陳瑩
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(アセナイ・ダリヤルレップから転送)
陳 瑩 Asenay Daliyalrep | |
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生年月日 | 1972年11月15日(52歳) |
出生地 | 中華民国 台湾省台東県 |
出身校 | イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校音楽研究所修士 |
所属政党 | 民主進歩党 |
選挙区 |
平地原住民選挙区(2005年-2008年、2016年-) 不分区および海外華僑枠(2008年-2012年) |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
2005年2月1日 - 2012年1月31日 2016年2月1日 - 現職 |
陳 瑩(ちん えい、チェン イン、プユマ語:Asenay Daliyalrep[1]、アセナイ・ダリヤルレップ、1972年〈民国61年〉11月15日 - )は、中華民国(台湾)の政治家。民主進歩党所属の立法委員[2]。台湾原住民のプユマ族[3]。
経歴
[編集]2004年の第6回立法委員選挙では中選挙区制の平地原住民選挙区から出馬し、初当選した。選挙制度改制前に民進党が原住民議席を得たのは陳瑩が唯一であった。
2008年の第7回立法委員選挙では、不分区および海外華僑枠から出馬し、当選した。
2012年の第8回立法委員選挙でも不分区および海外華僑枠から出馬したが、民進党が獲得した13議席に対し、名簿順位が17位であったため落選した。
2016年の第9回立法委員選挙では再び中選挙区制である平地原住民選挙区から出馬し、17,052票を獲得し3位で当選した。
2020年の第10回立法委員選挙では票数を大きく伸ばした25,843票を獲得、2位で再選された。
2024年の第11回立法委員選挙では前回選挙よりさらに票数を伸ばした27,431票を獲得し2位で再選された。
立法委員
[編集]2017年8月、台湾とニュージーランドの間の医療外交を推進し、衛生福利部とマオリの伝統であるハーブ薬の編纂協力を結んだ。第7代マオリ王のツヘイティア・パキからマオリ王室勳章を贈呈され、マオリ王室からこのメダルを授与された最初の外国人となった[4]。
エピソード
[編集]祖父の陳耕元(上松耕一)は、嘉義農林学校の野球チームに所属し、1931年の甲子園で準優勝した[5]。このエピソードは、映画KANOにも描かれている[6]。
選挙記録
[編集]年度 | 選挙 | 選挙区 | 所属政党 | 得票数 | 得票率 | 当選 | 注釈 |
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2004 | 第6回立法委員選挙 | 平地原住民選挙区 | 民主進歩党 | 8,364 | 13.23% | ||
2008 | 第7回立法委員選挙 | 不分区および海外華僑枠 | 3,610,106 | 36.91% | |||
2012 | 第8回立法委員選挙 | 4,556,424 | 34.62% | ||||
2016 | 第9回立法委員選挙 | 平地原住民選挙区 | 17,052 | 18.02% | |||
2020 | 第10回立法委員選挙 | 25,843 | 21.20% | ||||
2024 | 第11回立法委員選挙 | 27,431 | 23.04% |
出典
[編集]- ^ “Taiwan 2024 election Indigenous legislative seat results | Taiwan News | Jan. 14, 2024 14:49” (英語). taiwannews.com.tw (2024年1月14日). 2024年7月2日閲覧。
- ^ “立法委員-平地原住民”. 中央選舉委員會. 2024年5月20日閲覧。
- ^ “普悠瑪事故紀念公園命名惹議 陳瑩:應徵詢卑南族意見” (中国語). 聯合報. (2020年10月14日). オリジナルの2021年5月13日時点におけるアーカイブ。 2021年5月11日閲覧。
- ^ “台紐外交新突破 立委陳瑩獲頒紐西蘭毛利皇室勳章”. 2020年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月24日閲覧。
- ^ “東部棒球傳教者—陳耕元”. 國立嘉義大學. 2018年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月18日閲覧。
- ^ 林政平 (2014年3月15日). “《KANO》上松遭3振不符史實 陳瑩:爺爺是很英勇的!”. ETtoday星光雲. オリジナルの2020年6月21日時点におけるアーカイブ。 2020年6月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- 立法院全球資訊網 - 陳瑩委員
- 陳瑩(Ying Chen) (11YIG) - Facebook
- 陳瑩 (@asenayig) - Instagram
- 陳瑩 (@asenayig) - Threads