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はくよう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はくよう
基本情報
船種 深海探査艇
船籍 日本の旗 日本
所有者 日本海洋産業
→深田サルベージ
→新日本海事
建造所 川崎重工業
経歴
起工 1970年7月
進水 1971年3月
竣工 1971年4月22日
引退 2013年5月31日
現況 いおワールドかごしま水族館内に展示
要目
トン数 6.6 トン
全長 6.4 m
1.6 m
高さ 2.9 m
喫水 1.9 m
推進器 電動機
速力 3.5ノット
潜航時間 48時間(3名乗船時)
潜航深度 300 m
乗組員 通常2名、最大3名
出典[1][2]
テンプレートを表示

はくよう新日本海事が所有していた有人小型潜水調査船。総潜航回数は8,134回[3][4]

概要

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川崎重工業によって建造された日本初の小型水中作業船である。1970年(昭和45年)7月起工式。1971年(昭和46年)3月着水、同年4月22日に完成し、住友商事の子会社である日本海洋産業に引き渡された[5]。日本海洋産業は1979年(昭和54年)12月に潜水艇部門を廃止し、はくようを深田サルベージに売却した。その後、深田サルベージから系列会社の新日本海事に移管されている[6]

潜航最高深度は300m[7]。有人潜水艇としての潜行回数8,134回は世界一[4]。操縦者として1名、乗務員として2名搭乗可能であった。

潜行の目的は、海底ケーブルパイプライン調査、海底生物ビデオ撮影、生物や熱水噴出口調査、沈船や海没航空機の捜索回収、映画撮影協力、浅深度、深深度における金属腐食疲労実験、海没遺失物の捜索など多岐に及ぶ。1977年には、鹿児島湾の海底で「たぎり」といわれる火山性噴気現象の観察に成功[3]。1985年にはビキニ環礁に沈んでいた戦艦長門を発見している[8]。2001年12月の九州南西海域工作船事件では、翌2002年9月に行われた工作船の引き揚げに際して、事前潜水調査を行っている[3]

2013年5月31日退役[4]。同年11月1日付で深田サルベージ建設[9]からいおワールドかごしま水族館に寄贈され、12月24日から敷地内で展示されている[3]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 川崎重工業株式会社潜水艦設計部 1972.
  2. ^ 谷内 1986.
  3. ^ a b c d “余生も鹿児島で 近海で活躍 潜水艇「はくよう」”. 朝日新聞(鹿児島版). (2014年1月17日) 
  4. ^ a b c 潜水艇「はくよう」の中にはいっちゃおう!”. いおワールドかごしま水族館 (2015年3月21日). 2015年5月21日閲覧。
  5. ^ 川崎重工業株式会社潜水艦設計部 1972, pp. 75, 80.
  6. ^ 鹿児島県 2000, pp. 316-317, 第1編 漁業部門 第20節 雑漁業.
  7. ^ 菊永睦郎 (2012年9月20日). “潜水艇「はくよう」の航跡”. 笹川平和財団海洋政策研究所(旧・海洋政策研究財団). 2021年5月27日閲覧。
  8. ^ 館長ノートvol.45 長門を見た大和ミュージアムHP、2018年9月9日、2019年4月21日閲覧
  9. ^ 2013年6月1日付で新日本海事を吸収合併。

参考文献

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  • 鹿児島県『鹿児島県水産技術のあゆみ』鹿児島県、2000年https://suigi.jp/ayumi/ 
  • 川崎重工業株式会社潜水艦設計部「小型水中作業船「はくよう」」『関西造船協会誌』第143号、関西造船協会、75-80頁、1972年3月30日。doi:10.14856/kansaiks.143.0_75ISSN 0389-9101 
  • 谷内琢也「特殊潜水船の最新技術」『日本舶用機関学会誌』第21巻、第2号、99-104頁、1986年。doi:10.5988/jime1966.21.99