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あの頃へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「あの頃へ」
安全地帯シングル
初出アルバム『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜
B面 「地平線を見て育ちました。」
リリース
規格 8センチCD
ジャンル
時間
レーベル Kitty Records
作詞 松井五郎
作曲 玉置浩二
チャート最高順位
安全地帯 シングル 年表
いつも君のそばに
(1991年)
あの頃へ
(1992年)
ひとりぼっちのエール
(1993年)
玉置浩二関連のシングル 年表
「いつも君のそばに」
(1991年)
あの頃へ
(1992年)
コール
(1993年)
安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜 収録曲
EANコード
EAN 4988031008867
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あの頃へ」(あのころへ)は、日本ロックバンドである安全地帯の楽曲。

1992年12月2日にKitty Recordsから22枚目のシングルとしてリリースされた。前作「いつも君のそばに」(1991年)よりおよそ1年ぶりとなるシングルであり、作詞は松井五郎、作曲は玉置浩二、編曲は安全地帯が担当している。

和風のイントロから始まるストリングスメロディが合致した「美しいバラード」であり、本作は月桂冠「花鳥風月」のコマーシャルソングとして使用された。本作はオリジナル・アルバムには未収録となり、ベスト・アルバム安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』(1993年)でアルバム初収録となった。

本作のリリースから10年後にリリースされたシングル「反省/あの頃へ」(2002年)には新録音バージョンである「2003 New Version」として収録された。

背景

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安全地帯は8枚目となるアルバム『安全地帯VIII〜太陽』(1991年)リリースと同時期にキティから独立し、「Musical Farmaer's Production」という新事務所を設立した[2]。しかし独立を機に周囲の物事が玉置の思い通りにならなくなった事や、時代の流れによる打ち込みを多用するレコーディングに対し玉置が強い抵抗感を示した事などにより、仕事も少なくなっていく中でメンバーとの間で溝が生まれる事態となった[3]。この時期の玉置は一度北海道への帰還を検討していたが、東京に家族を抱えるメンバーの了承は得られなかった[3]

また、1988年頃のライブではメンバー以外も含めて15名もステージ上にいた事に玉置が反発した結果、1990年のコンサートツアー「安全地帯VII-夢の都-TOUR」および1991年のコンサートツアー「安全地帯 VIII MUSICAL FARMER'S TOUR」ではそれまで4名いたサポート・ミュージシャンが徐々に減っていく事となった[4]。1992年には安全地帯のデビュー10周年を記念し、4月16日の川崎クラブチッタから12月26日の神奈川県民ホールまでコンサートツアー「10th Anniversary Acoustic Special Night」を実施、最終日となった神奈川県民ホールでの模様はライブ・ビデオ『安全地帯アンプラグド・ライヴ!』(1993年)にノーカットで収録されている[5]。しかし同ツアーを最後に安全地帯は活動休止状態になり、玉置はソロ・アルバムの制作に取り掛かることとなった[6]

リリース、音楽性、メディアでの使用

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本作は1992年12月2日にKitty Recordsより8センチCDとしてリリースされ、月桂冠「花鳥風月」のコマーシャルソングとして使用された[7][8]。CMの内容は俳優である真田広之が美しい街並みを歩くシンプルなものになっているが、ベスト・アルバム『ALL TIME BEST』(2017年)の楽曲解説では「それをより美しく、印象的なものに仕上げているのがこの曲だ」と表記している[6]。同解説では本作の音楽性を和風のイントロからゆっくりとリズムが刻まれていき、ストリングスメロディと合致した上で玉置が哀愁を感じさせる声で歌詞の言葉を豊かな感情表現で歌唱する「かくも美しいバラード」であると表記している[6]

カップリング曲の「地平線を見て育ちました。」は、ホクレンのイメージソングとして使用された。また、「地平線を見て育ちました。」は安全地帯の作品で初めて、糸井重里が作詞を担当した。

2002年12月4日には両A面シングル「反省/あの頃へ」において「あの頃へ 2003 New Version」のタイトルで新録音バージョンがリリースされており、同バージョンはテレビ東京系新春ワイド時代劇忠臣蔵〜決断の時』(2003年)の主題歌として使用された[9][10]

