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平山洋三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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平山洋三郎

平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう[1] / ようさぶろう[2]1900年明治33年)6月22日[1] - 1970年昭和45年)10月11日[1][2])は、大正から昭和期の農林官僚政治家華族貴族院男爵議員

経歴

貴族院勅選議員・平山成信の三男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1929年(昭和4年)12月2日、男爵を襲爵した[1][3][4]

第一高等学校を経て[5]1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業[2][3][5]1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格し[5]、1925年、農林省に入省し農林属に就任[2][5]。以後、山林事務官、農林事務官、営林局事務官、農林書記官、東京営林局長、日本高等女学校長事務取扱、日本高等家政女学校長事務取扱、帝国女子専門学校長(現相模女子大学)などを務めた[2][3]

1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は谷中霊園

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』423-424頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ヒ57頁。
  4. ^ 『官報』第879号、昭和4年12月3日。
  5. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典1868-2000』248頁。
  6. ^ 『官報』第5846号、昭和21年7月11日。
  7. ^ 三宅秀 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  8. ^ 三宅鉱一(読み)みやけ こういちコトバンク
  9. ^ 平山洋三郎『華族家庭録. 昭和11年12月調』

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。


日本の爵位
先代
平山成信
男爵
平山(成信)家第2代
1929年 - 1947年
次代
華族制度廃止
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