アジール・チンドン
『アジール・チンドン』 | ||||
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ソウル・フラワー・モノノケ・サミット の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | チンドン | |||
レーベル | リスペクト・レコード | |||
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット アルバム 年表 | ||||
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アジール・チンドン(ASYL CHING-DONG)は、1995年12月9日に発売された、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのデビュー・アルバム。
解説
[編集]ソウル・フラワー・ユニオンは1995年、阪神・淡路大震災の直後にソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義で「出前慰問ライヴ」を行った。これは伊丹英子の発案によるもので、震災被災者に何か出来ないのかという気持ちからのことであった。諸般の理由からアコースティックな楽器を用いることにし、エレキ・ギターを沖縄の三線に、ドラムをチンドン太鼓や朝鮮のチャンゴに持ち替え、他のメンバーはそれぞれアコーディオンやクラリネットなどを持ち、マイクの替わりにメガホンや拡声器を使い(震災当初、如何なる場所でも演奏出来る、ということが主眼に置かれた故の「非電化」であった)、戦前戦後の流行歌やアイヌ民謡、沖縄民謡、朝鮮民謡などを彼ら独自のアレンジで演奏し、被災者の、特にお年寄りからの反響が大きく、メンバーはお年寄りに歌いつ教えられつといった感じで、慣れない楽曲を習得していったという。
このアルバムは、ソウル・フラワー・ユニオンが所属するメジャーのソニー・ミュージックエンタテインメント(キューンレコード)からのリリースではなく、自主制作という形をとり、沖縄系の作品を多く出しているインディーズのリスペクト・レコードからのリリースとなった。
前月にリリースされたソウル・フラワー・ユニオンのシングル「満月の夕」のカップリングとして本来は「復興節」(元は関東大震災後に流行した曲。ソウル・フラワー・ユニオン版は阪神・淡路大震災を題材にした歌詞が追加されている)を予定していたが、レコード会社の自主規制により却下される(ソニー・ミュージックエンタテインメントは烏賀陽弘道の取材に「震災をネタに浮かれていると取られる可能性が1%でもある限り、発売はできない」[1] と回答した)という事件のため、自主制作の道へとつながった。
本作は3万枚を売り上げ[1]、ロング・セラーを続けている。
なお、アルバム・タイトルの「アジール」は、ドイツ語で「自由領域」「避難所」「権力が及ばない場所」を意味し、アルバム・ジャケットは、写真家北井一夫による三里塚闘争の写真である。
収録曲
[編集]- 復興節 FUKKO-BUSHI 〜壮士演歌・添田さつき・1923年
- 美しき天然 UTSUKUSHIKI TENNEN〜流行歌・1901年
- ラッパ節 RAPPA-BUSHI 〜壮士演歌・添田唖蝉坊・1905年
- 聞け万国の労働者 KIKE! BANKOKU NO RODOSHA 〜革命歌・1920年
- デモクラシー節〜デカンショ節 DEMOCRACY-BUSHI-DEKANSHO-BUSHI 〜革命歌・1919年、兵庫民謡
- 貝殻節〜アランペニ KAIGARA-BUSHI-ARANPENI 〜鳥取民謡、アイヌ民謡
- がんばろう GANBAROU〜革命歌・1960年
- 東京節 TOKYO-BUSHI〜壮士演歌・1919年
- 竹田の子守唄 TAKEDA NO KOMORI-UTA (TAKEDA'S LULLABY)〜京都民謡
脚注
[編集]- ^ a b 烏賀陽弘道『Jポップとは何か』岩波新書、2005年4月、101頁。ISBN 400430945X