アガフィヤ・フセヴォロドヴナ
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アガフィヤ・フセヴォロドヴナ Агафия Всеволодовна | |
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ウラジーミル大公妃 | |
在位 | 1212年 - 1216年、1218年 - 1238年 |
出生 |
1195年頃 |
死去 |
1238年2月7日 |
配偶者 | ウラジーミル大公ユーリー |
子女 |
フセヴォロド ムスチスラフ ドブラヴァ ウラジーミル フェオドラ |
家名 | リューリク家 |
父親 | チェルニゴフ公フセヴォロド |
母親 | マリア・カジミェジュヴナ |
アガフィヤ・フセヴォロドヴナ(ロシア語: Агафия Всеволодовна、1195年頃 - 1238年2月7日)は、チェルニゴフ公フセヴォロドと妻マリア(ポーランド王カジミェシュ2世娘)との間の子である。ウラジーミル大公ユーリーの妻。
1211年4月10日、父の提案によりウラジーミル大公国のユーリーと結婚した(翌年、ユーリーはウラジーミル大公に即位)。ユーリーとの間には3人の息子と2人の娘が生まれた。しかし1238年2月7日、モンゴルのルーシ侵攻によるウラジーミル陥落(ru)によって、アガフィヤは末娘のフェオドラらと共に殺害された。アガフィヤの子はヴォルィーニ公国に嫁いでいたドブラヴァのみが生き永らえた。
子女
[編集]- フセヴォロド(ru) - ノヴゴロド公。オーヴルチ公ウラジーミルの娘・マリナと結婚。
- ムスチスラフ(ru) - マリヤ(出自不詳)と結婚。
- ドブラヴァ - ヴォルィーニ公ヴァシリコと結婚。
- ウラジーミル(ru) - モスクワのナメストニク。フリスチナ(出自不詳)と結婚。
- フェオドラ
参考文献
[編集]- Данилевский И. Н. Русские земли глазами современников и потомков (XII—XIV вв.). М.: Аспект-Пресс, 2000
- Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 1. — С. 10.