アウギュスト・アンゴー
アウギュスト・アンゴー(Auguste René Angot, 1843年9月5日 - 1913年4月3日)はフランスの獣医師。フランス陸軍獣医であった明治時代初期に来日し、お雇い外国人教師として陸軍で獣医学を教授した。
概要
[編集]1873年(明治6年)3月、日本陸軍は軍馬の診療と治療をする馬医[* 1]の養成教育を陸軍兵学寮[* 2]で行うため馬医生徒を募り、同年中に15名が兵学寮第二舎へ入舎した。陸軍創設当初の馬医は民間、あるいは各藩の親兵に随行した馬医から採用されていたために、日本古来の伝統的な馬医術の知識しかなかった[1]。陸軍省で馬医学務を担当していた深谷周三[* 3]は自身の蘭学経験から兵学寮頭鳥尾小弥太に建白し、フランスの獣医学を取り入れることとした[2]。
1874年(明治7年)4月、トゥールーズ獣医学校出身の二等獣医(中尉相当)アウギュスト・アンゴーが御雇教師として来日し、同年5月より陸軍兵学寮で教育を行った[3][2][4]。アンゴーは馬医生徒に解剖学の中から骨学の学科と実習の両教育を行い、すでに陸軍馬医官として勤務している者には病理学の講義と病床講義を実施した。また時には郊外で植物を採取し生徒に実地に説明し、薬となる秣(まぐさ)の研究参考とするほか植物学通論も教授した[5]。
1877年(明治10年)1月、陸軍獣医学校の前身となる陸軍馬医学舎が設置されるとアンゴーは同学舎の教壇に立ち、1880年(明治13年)8月、契約期間満了にともない帰国した[6]。約6年半の滞日期間中に西洋の近代獣医学を教授した馬医生徒は25名、そのうち黒瀬貞次[* 4]は後年トゥールーズ獣医学校へ留学している[4]。アンゴーは日本近代獣医学の基礎を築いた獣医師の一人である[7][4][* 5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 江戸時代から明治初期において獣医は一般的に「馬医」と呼ばれた。
- ^ 陸軍士官学校の前身。
- ^ 陸軍獣医部の最高位であった陸軍獣医監(深谷が任じられた1880〜90年代は少佐相当)を経て、予備役編入後に私立日本獣医学校(現在の日本獣医生命科学大学)校長。
- ^ のちに陸軍獣医監(黒瀬が任じられた当時は少佐相当)を経て、私立東京獣医学校(現在の日本獣医生命科学大学)校長代理。獣医学博士。
- ^ (『日本獸醫學史』)では「一等獣医アンゴー」としている。一等獣医は1886年以降の大尉相当の階級である。確認できる陸軍部内文書では来日後しばらくして「馬医アンゴー」と記述され、この場合の「馬医」は当時の日本陸軍における階級(大尉相当。中尉相当の階級は「馬医副」)とも考えられる。
出典
[編集]- ^ 『日本獸醫學史』, p. 225.
- ^ a b 『日本獸醫學史』, p. 228.
- ^ 「陸軍省雇教師増員仏国ヨリ至ル」 アジア歴史資料センター Ref.A03023320200
- ^ a b c (小佐々学 2011)
- ^ 『日本獸醫學史』, p. 229.
- ^ 「明治13年「大日記 各局各官?の部9月水陸軍省総務局」(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C04029171900
- ^ 『日本獸醫學史』, p. 23.
参考文献
[編集]- 白井恒三郎『日本獸醫學史』文永堂、1944年。全国書誌番号:46021250 。
(底本) 白井恒三郎『日本獣医学史』 麻布獣医科大学〈獣医学博士 乙第8号〉、1967年。NAID 500000414578 。 - 小佐々学「日本在来馬と西洋馬:獣医療の進展と日欧獣医学交流史」『日本獣医師会雑誌』第64巻第6号、日本獣医師会、2011年6月、419-426頁、ISSN 04466454、NCID AN00191857、CRID 1520290882832195328。