チャート成績

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本作はオリコンシングルチャートにおいて最高位23位、登場週数は9回で売り上げ枚数は10.4万枚となった[1]。本作の売り上げ枚数は安全地帯のシングル売上ランキングにおいて11位となった[11]

また本作はデビュー40周年記念ベスト・アルバム『THE BEST ALBUM 40th ANNIVERSARY 〜あの頃へ〜』(2022年)収録曲を決定するファン投票において第1位を獲得し、アルバムの副題として使用された[12]

カバー

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  • HIROMI & 小柳ゆき - 小柳の実姉であるHIROMIのYouTubeチャンネルにて2020年に公開。
  • 森川美穂 - カバー・アルバム『another Face - tribute to Goro Matsui + Koji Tamaki -』(2019年)に収録。
  • 森恵 - 自身のYouTubeチャンネルにて2022年に公開。

シングル収録曲

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オリジナル盤
全作曲: 玉置浩二、全編曲: 安全地帯
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.あの頃へ松井五郎玉置浩二
2.地平線を見て育ちました。糸井重里玉置浩二
3.あの頃へ(オリジナル・カラオケ) 玉置浩二
合計時間:
2002年盤
全作詞: 松井五郎、全作曲: 玉置浩二、全編曲: 安全地帯星勝/ストリングスアレンジ: 星勝。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.反省 Single Version松井五郎玉置浩二
2.あの頃へ 2003 New Version松井五郎玉置浩二
3.反省 Single Version(オリジナル・カラオケ)松井五郎玉置浩二
4.あの頃へ 2003 New Version(オリジナル・カラオケ)松井五郎玉置浩二
合計時間:

リリース履歴

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No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1992年12月2日 Kitty Records 8センチCD KTDR-2060 23位
2 2002年12月4日 Sony Music Records マキシシングル SRCL-5480 57位 反省」との両A面
3 2017年1月25日 ソニー・ミュージックダイレクト デジタル・ダウンロード - - 「2003 New Version」として配信

収録アルバム

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あの頃へ
地平線を見て育ちました

脚注

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  1. ^ a b オリコンチャート・ブック アーティスト編 1997, p. 22.
  2. ^ 志田歩 2006, pp. 98–99「第5章 初心にかえろう」より
  3. ^ a b 志田歩 2006, pp. 99–101「第5章 初心にかえろう」より
  4. ^ 志田歩 2006, p. 102「第5章 初心にかえろう」より
  5. ^ 志田歩 2006, pp. 102–103「第5章 初心にかえろう」より
  6. ^ a b c 『ALL TIME BEST』収録楽曲解説”. ユニバーサルミュージックジャパン公式サイト. ユニバーサルミュージック. 2023年1月15日閲覧。
  7. ^ 昔の月桂冠「花鳥風月」のCM曲で、安全地帯の曲”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2003年2月12日). 2022年6月11日閲覧。
  8. ^ 玉置浩二&安全地帯、オールタイム・ベストをリリース”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2017年2月28日). 2022年6月9日閲覧。
  9. ^ 忠臣蔵 決断の時”. テレビドラマデータベース. 2022年6月11日閲覧。
  10. ^ 安全地帯/反省/あの頃へ”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2023年3月25日閲覧。
  11. ^ 安全地帯のシングル売上TOP20作品”. オリコンニュース. オリコン. 2023年2月4日閲覧。
  12. ^ 安全地帯デビュー40周年、玉置浩二ソロデビュー35周年 リクエスト投票 結果発表”. otonano. ソニー・ミュージックマーケティングユナイテッド. 2023年2月24日閲覧。

参考文献

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  • 『オリコンチャート・ブック アーティスト編 全シングル作品 昭和43年 - 平成9年<30年>』オリコン、1997年12月11日、22頁。ISBN 9784871310413 
  • 志田歩『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』雲母書房、2006年4月30日、98 - 103頁。ISBN 9784876722006 

外部リンク

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