アディソン・スミス
アディソン・スミス Addison Smith | |
---|---|
| |
生年月日 | 1862年9月5日 |
出生地 |
アメリカ合衆国オハイオ州 ガーンジー郡ケンブリッジ |
没年月日 | 1956年7月5日 (93歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国ワシントンD.C. |
出身校 | ジョージワシントン大学ロースクール |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 | Mary Fairchild Smith |
子女 | 3人 |
選挙区 | アイダホ州全州選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1913年3月4日 - 1919年3月3日 |
選挙区 | アイダホ州第2選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1919年3月4日 - 1933年3月3日 |
アディソン・テイラー・スミス(Addison Taylor Smith, 1862年9月5日- 1956年7月5日)は、アメリカ合衆国の政治家。所属政党は共和党。連邦下院議員(ID-AL、ID-2)を通算10期務めた[1]。
経歴
[編集]アディソン・テイラー・スミスは1862年9月5日にオハイオ州ガーンジー郡ケンブリッジで生まれた。1891年にワシントンD.C.で共和党上院議員ジョージ・シャウプの秘書を務め、1895年にはジョージ・ワシントン大学ロースクールを卒業した。1900年にシャウプが落選すると秘書を辞職し、1903年から共和党上院議員ウェルドン・ブリントン・ヘイバーンのスタッフを務めた[2]。1905年、スミスはアイダホ州ツインフォールズに居を構え[3]、1907年にはボイシで合衆国土地局の登録官に任命された[2]。
1912年に下院議員選挙区の改編が行われ、アイダホ州は全州選挙区の定員数が1から2に増加した。スミスは同年の下院議員選挙に出馬し、バートン・フレンチに次ぐ2位で当選を果たした。その後も当選を続けたが、1918年選挙から州内に2つの選挙区が設置されたため、スミスはアイダホ州2区の議席を7期にわたって維持した。下院在任中、スミスはアルコール・酒類・交通委員会、乾燥地の灌漑に関する委員会、灌漑・干拓委員会などいくつかの委員会の議長を務めた[1]。
1932年、70歳だったスミスは、民主党のトマス・コフィンに再選を阻まれ、議員を辞した。1934年、退役軍人管理局の退役軍人上訴委員会の委員に任命され、1942年までその職を務めた。1937年には、ワシントンD.C.のコロンビアろう学校(現ギャローデット大学)の校長に就任し、死ぬまでその職を務めた[2]。
ツインフォールズのメインストリートの一つ「アディソン通り(Addison Avenue)」は、スミスの名にちなんで名づけられた[4]。
選挙結果
[編集]名前 | 政党 | 票数 | 得票率 | |
---|---|---|---|---|
バートン・フレンチ | 共和党 | 53,542 | 27.5% | |
アディソン・スミス | 共和党 | 43,571 | 22.4% | |
Perry W. Mitchell | 民主党 | 30,172 | 15.5% | |
Edward M. Pugmire | 民主党 | 30,053 | 15.5% | |
P. Monroe Smock | 進歩党 | 12,066 | 6.2% | |
G. W. Belloit | 社会党 | 11,393 | 5.9% | |
Edward L. Rigg | 社会党 | 11,389 | 5.9% |
名前 | 政党 | 票数 | 得票率 | |
---|---|---|---|---|
アディソン・スミス | 共和党 | 45,365 | 22.6% | |
ロバート・M・マクラッケン | 共和党 | 43,918 | 21.9% | |
James H. Forney | 民主党 | 39,736 | 19.8% | |
バート・H・ミラー | 民主党 | 37,000 | 18.5% | |
Charles W. Luck | 進歩党 | 8,295 | 4.1% | |
A.B. Clark | 社会党 | 8,093 | 4.0% | |
G. W. Belloit | 社会党 | 8,061 | 4.0% |
名前 | 政党 | 票数 | 得票率 | |
---|---|---|---|---|
バートン・フレンチ | 共和党 | 64,648 | 25.4% | |
アディソン・スミス | 共和党 | 63,790 | 25.1% | |
Marion J. Kerr | 民主党 | 55,807 | 21.9% | |
John V. Stanley | 民主党 | 54,339 | 21.3% | |
A.B. Clark | 社会党 | 8,079 | 3.2% | |
Sam G. Gilleland | 社会党 | 8,033 | 3.2% |
年 | 民主党 | 票数 | 得票率 | 共和党 | 票数 | 得票率 | 第3党 | 政党 | 票数 | 得票率 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1918年 | C.R. Jeppesen | 18,827 | 36.8% | アディソン・スミス | 32,274 | 63.2% | ||||||
1920年 | W.P. Whitaker | 29,130 | 37.0% | アディソン・スミス | 49,642 | 63.0% | ||||||
1922年 | W.P. Whitaker | 19,875 | 28.6% | アディソン・スミス | 33,206 | 47.8% | Dow Downing | 進歩党 | 16,450 | 23.7% | ||
1924年 | Asher Wilson | 13,470 | 16.6% | アディソン・スミス | 44,365 | 54.5% | William Shuldberg | 進歩党 | 23,357 | 28.7% | ||
1926年 | Mary George Gray | 11,259 | 16.7% | アディソン・スミス | 40,960 | 60.6% | H.F. Fait | 進歩党 | 15,368 | 22.7% | ||
1928年 | Ralph W. Harding | 29,422 | 35.4% | アディソン・スミス | 53,236 | 64.1% | George Hibner | 社会党 | 362 | 0.4% | ||
1930年 | W.F. Alworth | 27,004 | 36.8% | アディソン・スミス | 46,342 | 63.2% | ||||||
1932年 | トマス・コフィン | 58,138 | 55.0% | アディソン・スミス | 46,273 | 43.8% | William Goold | 自由党 | 1,201 | 1.1% |
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b “Former solon Addison Smith succumbs at 93”. Lewiston Morning Tribune: p. 1. (July 6, 1956)
- ^ a b c “SMITH, Addison Taylor:1862 – 1956”. Bioguide Search. 2021年12月23日閲覧。
- ^ Twin Falls Weekly News Reference Access Index Archived July 3, 2007, at the Wayback Machine. Accessed 29 June 2007
- ^ “Our Campaigns - ID At Large Race - Nov 05, 1912”. www.ourcampaigns.com. 2021年12月23日閲覧。
- ^ “Our Campaigns - ID At Large Race - Nov 03, 1914”. www.ourcampaigns.com. 2021年12月23日閲覧。
- ^ “Our Campaigns - ID At Large Race - Nov 07, 1916”. www.ourcampaigns.com. 2021年12月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- United States Congress. "アディソン・スミス (id: S000511)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
- アディソン・スミス - Find a Grave
アメリカ合衆国下院 | ||
---|---|---|
新設 | アイダホ州全州選挙区 選出議員 第9代: 1913年3月4日-1919年3月3日 同職:バートン・フレンチ、ロバート・M・マクラッケン、バートン・フレンチ |
選挙区廃止 |
新設 | アイダホ州全州選挙区 選出議員 初代: 1919年3月4日-1933年3月3日 同職:'アディソン・スミス' |
次代 トマス・コフィン |
公職 | ||
先代 モーゼス・キンカイド ネブラスカ6区 |
乾燥地の灌漑に関する委員会 1922年4月6日–1925年3月3日 |
次代 (委員会解散) |
先代 (委員会設置) |
灌漑・開拓委員会 1925年12月7日–1931年3月3日 |
次代 ロバート・S・ホール ミシシッピ6区 |