さらば恋人よ
さらば恋人よ(さらばこいびとよ、イタリア語: Bella ciao)とは、イタリア内戦の時に創作され、イタリア・パルチザンによって歌われた歌曲である。この曲は、やがて反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌として、国際的に歌われるようになった。
「さらば恋人よ」 | |
---|---|
楽曲 | |
作詞者 | 不明 |
言語 | イタリア語 |
歴史
[編集]「さらば恋人よ」は、1943年から1945年まで続いた、反ファシスト党運動において歌われた[1]。作詞者・作曲者は共にわかっておらず、この楽曲はポー川の流域周辺にいた農民たちの間で、20世紀前半にかけて歌われていた「Alla mattina appena alzata」という名の民謡に基づいてできたものである[2]。
1962年、この曲は音楽研究者のために、イタリアのフォークシンガーであるジョヴァンナ・ダッフィーニによって録音された[3]。「さらば恋人よ」以前の類似したバージョンの楽曲は、「Alla mattina appena alzata」が19世紀後半に作られたものであることを示している[4]。最古のバージョンは、1906年に作成されたもので、ピエモンテ州ヴェルチェッリ近郊が発祥とされている[5]。
歌詞
[編集]イタリア語歌詞 | 日本語訳 |
---|---|
Una mattina mi son svegliata, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! Una mattina mi son svegliata, e ho trovato l'invasor. O partigiano, portami via, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! O partigiano, portami via, ché mi sento di morir. E se io muoio da partigiano, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! E se io muoio da partigiano, tu mi devi seppellir. E seppellire lassù in montagna, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! E seppellire lassù in montagna, sotto l'ombra di un bel fior. E le genti che passeranno, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! E le genti che passeranno, Mi diranno Che bel fior! È questo il fiore del partigiano, o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao! È questo il fiore del partigiano, morto per la libertà! È questo il fiore del partigiano, morto per la libertà! |
ある朝私は目覚めた さらば、さらば恋人よ ある朝私は目覚めた そして侵略者を目にした ああパルチザンよ、連れ去ってくれ さらば、さらば恋人よ ああパルチザンよ、連れ去ってくれ 死の訪れはもう遅くないから またもし、私がパルチザンとして帰らぬ人と化したら さらば、さらば恋人よ またもし、私がパルチザンとして帰らぬ人と化したら あなたは私を埋めなければならない 私を山奥に埋めてくれ さらば、さらば恋人よ 私を山奥に埋めてくれ さらば、さらば恋人よ そしてたくさんの人たちが通り過ぎたら さらば、さらば恋人よ そしてたくさんの人たちが通り過ぎたら 美しき花とは何なのかをあなたに教えてくれるだろう これはパルチザンの花なのだ さらば、さらば恋人よ これはパルチザンの花なのだ 自由のために死んでいった これはパルチザンの花なのだ 自由のために死んでいった |
国際的なバージョン
[編集]オリジナルのイタリア語バージョンに加え、たくさんのアーティストらにより、この曲はアラビア語、ブルトン語、カタルーニャ語、中国語、クロアチア語、デンマーク語、英語、エスペラント、フィンランド語、ドイツ語、ハンガリー語、日本語、ペルシア語、クルド語、ノルウェー語、ロシア語、セルビア語、スロベニア語、スペイン語、タガログ語、タイ語、チベット語、トルコ語、ウクライナ語といった様々な言語で歌われるようになった[要出典]。日本でも、東京大学音感合唱研究会の日本語翻訳の「ある朝目覚めて」に始まる歌詞が作られて[6]、1950〜1960年代には左派によって歌声喫茶などで歌われた。
現代での歌われ方
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
国際的に知られた自由への賛歌として、この楽曲は、歴史的及び革命的なイベントにて歌われた。またこの楽曲は、元々はナチス・ドイツの占領軍と戦っていたイタリアのパルチザンらと、強く結びついていたが、今日では、圧政から解放されるという固有の権利を象徴している[7][8]。
脚注
[編集]- ^ Page 51, Arts and Terror, edited by Vladimir L. Marchenkov
- ^ Page 42, Songs That Made History Around the World, By JERRY SILVERMAN
- ^ Recording made by musicologists Gianni Bosio and Roberto Leydi in 1962. Giovanna Daffini: "Alla mattina appena alzata", from the CD: Giovanna Daffini: L’amata genitrice (1991)
- ^ Bermani, Cesare (2003). Guerra guerra ai palazzi e alle chiese. Odradek Edizioni. ISBN 978-8886973472
- ^ D. Massa, R. Palazzi and S. Vittone: Riseri d'al me coeur
- ^ さらば恋人よ Bella ciao(うたごえ喫茶)
- ^ http://pstream.lastampa.it.dl1.ipercast.net/lastampa/2015/01/23/d37A1QUG.mp4
- ^ http://video.corriere.it/bella-ciao-tutte-lingue-mondo-cosi-canto-partigiani-diventato-global/24c02342-a38b-11e4-808e-442fa7f91611
関連項目
[編集]- バンディエラ・ロッサ-イタリアの革命歌
- アレクサンドロフ・アンサンブル-この曲の演奏グループの一つ