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なごや爆笑寄席 大須演芸場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なごや爆笑寄席 大須演芸場
中継会場の大須演芸場
ジャンル 演芸番組
出演者 伊東かおる
正司敏江・玲児
桂春団治
三遊亭円丈
早野凡平
木村透・好江
柳家権太楼
ふじゆきえ・はなこ
迫田タクマ
桂才賀
桜井長一郎
鈴々舎馬風
水田かかし
柳家小三亀松ほか
製作
制作 東海テレビ
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1986年2月25日 - 1992年3月15日
放送時間毎月最終火曜 0:30 - 1:00(放送開始当時)
放送分30分
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なごや爆笑寄席 大須演芸場(なごやばくしょうよせ おおすえんげいじょう)は、1986年2月25日から1992年3月15日まで[1]東海テレビで放送されていた演芸番組である。大須演芸場からの中継録画。家賃滞納で経営難に陥っていた同演芸場支援のため放送された[2]

概要

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司会者はおらず、2組ないし3組の演芸で構成されていた。OPは当時大須演芸場専属だった若手トリオ涙・恋笑隊大須観音境内で鳩の群れと戯れている映像に「なごや爆笑寄席 大須演芸場」("大須演芸場"の5文字は一段下げ)の赤地白抜きのテロップがかぶる映像で、出演者紹介テロップはなかった。特段EDも設けられておらず最終出番の下げに「制作著作 東海テレビ」のテロップが右下に出るだけであった。年末(12月)や番組改変期等、放送休止する月もあった[1]。月一放送のため放送時間の変動が多く、1987年4月以降は放送開始時刻が0:40であったり1:10であったり安定していない[1]。1988年からは放送曜日も火曜深夜から水曜深夜に変わり、また最終水曜ではなく第3水曜に放送された月もある[1]。1990年12月から最終回までは概ね最終日曜日深夜1:00から放送されている[1]

第1回放送内容は1986年2月4日に同演芸場で収録された正司敏江・玲児漫才桂春団治落語[2]1990年9月放送分(同月の最終水曜9月26日OA)は唯一のスペシャル編成で「なごや爆笑寄席スペシャル ドドーッとよしもと大集合!!」と題され、出演者は宮川大助花子桂きん枝桂小枝ほか、となっている[1]。当番組は放送時間がいかなる曜日時刻であっても30分番組として放送されているが、この回だけは55分である(放送時間は0時55分~1時50分)[1]

1991年5月放送分(同月第3日曜5月19日OA)では三遊亭円丈の実験落語"パパラギ"が放送されている[3]

最終回の放送内容は「抱腹絶倒Wコミックの飲酒運転発見法」と「これが見納め?ものまね界の大御所・桜井長一郎」であった[1]。桜井長一郎や早野凡平の最晩年を見ることができる番組であった。

放送局

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  • 東海テレビ(制作局)
  • テレビ埼玉(不定期放送 初出は1986年10月13日 20:55~21:25[1])


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 朝日新聞 縮刷版』1986年2月~1992年3月各巻(朝日新聞社)
  2. ^ a b 「笑いの殿堂 電波も支援 大須演芸場」『中日新聞』夕刊市民版1986年2月5日、E、6面。「名古屋の寄席の灯を消すな!ーーと今度は東海テレビが乗り出した。滞納家賃で四苦八苦する名古屋市中区大須の大須演芸場(足立秀夫席亭)で四日、東海テレビの『なごや爆笑寄席-大須演芸場』の収録が行われた。大須演芸場ではこれまでもテレビ愛知や中京テレビの正月番組の公開録画が行われ、元日からの正月興行では立見客が出るほどの大入りを記録。滞納家賃千三百万円のうち、三百万円を支払った。だが、まだ前途は多難。そこで東海テレビが支援に乗り出し、月一回のレギュラーで最終火曜日の深夜零時三十分から三十分間、同演芸場の寄席番組を中継録画で放送することになった。毎月、出演中の芸人のなかから二、三組を紹介するもので、第一回収録(二十五日放送)は落語家の桂春団治さんと漫才の正司敏江・玲児さんの出演。敏江・玲児さんはデビューがこの大須演芸場でコンビを組んでこの五月に二十年目を迎える。久しぶりの懐かしい舞台で大熱演だった。東海テレビの梁瀬秀臣PR部長は『番組で寄席の雰囲気を味わってもらい、演芸場に足を運んでもらえれば一助になる』と話している。」」
  3. ^ 1991年5月19日付読売新聞 中部版最終テレビ欄 「1:00 なごや爆笑寄席」の本文『南国の民族衣装で舞台狭しと大熱演!!三遊亭円丈"パパラギ"・南けんじのギャグ爆笑漫談』より

関連項目

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