこの4大会だったが、2009年にルールの改正があり、健常者と同じグランドスラム(全豪オープン、全仏オープン、全英オープン、全米オープン)になった。
  4. ^ 国枝慎吾がプロ転向記者会見 車いすテニスでは日本初”. Tennis Navi (2009年4月14日). 2009年4月15日閲覧。
  5. ^ SRIスポーツ (2009年5月). “日本人初のプロ車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手と用品使用契約を締結”. 2009年6月6日閲覧。
  6. ^ 絶対王者・国枝慎吾、苦悩の2016年。復活を確信させる、凄み溢れる逸話。”. Number Web. 2020年2月2日閲覧。
  7. ^ 国枝慎吾が最後に見せた意地。銅メダルから始まる東京への道”. web Sportiva. 2020年2月2日閲覧。
  8. ^ 車いすテニス世界ランキング1位の国枝慎吾、2019年は加速の年に!”. パラサポWEB. 2020年2月2日閲覧。
  9. ^ 全豪車いす、国枝慎吾が10度目V…23度目の四大大会制覇”. 読売新聞オンライン. 2020年2月2日閲覧。
  10. ^ ダニエル太郎と車いすの国枝慎吾による「本気」ラリー!「ガチ感がすばらしい」”. テニスデイリー. 2020年9月14日閲覧。
  11. ^ パラリンピック車いすテニス男子 国枝慎吾が2大会ぶり金メダル”. NHKニュース. 2021年9月4日閲覧。
  12. ^ ゴールドポストプロジェクト”. 首相官邸 オリンピック・パラリンピックレガシー推進室. 2022年6月8日閲覧。
  13. ^ 国枝慎吾2年ぶり15度目の全豪V「最高のプレーできた」フルセットで下す - テニス : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年1月27日閲覧。
  14. ^ 車椅子テニス全英オープン優勝 国枝慎吾選手インタビュー”. www.news-digest.co.uk. 2021年9月4日閲覧。
  15. ^ a b 国枝 慎吾|日本が誇る車いすテニス界のトッププレーヤー”. パラサポWEB. 2021年9月4日閲覧。
  16. ^ 戦術・道具…革命起こす 車いすテニス ステファン・ウデ(上)”. 日本経済新聞 (2019年8月24日). 2021年9月4日閲覧。
  17. ^ ステファン・ウデ|車いすテニス界のトッププレーヤー”. パラサポWEB. 2021年9月4日閲覧。
  18. ^ フェデラーと国枝、テニスのこれまでとこれからを語り合う”. テニスデイリー. 2021年9月4日閲覧。
  19. ^ a b c d パートナーは斎田悟司(日本)。
  20. ^ 2018年の「GQ MEN OF THE YEAR」が決定! 田中圭、美輪明宏、DA PUMPをはじめ10組が受賞!”. GQ JAPAN (2018年11月21日). 2019年6月15日閲覧。
  21. ^ 『官報』第250号、令和3年11月4日

参考文献

外部リンク

受賞
先代
ロビン・アマラーン
ステファン・ウデ
ITF車いすテニス 世界チャンピオン
2007 - 2010
2013 - 2015
次代
マイケル・シェファース
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