アダム・フランツ・カール・ツー・シュヴァルツェンベルク
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アダム・フランツ・カール・ツー・シュヴァルツェンベルク | |
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シュヴァルツェンベルク侯爵家 | |
出生 |
1680年9月25日 神聖ローマ帝国 リンツ |
死去 |
1732年6月11日(51歳没) 神聖ローマ帝国 ブランディース・ナト・ラベム=スタラー・ボレスラフ |
配偶者 | エレオノーレ・フォン・ロプコヴィッツ |
子女 | ヨーゼフ1世・ツー・シュヴァルツェンベルク |
父親 | フェルディナント・ツー・シュヴァルツェンベルク |
アダム・フランツ・カール・ツー・シュヴァルツェンベルク(ドイツ語: Adam Franz Karl zu Schwarzenberg、1680年9月25日 - 1732年6月11日)は、神聖ローマ帝国の貴族。フェルディナント・ツー・シュヴァルツェンベルクの次男。
狩猟中の神聖ローマ皇帝カール6世に誤って撃たれ[1]、「陛下に命を捧げるのは、臣下の義務でございます」という臨終の言葉を残して死去した[1]。
子女
[編集]妻エレオノーレ・フォン・シュヴァルツェンベルク(フェルディナント・アウグスト・フォン・ロプコヴィッツの娘)との間に、1男1女を儲けた。
- ヨーゼフ1世・ツー・シュヴァルツェンベルク
- マリア・アンナ・フォン・シュヴァルツェンベルク - バーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ゲオルクと結婚
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岩崎周一『ハプスブルク帝国』講談社現代新書、2017年8月。ISBN 978-4-06-288442-6。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、アダム・フランツ・カール・ツー・シュヴァルツェンベルクに関するカテゴリがあります。