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波多江孝文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はたえ金次郎から転送)
はたえ たかふみ
波多江 孝文
プロフィール
愛称 はた金次郎、はたえ金次郎
出身地 日本の旗東京都目黒区
生年月日 (1950-10-19) 1950年10月19日(74歳)
血液型 A型
最終学歴 國學院大學法学部法律学科
所属事務所 リベルタ
職歴 琉球放送ニッポン放送編成局制作部
活動期間 1972年 -
ジャンル バラエティ・生活情報・報道系
出演番組・活動
出演経歴 日立ミュージック・イン・ハイフォニックなど

波多江 孝文(はたえ たかふみ、1950年昭和25年〉10月19日[1] - )はフリーアナウンサー。元琉球放送アナウンサー、元ニッポン放送アナウンサー。元ニッポン放送 編成局制作部 特別職、株式会社ダイアナ元常務取締役・顧問、エル・ファクトリーを経て、現在はリベルタに所属。イベント プロデューサーとしても活動している。マイクネームははた金次郎はたえ金次郎。愛称「はた金」。東京都目黒区出身[2]。血液型はA型。

略歴

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1972年琉球放送にアナウンサーとして入社。琉球放送時代は、柳卓小山康昭と共に沖縄のラジオの人気を支えていた頃があった[2]。『飛び出せ!全国DJ諸君』の1977年度コンクールでグランプリを受賞した。1978年ニッポン放送に移籍[2]1979年4月マイクネームを公募して、「金太郎のように丸い顔だが、どちらかと言えば金太郎の弟分のようだ」といったことから「はた金次郎」に改名[2]。その後、1984年以降は「はたえ金次郎」となり、これらの名前で音楽番組や夕方の情報番組などを担当した。パーソナリティを務めながら、ラジオ番組の企画や音楽プロデュース活動などを行っていた。

2000年6月、ニッポン放送を退社。フリーアナウンサーに転身した。2009年7月24日、琉球放送(RBCiラジオ)の「団塊花盛り!」にサプライズゲストとして出演。その後も沖縄県来訪時はかつての同僚が務める番組に出演したり、同局開局60年記念の深夜番組「ご存知! 深夜大学」の復刻版を放送した。

1980年前後に日曜深夜の放送終了直前の時間帯[注釈 1]に『はた金のオールナイトニッポン電話リクエスト』を放送。内容は主に音楽に即した内容で、日本国内外のポップスの新譜やリクエスト曲をかけ、番組の後半(1時10分頃)から国内外ランキングの発表があった[注釈 2]。このベストテンは同番組のスポンサーである新星堂からも投票ができた。エンディング曲は、自身が結成した「HATAKIN&YMG」(後述)の「Good Night My Lovely Girl」。

『大入りダイヤルまだ宵の口』のパーソナリティを務めていた時に同じ番組のパーソナリティだったくり万太郎と「スイートポテト」というユニットを結成。1979年2月キャニオンレコードからシングル「真冬の帰り道」(B面「一人になれるかい」)を発売。1982年2月5日山中のりまさ村上秀一後藤次利と組んだ「HATAKIN&YMG」[注釈 3]としてシングル「SEASON」をビクターから発売。『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』のプロデューサーを務めていた当時の1990年松本明子の歌った「アッコちゃん音頭」を「HATAKIN」の名前で作曲も手掛けていた。

この他にも、松田聖子とのデュエットソング「シンデレラ騎士(ナイト)」をリリースするなど[注釈 4]、人気歌手とのデュエットや音楽プロデュースを数多く手掛けた。

過去の出演番組

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琉球放送

  • ご存知! 深夜大学(ラジオ、番組内で「はた坊」と呼ばれていた)
  • 聴いた! 見た! 話した! アナウンサーたちの沖縄復帰 (2022年5月16日)
  • RBCニュース(テレビ・ラジオとも)

など、主にラジオ出演が多かった。

ニッポン放送

フリー

CM

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脚注

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注釈

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  1. ^ 0時5分から1時30分まで。
  2. ^ その発表のバックに流れるのはYMOの「ライディーン」(アルバム『PUBLIC PRESSURE/公的抑圧』収録のもの。
  3. ^ YMGは山中、村上、後藤のそれぞれの頭文字。
  4. ^ 当時、はた金がパーソナリティーを務めていた「オールナイトニッポン電話リクエスト」に、よく聖子がゲスト出演していた縁で実現。
  5. ^ JRN単独系列局。元来のNRN系列局ラジオ沖縄がライバルの家電メーカー提供番組を放送している都合で当局での放送となった。

出典

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  1. ^ a b c d DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、220頁。
  2. ^ a b c d 明星集英社)1984年2月号『おかひろみのRADIO WAVE』p.168

関連項目

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外部リンク

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