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TAROかまやつ

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かまやつ太郎から転送)
TAROかまやつ
出生名 釜萢 太郎
生誕 1970年(53 - 54歳)
出身地 東京都港区青山
学歴 慶應義塾大学卒業(学士
職業 シンガーソングライターピアニスト野球チームGM
担当楽器 ピアノギター
活動期間 2006年-
レーベル JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
公式サイト TAROかまやつ
著名使用楽器
YAMAHA GRAND C-3、Gibson J-180、Martin D-28

TAROかまやつ(本名:釜萢 太郎、かまやつ たろう、1970年 - )は、 東京都港区青山出身のミュージシャンフジテレビジョンの元社員。ピアニスト及びピアノ弾き語りシンガーソングライター。2006年5月25日JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントよりメジャー・デビュー

来歴・人物

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生い立ち

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かまやつひろしを、祖父ティーブ・釜萢を持つ音楽一家に生まれた。3歳時より作曲家の黛敏郎にピアノと音楽理論を14年間師事。慶應義塾中等部慶應義塾高等学校時代は野球部とピアノレッスンとを共に行っていた。

大学時代

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慶應義塾大学入学と同時に、バーやラウンジ等でピアノのアルバイトをするようになる。次第に作詞・作曲活動も再開。その頃よりクラシックよりもポール・マッカートニービリー・ジョエルといった曲やスタンダードジャズの楽曲を多く演奏する様になる。そんな中、自らのライブでもピアノを弾きながら歌うようになっていった。またこの頃、木下博勝と友人になるなど幅広い交友関係を作った。

サラリーマン

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慶應義塾大学卒業時には音楽家への道も考えたが、「一般社会を一度は見た方がいい。これからの時代は音楽は(サラリーマンの傍らアーティストとして活躍する)小椋佳さんみたいにやる方がいい」という父・ムッシュかまやつの意見を受け、フジテレビジョンに入社。

経理局、事業局、広報局、ネットワーク局を経て、退職前は編成制作局に所属した。事業局時代は主にアーティスト・コンサートの運営に従事。石井竜也などのコンサート・ツアー制作の他、元スパイダースの堺正章井上堯之、そして父のムッシュかまやつが結成したバンド「ソン・フィルトル」の初の全国コンサート・ツアーのプロデューサーなどを務めた。広報局ではバラエティ番組、連続ドラマを中心に、K-1等の格闘技番組、新春かくし芸大会などの広報担当を務めた。20年半勤務の後、2012年退職。

メジャー・デビュー

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就職後も仕事をする傍ら、趣味として作品を作り続けており、ライブバーでライブ活動を継続していた。2004年秋に、友人たちと作っていたデモテープが関係者の手に渡り、レコード会社のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメントよりメジャー・デビューのオファーが来る。その間に父親であるムッシュかまやつは一切介在していないどころか、デビュー前々日に大々的に報じられたスポーツ新聞を見て初めて知ったという。

当時在籍していた広報部の部長であった遠藤龍之介遠藤周作の子息、現民放連会長兼フジテレビ取締役副会長)の後押しもあり、会社員と音楽家の二足の草鞋を履くことを決意。2006年5月25日マキシシングル「風のわだち」でメジャー・デビュー。

発売当初はフジテレビの企画モノCDと思われる事を嫌い、フジテレビ社員である事を隠していたが、数々の週刊誌スポーツ新聞などで次々と記事にされ、6月下旬「めざましテレビ」でフジテレビの社員であると発表された。

「風のわだち」は、HMVタワーレコードなど大手CDショップの予約チャートで最高3位に入るなど前評判が高かった[要出典]。さらに、発売後の7月下旬には有線リクエストチャートの13位まで上昇した。

2023年10月に東京で行われたライブにおいて、2024年中に新アルバムリリースする準備を現在行っていると語っている。

ライブ活動

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東京・六本木Clapsを拠点としソロライブ活動、全国のイベント出演、他アーティストとのコラボレーションライブなどをマイペースにて行っている。 2023年現在はフジテレビジョン退職後に起業した輸出入事業の代表業を行いながら、マイペースにて音楽活動を行っている。

両親の看病で音楽活動休止 相次ぐ死、そして再開

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2014年、両親が同時に共に重篤な病気となった為、一人っ子ゆえ介護に専念する為、音楽活動は完全に休止。自らの輸出入事業の代表業に専念。 2017年2月23日に母親が、同3月1日に父・ムッシュかまやつ逝去。一週間の内に両親を相次いで失くした。 父が亡くなる直前まで「3歳からやってきた音楽とピアノは続けなさいね」としきりに訴えた事、父の元でキャリアをスタートして以来長らくバックで支えてきたドラマー富岡Grico義広氏とのふれあいにより、約4年休止してた音楽活動を2018年秋より再開した。

