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アスケラン地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アスケラン地区

Ասկերանի շրջան
Аскеранский район
アスケラン(2010年撮影)
アスケラン(2010年撮影)
2020年紛争から2023年までの領域
2020年紛争から2023年までの領域
北緯39度56分12秒 東経46度49分58秒 / 北緯39.93667度 東経46.83278度 / 39.93667; 46.83278
国家 アルツァフ共和国の旗 アルツァフ共和国
中心都市 アスケランロシア語版
政府
 • 行政長官 Hamlet Apresyan[1]
面積
 • 合計 1,221.92 km2
面積順位 5位
人口
(2020年1月1日)
 • 合計 17,000人
 • 順位 4位
 • 密度 14人/km2
  [3]
等時帯 UTC+4 (アルメニア時間)
ウェブサイト gov.nkr.am/hy/regions/details/50/
面積・人口は2020年紛争以前のデータ。

アスケラン地区(アスケランちく、アルメニア語: Ասկերանի շրջանロシア語: Аскеранский район)は、かつてアゼルバイジャンナゴルノ・カラバフを実効支配していたアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ共和国)の地区(ラヨン)。中心都市はアスケランロシア語版[3]

ナゴルノ・カラバフ自治州に設置されていた同名の地区を前身とし、ナゴルノ・カラバフ戦争(第一次ナゴルノ・カラバフ戦争)で旧自治州外のアグダム県を併合したが、2020年ナゴルノ・カラバフ紛争停戦協定でアゼルバイジャンへ返還した。2023年9月には実効支配地域をすべて喪失し、以降は名目上の行政区画となっている。

アルツァフの東部に位置し、北をマルタケルト地区、東をアゼルバイジャン、南東をマルトゥニ地区、南をハドルト地区シュシー地区、西をカシャタグ地区と接していた。また地区南西部に同国首都のステパナケルト特別市があった。アゼルバイジャン領復帰後はアゼルバイジャンホジャリ県アゼルバイジャン語版の一部となっている。

2020年紛争以前の面積は1,221.92平方キロメートル[2](1,165.75 km2 [3]、1,196.3 km2 [1]とする資料もある)。人口は1.7万人[3]

歴史

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前身はアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州に設置されていた同名の地区。1991年9月2日に自治州がナゴルノ・カラバフ共和国(現在のアルツァフ)として独立宣言後、改めてアスケラン地区が発足した。なおアゼルバイジャン政府は11月26日にアスケラン地区をホジャリ県へ改編している[4]。1992年2月、ホジャリでアルツァフ軍によるホジャリ大虐殺が発生した。

1993年7月23日、アルメニア軍は旧自治州外のアグダム県へ侵攻し、県の7割を占領した。県都アグダムはアゼルバイジャン人住民が逃亡し、ゴーストタウンと化した[5]

2020年ナゴルノ・カラバフ紛争(第二次ナゴルノ・カラバフ戦争)では地区南部のSghnakhアゼルバイジャン軍に占領された[6]停戦協定では旧自治州外の占領地にあたるアグダム県を11月20日にアゼルバイジャンへ返還した[7]。なおSghnakhなどは自治州時代にも含まれていた地域だったが、アルツァフへ返還されることはなかったため、2020年紛争以降のアスケラン地区は自治州時代よりも小さくなった。

2023年9月、アゼルバイジャンの軍事作戦によりアルツァフは降伏し、アスケラン地区はアゼルバイジャンの支配下に入った。以降は名目上の存在となったものの、行政長官は無給で引き続き公務に就いている[8]

都市

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2020年1月時点で1都市と41農村共同体が所属している[3]

以下は2005年国勢調査に記載されている都市の一覧である[9]。カッコ内はアゼルバイジャン語名。

都市
ゴーストタウン

住民

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2020年1月1日時点の法定人口は17,000人で、総人口の11%を占める[3]。住民のほとんどはアルメニア人である。アルツァフの支配下になる前はアゼルバイジャン人も居住していたが、第一次ナゴルノ・カラバフ戦争の際にほとんど脱出している。

国勢調査の地区人口および民族別人口の変遷は以下の表のとおり[12]

民族 1939年 1959年 1970年 1979年 2005年 2015年[2]
アルメニア人 26,881 17.693 15,642 14,772 16,952 -
アゼルバイジャン人 2,014 2.884 3,785 5,231 2 -
ロシア人 305 75 6 53 7 -
その他 121 42 137 38 18 -
地区人口 29,321 20,694 19,570 20,094 16,979 16,980

観光地

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アスケラン要塞(2012年撮影)

アスケラン要塞英語版Avetaranots村の遺跡、アルツァフのティグラナケルト英語版など、多くの歴史的および建築的記念碑が保存されている[13]

脚注

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  1. ^ a b Askeran region”. アルツァフ政府 (2023年9月19日). 2023年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
  2. ^ a b c Distribution by Density of NKR Administrative-territorial Units according to 2005 and 2015 Population Censuses” (pdf). アルツァフ国家統計局. 2022年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f POPULATION OF THE REPUBLIC OF ARTSAKH” (pdf). アルツァフ国家統計局. pp. 11-12. 2022年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月11日閲覧。
  4. ^ Rayon haqqında”. ホジャリ県政府. 2023年10月12日閲覧。
  5. ^ a b “Armenian separatists rename Azeri town”. Azernews. (2010年11月3日). https://www.azernews.az/nation/26472.html 2023年10月12日閲覧。 
  6. ^ a b c d e “Daha 23 kənd işğaldan azad edildi”. Report.az. (2020年11月9日). https://report.az/qarabag/yeni-eraziler-isgaldan-azad-edildi-2/ 2023年10月13日閲覧。 
  7. ^ “Azerbaijan takes over first district laid out in Nagorno-Karabakh peace deal”. ユーロニュース. (2020年11月20日). https://www.euronews.com/2020/11/20/azerbaijan-takes-over-first-district-laid-out-in-nagorno-karabakh-peace-deal 2023年10月13日閲覧。 
  8. ^ Արցախը լուծարելու մասին հրամանագիրն այլևս գոյություն չունի, հունվարի 1 -ից Արցախը չի լուծարվելու. Սամվել Շահրամանյանի խորհրդական”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2023年12月22日). 2024年7月26日閲覧。
  9. ^ De Facto and De Jure Population by Administrative Territorial Distribution and Sex” (pdf). アルツァフ国家統計局. pp. 59-60. 2022年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月13日閲覧。
  10. ^ a b “Президент впервые объявил об освобождении двух сел в Ходжалы”. Haqqin.az. (2020年11月7日). https://haqqin.az/news/193325 2023年10月13日閲覧。 
  11. ^ “Karabakh Marks Ten Years Of ‘Independence’”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ. (2001年9月1日). https://www.azatutyun.am/a/1566977.html 2023年10月13日閲覧。 
  12. ^ НАСЕЛЕНИЕ НАГОРНОГО КАРАБАХА”. ethno-kavkaz.com. 2023年10月8日閲覧。
  13. ^ Ճանաչե՛նք Արցախը. Ասկերան”. Armedia (2015年3月8日). 2023年10月14日閲覧。