アメリカ合衆国による宣戦布告
この項目では、アメリカ合衆国による宣戦布告(アメリカがっしゅうこくによるせんせんふこく)について記述する。
宣戦布告は、各国の政府が相手国との戦争状態が存在することを示唆する正式な宣言である。アメリカ科学者連盟の文書には、アメリカ合衆国が宣戦布告する際に適用される法規の広範囲の一覧と要約が掲載されている[1]。
アメリカ合衆国憲法第1条第8節において、「アメリカ合衆国議会が戦争を宣言する権限を持つべきである」とされるが、その節には宣戦布告する際に法律がどのような形式をとるべきか規定されておらず、憲法自体も「宣戦布告」という用語を使用していない。第1巡回区控訴裁判所[2]は、Doe v. Bush(イラク戦争を巡る、匿名の市民と時の大統領ジョージ・W・ブッシュとの間の係争)において、10月決議の条文自体が戦争の正当化と承認の枠組みを詳しく説明していると述べ[3]、事実上、戦争の宣言には議会の承認で事足りるとし、一部の人から議会による正式な宣戦布告と見なされるものは、憲法により義務付けられていないとされた。
アメリカ合衆国が他国に対して宣戦布告したのは、1942年に枢軸国のハンガリー、ブルガリア、ルーマニアに対するものが最後であり、フランクリン・ルーズベルト大統領は正式な宣戦布告なしに他国と戦争するのは不適切であると考えていた。
歴史
アメリカ合衆国では、大統領による事前の要求に基づいて5度の戦争で宣戦布告が行われ、そのうち4度では、戦闘が始まってから行われた[4]。ジェームズ・マディソンは、1787年のフィラデルフィア憲法制定会議において、急襲を撃退する武力を行政から切り離し、議会による明確な承認なしに開戦しないように、「戦争を仕掛ける(make war)」という語句は「戦争を宣言する(declare war)」に変更されたと報告した[5]。この点において、法的に大統領の権限が及ぶ範囲について議論が続けられた。外国の戦争への参戦に対する一般人の反対の声が、特に1930年代において、宣戦布告する際に国民投票を必要とする憲法の修正条項への支持という形で表され[6]、Ludlow Amendmentといったいくつかの修正条項が提案された。
1971年1月に連邦議会がトンキン湾決議[7]を廃止した後に、リチャード・ニクソン大統領が戦争続行を決めると、連邦議会は、大統領の権限を抑制するための戦争権限法を大統領の拒否権を覆して可決した。この法律により、議会により認可された戦争を続行するための大統領の権限が禁じられている[8]。
宣戦布告
正式
アメリカ合衆国が正式に行った宣戦布告の一覧である。アメリカ合衆国が2回以上宣戦布告したのはドイツだけである(オーストリア=ハンガリー帝国に対する宣戦布告と合わせてハンガリーに2度以上宣戦布告したとする解釈もあり得るが)。
第二次世界大戦において、日本軍が1941年12月7日に真珠湾攻撃を行い、それぞれアドルフ・ヒトラーとベニート・ムッソリーニが率いるナチス・ドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告したため、アメリカもまた宣戦布告した[9][10]。
戦争 | 宣戦布告 | 相手国 | 日付 | 採決 | 大統領 | 結果 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
上院 | 下院 | ||||||
米英戦争 | 対英宣戦布告 | イギリス | 1812年7月18日 | 19–13 | 79–49 | ジェームズ・マディソン | ガン条約(1814年12月24日) |
米墨戦争 | 対墨宣戦布告[11] | メキシコ共和国 | 1846年5月13日 | 40–2 | 173–14 | ジェームズ・ポーク | グアダルーペ・イダルゴ条約(1848年2月2日) |
米西戦争 | 対西宣戦布告 | スペイン王国 | 1898年4月25日 | 42–35 | 310–6 | ウィリアム・マッキンリー | パリ条約(1898年12月10日) |
第一次世界大戦 | 対独宣戦布告 | ドイツ帝国 | 1917年4月6日 | 82–6 | 373–50 | ウッドロウ・ウィルソン | ノックス=ポーター決議(1921年7月) 米独平和条約(1921年8月25日) |
対墺洪宣戦布告[12][13] | オーストリア=ハンガリー帝国 | 1917年12月7日 | 74–0 | 365–1 | 米墺平和条約(1921年8月24日) 米洪平和条約(1921年8月29日) | ||
第二次世界大戦 | 対日宣戦布告 | 大日本帝国 | 1941年12月8日 | 82–0 | 388–1 | フランクリン・ルーズベルト | 日本の降伏‚ 対日戦勝記念日, 日本の降伏文書(1945年9月2日) サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日) |
対独宣戦布告 | ナチス・ドイツ | 1941年12月11日 | 88–0 | 393–0 | ドイツの降伏文書(1945年5月8日), ヨーロッパ戦勝記念日, ドイツ最終規定条約(1990年9月12日) オーストリア国家条約(1955年5月15日) | ||
対伊宣戦布告 | イタリア王国 | 90–0 | 399–0 | イタリアの降伏(1943年9月3日) イタリアとの平和条約 パリ条約(1947年2月10日) | |||
ブルガリアに対する宣戦布告 | ブルガリア王国 | 1942年6月5日 | 73–0 | 357–0 | |||
ハンガリーに対する宣戦布告[12][14] | ハンガリー王国 | 360–0 | |||||
ルーマニアに対する宣戦布告[12][15] | ルーマニア王国 | 361–0 |
宣戦布告なき戦争
連邦議会が承認した軍事介入
アメリカ合衆国議会が承認して行われた軍事行動の例も存在する。
戦争 | 相手国 | 最初の承認 | 採決 | 大統領 | 結果 | |
---|---|---|---|---|---|---|
上院 | 下院 | |||||
擬似戦争 | フランス | An Act further to protect the commerce of the United States 1798年7月9日 |
18–4 | ジョン・アダムズ | モルトフォンテーヌ条約 | |
第一次バーバリ戦争 | モロッコ |
"An Act for the Protection of the Commerce and Seamen of the United States, Against the Tripolitan Cruisers", 2 Stat. 129 1802年2月6日[16] |
トーマス・ジェファーソン | 1805年に終戦 | ||
