みやま市立南小学校
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みやま市立南小学校 | |
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北緯33度08分06.4秒 東経130度28分02.7秒 / 北緯33.135111度 東経130.467417度座標: 北緯33度08分06.4秒 東経130度28分02.7秒 / 北緯33.135111度 東経130.467417度 | |
過去の名称 | 瀬高町立南小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | みやま市 |
併合学校 |
瀬高町立太神小学校 瀬高町立浜田小学校 |
設立年月日 | 1954年(昭和29年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B140222900026 |
所在地 | 〒835-0013 |
福岡県みやま市瀬高町太神1318番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
みやま市立南小学校(みやましりつ みなみしょうがっこう)は、福岡県みやま市瀬高町太神(おおが)に位置する公立の小学校。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「確かな学力と豊かな心を持ち、地域を大切にする子どもの育成」
- 校歌
- 作詞は古賀順蔵、作曲は金子達弥による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「南小学校」が登場する。
- 通学区域
- 「三ノ溝、高柳一、高柳二、東津留、泰仙寺、浜田一、浜田二、堀切北、堀切南、開、長島、井手ノ上、下小川東、下小川西、県営下小川団地、市営下小川団地、真木の一部」地区。中学校区はみやま市立瀬高中学校[1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 旧・太神小学校(おおが)
- 1875年(明治8年)- 長島村に「閘蒙小学校」、下小川村に「糵栽小学校」が創立。
- 1876年(明治9年)- 閘蒙小学校が「太神小学校」に、糵栽小学校が「下小川小学校」に改称。
- 1885年(明治18年) - 太神村が川沿村と連合で「十五番学区 太神小学校」を創立。浜鶴・小川の分校2校を設置(下小川小学校を統合)。
- 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易太神小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、山門郡3村(大江、太神、小川)が合併の上、小川村が発足。
- 1892年(明治25年) 4月 - 「太神尋常小学校」(尋常科3年制)に改称。補習科を附設。
- 1900年(明治33年)9月 - 尋常科を4年制に改める。
- 1907年(明治40年)1月1日 - 小川村が瀬高町に編入されたことにより、瀬高町立の尋常小学校となる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。実業補習学校を附設する。
- 1926年(大正15年)- 併置の実業補習学校が青年訓練所充当となる。
- 1930年(昭和5年)- 瀬高町内の実業補習学校6校が統合の上、「瀬高公民学校」として、下庄尋常高等小学校に集約される。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「瀬高町第六国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は「瀬高町立太神小学校」に改組・改称。
- 1951年(昭和26年)- 創立65周年記念式典を挙行。
- 旧・浜田小学校(はまだ)
- 1875年(明治8年)- 以下の小学校が創立。
- 東津留村に「和鳴小学校」(後に「津留小学校」に改称)。
- 浜田村に「養成小学校」(後に「浜田小学校」に改称)。
- 1876年(明治9年)- 津留小学校が浜田小学校に統合される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、山門郡5村(高柳、東津留、浜田、泰仙寺、河内)が合併の上、川沿村が発足。
- 1892年(明治25年) 4月 - 「川沿尋常小学校」(尋常科3年制)が創立。
- 1900年(明治33年) - 浜田に校舎を改築。この年9月に尋常科を4年制に改める。
- 1906年(明治39年)- 校舎を改築。
- 1907年(明治40年)
- この年 - 「浜田尋常小学校」(4年制)に改称。
- 1月1日 - 川沿村が瀬高町に編入されたことにより、瀬高町立の尋常小学校となる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。これにより尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。実業補習学校を附設する。
- 1912年(大正元年)- 校舎(南第一棟)を改築。
- 1920年(大正9年)4月1日 - 高等科を併置の上、「浜田尋常高等小学校」(尋常科6年・高等科2年)に改称。
- 1926年(大正15年)- 併置の実業補習学校が青年訓練所充当となる。
- 1930年(昭和5年)- 瀬高町内の実業補習学校6校が統合の上、「瀬高公民学校」として、下庄尋常高等小学校に集約される。
- 1931年(昭和6年)- 瀬高公民学校が南部と北部に分離。瀬高南部公民学校が併置される。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併置の瀬高南部公民学校が瀬高南部青年学校となる。
- 1937年(昭和12年)- 青年学校2校が統合の上、瀬高高等実業青年学校として、独立校舎を建設し、移転を完了(瀬高町大字下庄飛岡1882番地)。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「瀬高町第五国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は「瀬高町立浜田小学校」に改組・改称。
- 1950年(昭和25年)- 創立60周年記念式典を挙行。
- 統合・南小学校
- 1954年(昭和29年)
- 4月1日 - 上記の小学校2校(太神・浜田)を統合の上、「瀬高町立南小学校」が開校。
- 10月 - 校舎第一棟・第二棟を改築。
- 1955年(昭和30年)- 校舎第三棟・給食室等が完成。
- 1958年(昭和33年)- 講堂が完成。
- 1962年(昭和37年)- プールが完成。
- 1978年(昭和53年)- 体育館が完成。
- 1982年(昭和57年)- 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 1995年(平成7年)- プールが完成。
- 2003年(平成15年)- 創立50周年記念式典を挙行。
- 2007年(平成19年)1月29日 - 3町合併により、みやま市が発足したため、「みやま市立南小学校」(現在名)に改称。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- みやま市コミュニティバス 「工藤医院前」停留所
- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 柳川警察署 南瀬高警察官駐在所
- 南瀬高郵便局
脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「瀬高町誌」(1974年(昭和49年)6月10日発行, 瀬高町)p.251~p.253(南小学校)
- 「みやま市史 通史編 下巻」(2020年(令和2年)3月発行, みやま市)- p.650~p.651
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- みやま市立南小学校 - みやま市ウェブサイト