あばれ駒
表示
「あばれ駒」 | ||||
---|---|---|---|---|
橋幸夫 の シングル | ||||
B面 | 能取岬 | |||
リリース | ||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | ビクター(SV-7232) | |||
作詞・作曲 |
たかたかし(作詞) 市川昭介(作曲) | |||
橋幸夫 シングル 年表 | ||||
| ||||
『あばれ駒』は、1982年7月21日に ビクターより発売された橋幸夫の147枚目のシングル(SV-7232)[1]。
概要
[編集]- 1960年7月5日『潮来笠』でビクターからデビューし、数々の記録を達成した橋幸夫であるが、本楽曲が(前期)ビクター時代の最後の楽曲となった。
- 作詞はたかたかし、作曲は市川昭介で、橋とは初めての共演である。この頃、恩師の吉田正の創作活動は減少、橋とも前年81年の『昭和音頭』でヒット賞を獲得して以来、共演はない[2]状態であった。
- 詩は将棋棋士の坂田三吉をモチーフにし、67年の橋の楽曲で殺陣師段平を取り上げた『殺陣師一代』を彷彿させる内容となっている。橋は「夏中キャンペーンもやって、これは結構売れた」と回想している[3]。
- この後、ビクターの契約更新で、合意に達せず、橋は後援会会長であった佐川清(佐川急便会長)がこの年に創設したレコード製作会社「リバスター」に移籍、ビクターから離れることとなる[3]。
- 佐川清は、橋の最初の恩師遠藤実の縁で、この時後援会長を務めていた[4]。
- たかたかしは、この後のリバスター時代の最初のアルバム『新しい出発・・・ささえ』にも詩を提供し、市川昭介とは、『日本列島三度笠』などで共演、また、たか・市川コンビの「渡り鳥仁義」をアルバムのなかでカバーしている。
- 楽曲の振付は、松若寿恵由で、ジャケットの2頁にわたって分解写真入りで解説されている。
- 本楽曲が橋の前期ビクター時代の最後の楽曲で、前期ビクター時代の最後のヒット賞受賞曲となった。
- c/wの「能取岬」も作詞たかたかし、作曲市川昭介で、A面と同じである。編曲は前田俊明で79年の『大東京音頭』で共演しており、この後、リバスター時代には30周年記念のシングルやアルバムでも共演することになる。
収録曲
[編集]収録アルバム
[編集]最近のベストアルバムへの収録はないが、これまでの収録は以下のとおり
- 『<BEST ONE>』(1996年10月23日)VICL-816
- 『橋幸夫全曲集』 (1990年10月25日) VICL-74
- 『橋幸夫/全曲集』(1985年11月05日)VDR-1095
出典
[編集]- ^ 「シングルレコード・ディスコグラフィティ」橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 168-209頁参照
- ^ ビクターエンタテインメント『吉田正大全集~1948-1997』1997/9 解説書 24-25,52-53頁参照
- ^ a b 橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 123頁
- ^ 橋幸夫著『シオクルカサ(潮来笠)の不思議な世界:エピソードで綴る波乱の歌手伝説』ISBN 978-4-87969-106-4 日刊現代(東京)2007/4 98頁