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アシュタウン男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アシュタウン男爵
Baron Ashtown

紋章記述

Arms:Or a Lion passant Gules between three Fleurs-de-lis Azure on a Chief of the last a Sun in Splendour Or Crest:A Dexter Arm in armour embowed the hand grasping a Sword all proper Supporters:Dexter: A Lion Gules ducally crowned and powdered with Fleurs-de-lis Or; Sinister: A Stag proper armed and hoofed ducally gorged and lined Or
創設時期1800年12月27日
創設者ジョージ3世
貴族アイルランド貴族
初代初代男爵フレデリック・トレンチ
現所有者8代男爵ロデリック・トレンチ
相続人ティモシー・トレンチ閣下
相続資格初代男爵の嫡出直系男子。さもなくば、初代男爵の父の直系男子。
付随称号なし
現況存続
モットー幸運は善行につき従うもの
(Virtutis Fortuna Comes)

アシュタウン男爵: Baron Ashtown)はイギリスの男爵貴族アイルランド貴族爵位。庶民院議員フレデリック・トレンチが1800年に叙位されたことに始まる。クランカーティ伯爵家とは同族。

なお、トレンチ家が男爵位以外に保持する爵位はない。

歴史

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男爵家の祖フレデリック・トレンチ(1755-1840)アイルランド庶民院議員を務めた人物である[1][2]。彼はグレートブリテン王国アイルランド王国合同には反対していたが[2]、合同支持に転じる報酬として1800年12月27日アイルランド貴族爵位の「ゴールウェイ県モートのアシュタウン男爵(Baron Ashtown, of Moate in the County of Galway)」に叙せられた[1][2][3][4]。この爵位には初代男爵の男子が途絶えた場合には、彼の同名の父フレデリック・トレンチ(1724-1797)[註釈 1]の直系男子にもその継承を認める特別継承権が定められていた[1][2][3]。そのため、初代男爵が嗣子なく1840年に没した後は、1855年に弟フランシスの息子フレデリックへの継承が認められて[5]、彼が2代男爵に確定した[1][2][4]

2代男爵フレデリック(1804-1880)ゴールウェイ県長官英語版を務めた[1][2][6]。彼は長男フレデリック・シドニー(1839-1879)に先立たれていたことから、同名の孫フレデリックが爵位を襲った[1][4]

3代男爵フレデリック(1868-1946)は、1908年より保守党の政治家として貴族代表議員に選出されて貴族院に籍を置いていたが[1][2]、1915年に議員欠格事由にあたる破産宣告を受けた[註釈 2][9]。爵位は息子ロバートが継承した[1]

4代男爵ロバート(1897-1966)には子がなく、爵位は彼の弟ダドリーが相続した[1]

5代男爵ダドリー(1901-1979)には娘が2人いたが息子はおらず、3代男爵の系統は途絶えた[1]。そのため、爵位は3代男爵の弟ウィリアムの子孫に遡って、クリストファーが継承している[1]

しかしながら、6代男爵クリストファーは生涯未婚であったためにこの系統も途絶えた[1][10]。爵位は2代男爵の次男コズビー・トレンチ英語版(1844-1925)の系統に遡って、その子孫ナイジェルが継ぐとともに、この系統で現在まで至っている[1]

7代男爵ナイジェル(1916-2010)は外交官として駐韓大使英語版駐ポルトガル大使英語版を歴任した[1][11]

その息子である8代男爵ロデリック(1944-)が、2020年現在のアシュタウン男爵家現当主である。

アシュタウン男爵家出身の人物としては、香港総督を務めたデイヴィッド・トレンチ英語版が挙げられ、彼は初代男爵の弟の子孫にあたる[12]


一族のかつての邸宅は、ゴールウェイ県バリナスローに位置したウッドローン・ハウス英語版であったが[4]、4代男爵の代に売却された[13]

一族と爵位にかかるモットーは、「幸運は善行につき従うもの(Virtutis Fortuna Comes)[1][4]

アシュタウン男爵(1800年)

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爵位の法定推定相続人は、現当主の息子ティモシー・ロデリック・ハミルトン・トレンチ閣下(1968-)

脚注

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註釈

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  1. ^ 初代男爵の父フレデリック・トレンチには7人の息子がいたため、結果的にきわめて広範な相続を認める継承規定となっている。
  2. ^ 貴族院議員の欠格事由の一つに「不行跡による破産(不運で破産した者を除く)」がある[7]。ただし、貴族院議員はこの当時は原則として終身であったため[7][8]、形式上は3代男爵は破産後も貴族代表議員たりえたが、実質的には官報たるガゼットに示されるとおりに後任の議員(第4代クロフトン男爵)が選出されるに至った[9]。現在は2014年貴族院改革法英語版等によって、一定条件下における議員の失職、除名及び登院停止が認められている[8]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Ashtown, Baron (I, 1800)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年6月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 281.
  3. ^ a b "No. 15326". The London Gazette (英語). 6 January 1801. p. 40. 2020年7月4日閲覧
  4. ^ a b c d e Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 70. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/70 
  5. ^ “Summary of News”. Anglo-Celt. (26 July 1855). http://www.irelandoldnews.com/Cavan/1855/JUL.html 7 August 2009閲覧。 
  6. ^ “Galway Assizes”. Connaught Journal. (12 March 1840). http://www.irelandoldnews.com/Galway/1840/MAR.html 7 August 2009閲覧。 
  7. ^ a b 神戸史雄『イギリス憲法読本』丸善出版サービスセンター、2005年、102頁。ISBN 978-4896301793 
  8. ^ a b 田中 嘉彦『英国の貴族院改革―ウェストミンスター・モデルと第二院』(初版)成文堂、2015年9月30日、165頁。ISBN 978-4-7923-3336-2 
  9. ^ a b "No. 29402". The London Gazette (英語). 14 December 1915. p. 12436. 2020年6月26日閲覧
  10. ^ Cokayne, G. E., ed (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times, volume XIV: Addenda & Corrigenda. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 44. ISBN 978-0-7509-0154-3 
  11. ^ Mosley, Charles (1999). Burke's Peerage and Baronetage. 1 (106 ed.). Switzerland: Burke's Peerage. p. 123 
  12. ^ “Lord Ashtown: diplomat” (英語). The Times. (19 March 2010). https://www.thetimes.co.uk/article/lord-ashtown-diplomat-07w0hgp3nrd 
  13. ^ Abandoned Ireland”. www.abandonedireland.com. 2020年7月4日閲覧。

関連項目

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