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嘉義農林学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嘉義農林学校
英称 Kagi Agriculture and Forestry Public School
公用語表記 嘉義農林學校
創立 1919年
所在地 大日本帝国の旗 台湾嘉義庁
初代校長 柳川鑑藏
廃止 1945年
後身校 中華民国の旗 国立嘉義大学
同窓会
嘉義農林学校の校舎

嘉義農林学校(かぎのうりんがつこう、英語:Kagi Agriculture and Forestry Public School、旧字体嘉義農林學校)は現在の国立嘉義大学の前身である、1919年4月日本統治下の台湾において設立された旧制実業学校である。略称は嘉義農林、嘉農、KANO

概要

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日本統治時代の1919年4月に旧制実業学校が設立された。当初は「台湾総督府嘉義農林学校」と称した。農学科及び林学科が設置され、3年制であった。1926年に5年制に変わった。1941年に4年制となる。1943年に5年制が回復したし、農学科のみ設置された。1945年に第二次世界大戦後、日本の敗戦に伴い中華民国政府に移管された。校地・校舎は現在の「国立嘉義大学」に継承された。

1928年嘉義農林学校野球部中国語版が創部された。始めの成績はこれといったものはなかったものの、その後名将近藤兵太郎監督の下、チームが頭角を現し始めた。1931年全国中等学校優勝野球台湾大会に初出場して優勝を勝ち取り、日本本土の夏の甲子園大会に行く機会を得た。第17回全国中等学校優勝野球大会に出場し、一回戦では空回りしたが、二回戦の対神奈川商工戦では、3-0の完封に抑え、一躍注目チームとなる。準々決勝の対札幌商戦では、19 - 7で圧勝。準決勝の対小倉工戦も嘉農は10-2で圧勝。最後の決勝の対中京商戦で嘉農は0-4で負けた。決勝戦では負けたにもかかわらず「天下の嘉農」と褒めたたえられることになる。準優勝を獲得したのは、台湾からは唯一のチームであった。嘉義農林学校野球部が甲子園で準優勝をした実話が「KANO 1931海の向こうの甲子園」というタイトルで台湾で映画化され、2014年2月27日より公開された。[注釈 1][注釈 2]

歴史

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1919年4月には台湾総督府嘉義庁の山仔頂て「嘉義農林学校」が設立され、農学と林学の2つの学科を設置した。1921年には行政区画変更に伴い[注釈 3]台南州立嘉義農林学校」と改称された。1938年7月に学校が下路頭に移転された。1941年に修業年限4年と変わり1943年に修業年限は5年に回復し、農学科が設置された。

1945年に日本の敗戦に伴い中華民国に接収が行われると10月25日に「台湾省立嘉義農業職業学校」と改称され、修業年限は高級と初級で各3年であった。1947年8月に森林科が設置され、1948年8月に園芸科と農産製造科が設置された。1951年7月に「台湾省立嘉義高級農業職業学校」と改称し、1952年8月に畜牧獣医科が設置された。1954年8月1日に「示範農学校」て選ばれ「台湾省立嘉義示範高級農業職業学校」と改称された。1962年7月に農業土木科が設置された。

1965年3月に学校が昇格し、「台湾省立嘉義農業専科学校」と改称され、5年制の課程が設置された。1971年に2年制の夜間部を設置。1975年に全日部にも2年制課程を設置。1981年7月1日に「国立」に移管し、「国立嘉義農業専科学校」と改称された。1997年7月1日に「国立嘉義技術学院」へと昇格した。2000年2月1日に「国立嘉義師範学院」と合併し「国立嘉義大学」と改称された。

校歌

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嘉義農林学校の校歌岡野貞一が作詞し、高野辰之が作曲した。

嘉義農林学校校歌
作詞:岡野貞一 / 作曲:高野辰之
一、
新高山の西 沃野千里
要路四通の 直中占めて
嘉義よ歷史に 輝く処
嘉農が瑞穗の 旗立て立つ地
二、
八掌溪の北 天恵充てり
小田に黃金は 再び稔り
野にも山にも 幸堆高し
これ吾が嘉農を 迎えて待つ地
三、
浮べる雲の富 省り見ずて
汗に生くるが 我等の願い
一木植うるも 一粒撒くも
誠の吹息を こむるが誓い
四、
見よ 五年の業 学び終へて
胸に燃えたつ 理想を秘め
鋤と鐮とを 宝庫の鍵と
微笑み 地に立つ 我等の姿

教学組織

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校長

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校名 氏名 任期
台湾総督府嘉義農林学校
(1919年-1921年)
準備主任 藤黒総左衛門 1919年4月 -- 1919年5月
初代 柳川鑑蔵 1919年5月 -- 1921年4月
台南州立嘉義農林学校
(1921年-1945年)
1921年4月 -- 1926年4月
第2代 樋口孝 1926年4月 -- 1931年3月
代行 中林直俊 1931年3月 -- 1931年4月
第3代 島内庸明 1931年4月 -- 1937年4月
第4代 田村朋一 1937年4月 -- 1940年4月
第5代 鹿討豊雄 1940年4月 -- 1943年4月
第6代 西崎茂 1943年4月 -- 1944年2月
第7代 服部正夷 1944年2月 -- 1945年10月

教員

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主な卒業生

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脚注

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注釈

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  1. ^ KANO公式日本語サイト
  2. ^ 日本と台湾 甲子園秘話
  3. ^ 1920年に嘉義庁が台南州嘉義郡嘉義街と改称された。1930年に市制施行し、嘉義街が嘉義市に変わった。

出典

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外部リンク

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