第二次バーバリ戦争 | オスマン帝国領アルジェリア | "An Act for the protection of the commerce of the United States against the Algerine cruisers", 3 Stat. 230 1815年5月10日[17] |
ジェームズ・マディソン | 1816年に終戦 | ||
Enforcing 1808 slave trade ban; naval squadron sent to African waters to apprehend illegal slave traders | 奴隷商人と海賊 | "Act in addition to the acts prohibiting the Slave Trade", 3 Stat. 532 1819年 |
ジェームズ・モンロー | 1822 first African-American settlement founded in Liberia, 1823 U.S. Navy stops anti-trafficking patrols | ||
Redress for attack on U.S. Navy's Template:USS | パラグアイ | 1858.[18] | ジェームズ・ブキャナン | |||
メキシコ革命 | メキシコ | H.J.R. 251, 38 Stat. 770 1914年4月22日[19] |
337–37 | ウッドロウ・ウィルソン | Force withdrawn after six months. However, the Joint Resolution was likely used to authorize the Pancho Villa Expedition. In the Senate, "when word reached the Senate that the invasion had gone forward before the use-of-force resolution had been approved, Republicans reacted angrily" saying it was a violation of the Constitution, but eventually after the action had already started, a resolution was passed after the action to "justify" it since Senators did not think it was a declaration of war.[20][21] | |
ロシア内戦 |
エストニア労働コムーナ |
1918[22] | ウッドロウ・ウィルソン | |||
Lebanon crisis of 1958 | レバノン | H.J. Res. 117, Public Law 85-7, Joint Resolution "To promote peace and stability in the Middle East", March 9, 1957[23] | 72–19 | 355–61 | ドワイト・アイゼンハワー | U.S. forces withdrawn, October 25, 1958 |
ベトナム戦争
|
トンキン湾決議、1964年8月7日 | 88–2 | 416–0 | リンドン・ジョンソン | パリ協定(1973年1月27日調印)により米軍撤退 | |
レバノン駐留多国籍軍 | シーア派とドゥルーズ派の民兵; シリア | S.J.Res. 159 Pub.L. 98–119 September 29, 1983 |
54–46 | 253–156 | ロナルド・レーガン | 1984年撤退 |
湾岸戦争 | イラク | H.J.Res. 77 January 12, 1991. |
52–47 | 250–183 | ジョージ・H・W・ブッシュ | 国連安全保障理事会が停戦決議(1991年4月3日) |
対テロ戦争 | アフガニスタン
シャーム自由人イスラム運動 High Council of the Islamic Emirate al-Itihaad al-Islamiya アブ・サヤフ |
S.J. Res. 23 September 14, 2001 |
98–0 | 420–1 | ジョージ・W・ブッシュ | The Global War on Terror is ongoing. The War in Afghanistan (2001–2021), that was carried out by the United States under the Global War on Terror's general authorization for use of military force, came to an end on August 30, 2021 with the total withdrawal of the American Forces from Afghanistan under the terms of the Doha Peace Agreement signed on February 29, 2020. The U.S. disengagement from Afghanistan resulted in the Fall of Kabul to the Taliban on August 15, 2021 and in a broad re-establishment of the status quo ante bellum. The U.S. backed Islamic Republic of Afghanistan collapsed even before the completion of the American withdrawal, and the Taliban victory led to the restoration of the Islamic Emirate of Afghanistan. Other U.S. military campaigns that are legally based on the Global War on Terror's general authorization for use of military force include the ongoing American-led intervention in the Syrian civil war that was initiated on September 22, 2014 under President Barack Obama's administration. In spite of a significant drawdown of U.S. ground forces in Syria at the direction of President Donald Trump in 2019, the United States retains a residual presence of about 600 military personnel in Syria, and continues to conduct airstrikes against Iranian-supported militias as of 2021. |