ディスコグラフィー

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シングル
  • 風のわだち(2006年5月25日、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント) - デビュー・シングル。
アルバム
  • ピアノマンの詩(うた) (2006年9月16日、JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント) - 1stアルバム。アルバム収録曲「今日のよき日に」はフジテレビ「めざましテレビ」が推し進めている「39プロジェクト」の「ありがとう」をテーマにしたコンピレーション「Thank You!」(2007年6月7日発売)にも収録。
  • KEEP ON(2011年11月17日、BEATSISTA) - 2ndミニアルバム。収録の「GOAL」はTBS系全国ネット「チューボーですよ!」のエンディングテーマに採用された。
  • TAROかまやつ「ピアノマンの部屋 〜名曲一発勝負ピアノセレクション〜」 - ラジオ番組「ピアノマンの部屋」企画限定CD。店舗流通はしない限定生産CD。ライブ会場で枚数限定で販売されている(不定期)。

「ムッシュかまやつ70thアルバム」に参加

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音楽プロデューサー武部聡志がプロデュース、今井美樹秦基博THE ALFEEトータス松本一青窈布袋寅泰堺正章井上順甲斐名都松任谷由実森山良子森山直太朗Microといったアーティストが多数参加し、2009年2月18日avex-ioより発売されたムッシュかまやつの70歳記念アルバム『1939〜MONSIEUR』に詞曲「ゆっくりと ゆっくりと」を書き下ろし、歌唱及びピアノ演奏で39年ぶりの親子デュエットを行った。[1]

音楽一家

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  • 祖父(父方)は日本のジャズミュージシャン・シンガーの第一人者であるティーブ・釜萢。父の「ムッシュかまやつ」ことかまやつひろしも、音楽界からカリスマ的な尊敬を集めるミュージシャン・シンガー。父方祖母方の親戚には、大叔父(祖母の妹(浅田陽子)の夫)にジャズ奏者の森山久、いとこ叔母(森山久の娘)に森山良子はとこ(良子の息子)に森山直太朗がいる。
  • TAROは森山良子のコンサート、イベントなどで良子の代表曲「あなたが好きで」のピアノ伴奏などで親族共演を果たしている。2006年8月にはJZBratで行われたTAROのライブに良子はムッシュと共に飛入りし2曲を共演した。

ラジオ番組

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2006年4月1日よりAIR-G'FM山陰(V-Air)の2局ネットのラジオ番組「TAROかまやつ ピアノマンの部屋」をスタートした(キー局のAIR-G'は土曜日20:00-20:30 JST、V-Airは1日遅れネットで日曜日20:30-21:00 JST)。FMは2007年3月31日に終了したが、2006年8月よりPodCastより配信。 「名曲一発勝負」のコーナーは毎回番組内で世界の名曲をTAROなりのアレンジでグランドピアノで弾いている。その音源は携帯電話着うたサイト「GLOBAL EXOTICA」でダウンロード出来るシステムになっている。 100回目の放送では、父であるムッシュかまやつがゲスト出演した。

ムッシュかまやつ七回忌トリビュートコンサート

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七回忌となった2023年3月1日にLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で行われた「ムッシュかまやつトリビュートfor七回忌」に特別出演。 プロデュース武部聡志、松任谷正隆演出による“音楽で七回忌“のコンセプト「演奏する喪主」として、父の古希のアルバムの為に書き下ろした デュエット曲「ゆっくりゆっくりと」を映像の中の父とピアノ弾き語りの生演奏で共演。 そして、父のスパイダースの盟友、堺正章と井上順と並び3人で踊りながら、スパイダースの名曲「なんとなくなんとなく」を歌唱した。 TAROは「はじめは自分は喪主として挨拶程度で出演や演奏する事を固辞したが、正隆さんの描かれてる素敵なコンセプトをお聞きし出演させて頂く事にしました」と語っている。 ゲストは堺正章、井上順、松任谷由実、今井美樹、森山良子、森山直太朗、Life is grooveのKenken&山岸竜之介と豪華なコンサートとなった。

野球

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高校時代は慶應義塾高等学校硬式野球部に所属、2009年より現在まで野球チーム「麻布おもいやり軍」のGMを務める。母校の2023年夏の甲子園大会優勝の際には、甲子園まで応援に行く様子がSNSに綴られている。中学生の頃より読売巨人軍・原辰徳のファン。

使用楽器

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関連項目

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記事

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脚注

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  1. ^ ムッシュかまやつはスパイダース解散後の最初のアルバムとなる1970年発売の『ムッシュ〜かまやつひろしの世界』の収録曲「ムッシュ&タロー」で生まれたばかりのTAROと共演している。TAROは泣き声だけだが。ちなみにムッシュかまやつとその父のティーブ釜萢も、1971年に「ファザー&マッドサン」というコラレーションアルバムをリリースしている。

外部サイト

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