イラク戦争[24] | イラク | H.J. Res. 114, 2003年3月3日 |
77–23 | 296–132 | ジョージ・W・ブッシュ | 2003年4月にフセイン政権が崩壊し、フセインが処刑された。 |
国連安全保障理事会決議と議会による予算編成
多く場合、国際連合安全保障理事会決議を背景に連邦議会による資金提供を受けて広範囲の軍事行動が行われる[26]。
戦争 | 相手国 | 最初の承認 | 大統領 | 結果 |
---|---|---|---|---|
朝鮮戦争 | 中国 |
安保理決議84(1950年) | ハリー・S・トルーマン | 朝鮮戦争休戦協定[27](1953年) |
多国籍軍 (レバノン) | シーア派民兵, ドゥルーズ派民兵, シリア | 安保理決議425(1978年)
安保理決議426(1978年) |
ジミー・カーター, ロナルド・レーガン | アメリカ軍は1984年に撤退 |
湾岸戦争 | イラク | 安保理決議678(1990年) | ジョージ・H・W・ブッシュ | 安保理決議689(1991年) |
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争 | スルプスカ共和国 | 安保理決議770(1992年) 安保理決議776(1992年) 安保理決議836(1993年) |
ビル・クリントン | 1995年に和平履行部隊に引き継ぎ、1996年に平和安定化部隊に引き継ぎ、2004年完了 |
第二次リベリア内戦 | 平和維持活動 | 安保理決議1497(2003年) | ジョージ・W・ブッシュ | 国際連合リベリア・ミッションが設立された後にアメリカ軍が2003年に撤退 |
2004年ハイチ・クーデター | 安保理決議1529(2004年)
安保理決議1542(2004年) |
2004年 | ||
2011年リビア内戦 | リビア | 安保理決議1973(2011年) | バラク・オバマ | カダフィ政権の崩壊(2011年10月31日) |
戦争権限法
ベトナム戦争末期の1973年にアメリカ軍のほとんどがベトナムから撤退したことを受けて、宣戦布告なき派兵を行うための大統領の権限について議論され、戦争権限法という形で妥結された。この法律では、大統領が派兵できる人数と期間が明確に定義されており、大統領に対して派兵した状況に応じて連邦議会への正式な報告書の提出を求め、アメリカ軍が正式な宣戦布告なしに展開できる期間を制限している。
2011年3月21日、多くの議員が、オバマ大統領が軍にリビアの防空と政府軍への攻撃を命じたことに対して、議会の許可なく行われたために、憲法上の権限を逸脱していると懸念を表明した[28] 。オバマ大統領は2通の書簡で理論的根拠を説明し、範囲と期間こそ制限されているものの、自身には軍の最高司令官としてリビアの人道的危機を防ぐ必要性から攻撃を承認するための権限があると述べた。
関連項目
脚注
- ^ “Declarations of War and Authorizations for the Use of Military Force: Historical Background and Legal Implications”. fas.org. Federation of American Scientists (April 18, 2014). November 14, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。January 20, 2021閲覧。
- ^ 担当はメイン州、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、ロードアイランド州、プエルトリコ
- ^ “DOE II III IV v. BUSH, 03-1266, (March 13, 2003)”. FindLaw. October 29, 2020時点のオリジナルよりアーカイブ。20 June 2013閲覧。
- ^ Henderson, Phillip G. (2000). The presidency then and now. Rowman & Littlefield. p. 51. ISBN 978-0-8476-9739-7
- ^ The Debates in the Federal Convention of 1787 reported by James Madison : August 17,The Avalon Project, Yale Law School, retrieved Feb 13, 2008
- ^ “Petition for a Constitutional Amendment to Hold National Referendums on Declarations of War from Danville, Ohio”. The National Archives of the United States (1938年). July 29, 2016閲覧。
- ^ Pub.L. 93–148
- ^ Shindler, Michael (1 March 2018). “War Powers: Return to Congress”. RealClear Media Group. RealClearDefense 2 March 2018閲覧。
- ^ BBC News, On This Day
- ^ Whereas the Government of Germany has formally declared war against the government and the people of the United States of America... the state of war between the United States and the Government of Germany which has thus been thrust upon the United States is hereby formally declared. The War Resolution Archived December 5, 2006, at the Wayback Machine.
- ^ United States Congress (May 13, 1846). “An Act providing for the Prosecution of the existing War between the United States and the Republic of Mexico.”. Government of the United States of America. Government of the United States of America. August 10, 2006時点のオリジナルよりアーカイブ。August 10, 2006閲覧。
- ^ a b c Declarations of War and Authorizations for the Use of Military Force: Historical Background and Legal Implications
- ^ H.J.Res.169: Declaration of War with Austria-Hungary, WWI, United States Senate
- ^ Pub.L. 77–564
- ^ Pub.L. 77–565
- ^ Key Events in the Presidency of Thomas Jefferson Archived June 17, 2010, at the Wayback Machine., Miller Center of Public Affairs, University of Virginia, (retrieved on August 10, 2010).
- ^ Key Events in the Presidency of James Madison Archived June 9, 2010, at the Wayback Machine., Miller Center of Public Affairs, University of Virginia, (retrieved on August 10, 2010).
- ^ Expenses – Paraguay Expedition, House of Representatives, 36th Congress, 1st Session, Mis. Doc. No. 86 (May 11, 1860), p. 142
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- ^ Cyrulik, John M., A Strategic Examination of the Punitive Expedition into Mexico, 1916–1917. Fort Leavenworth, KS, 2003. (Master's thesis)
- ^ Wolfensberger, Don. Congress and Woodrow Wilson's Introductory Forays into Mexico, an Introductory Essay. Congress Project Seminar On Congress and U.S. Military Interventions Abroad. Woodrow Wilson International Center for Scholars. Monday, May 17, 2004
- ^ A History of Russia, 7th Edition, Nichlas V. Riasanovsky & Mark D. Steinberg, Oxford University Press, 2005.
- ^ Congress' Approval of the Eisenhower Doctrine 1957
- ^ Obama's full speech: Operation Iraqi Freedom is Over, NBC News
- ^ Londoño, Ernesto (August 19, 2010). “Operation Iraqi Freedom ends as last combat soldiers leave Baghdad”. The Washington Post
- ^ United Nations Participation Act, December 20, 1945 Sec. 6, The Commander in Chief and United Nations Charter Article 43: A Case of Irreconcilable Differences?, Rethinking War Powers: Congress, The President, and the United Nations
- ^ s:Korean Armistice Agreement
- ^ Obama Attacked for No Congressional Consent on Libya, New York Times.
参考文献
- Grotius, Hugo (2004). On The Law Of War And Peace. Kessinger Publishing. ISBN 978-1-4191-3875-1
- Edwin Meese; Matthew Spalding; David F. Forte (2005). The Heritage guide to the Constitution. Regnery Publishing. ISBN 978-1-59698-001-3
- Kenneth A. Schultz, Tying Hands and Washing Hands: The U.S. Congress and Multilateral Humanitarian Intervention, Ch. 4, pp 105–142, in Daniel Drezner, Ed. Locating the Proper Authorities: The Interaction of Domestic and International Institutions, University of Michigan Press, 2003.
外部リンク
- The House of Rep, Republican Study Committee of War and Military Authorized Conflicts. 2003.
- Declarations of war and votes
- Text of Declaration of War on Japan
- Text of Declaration of War on Germany
- Text of Declaration of War on Bulgaria
- Authorization for Use of Military Force — signed September 18, 2001
- House Joint Resolution Authorizing Use of Force Against Iraq — signed October 16, 2002
- Instances of Use of United States Forces Abroad, 1798–1993
- A partial list of U.S. military interventions from 1890 to 2006
- U.S.-Africa Chronology