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アディントン男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アディントン男爵

紋章記述

Arms:Vert a Chevron engrailed plain cotised Argent between three Eagles' Heads erased of the second each gorged with a Collar fleurettée Gules Crest:In front of a Fasces fesswise proper an Eagle's Head as in the Arms Supporters:On either side an Eagle Argent wings addorsed gorged with a Collar fleurettée Gules and pendent therefrom an Escutcheon Ermine charged with a Rose Gules
創設時期1887年7月22日
創設者ヴィクトリア
貴族連合王国貴族
初代初代男爵ジョン・ハバード英語版
現所有者6代男爵ドミニク・ハバード英語版
相続人なし
推定相続人マイケル・ハバード閣下
付随称号なし
現況存続
モットー天上のものを求めて
(Alta Petens)

アディントン男爵: Baron Addington)はイギリスの男爵貴族連合王国貴族爵位。女王即位50周年叙爵の七男爵家(jubilee baronies)の一つ。

なお、ハバード家に男爵位以外に保持する爵位はない。

歴史

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初代男爵のカリカチュア

1884年バニティ・フェア誌掲載。Spy

金融街シティの雄にしてイングランド銀行総裁を務めた保守党の政治家ジョン・ハバード英語版(1805-1889)は、1887年7月22日連合王国貴族としてバッキンガム州アディントンのアディントン男爵(Baron Addington of Addington in the County of Buckingham)に叙された[1][2][3]

その長男であるエジャートン(1842-1915)は、父の基盤を受け継いでバッキンガム選挙区選出の庶民院議員を務めたが、初代男爵死去に伴う襲爵により貴族院に籍を移している[4]

3代男爵ジョン(1883-1966)は3期にわたりバッキンガム英語版市長を務めた[2]

その後は彼の弟レイモンド(1884–1971)が4代男爵となったが男子がなかったため、彼の又従弟にあたるジェームズ(1930–1982)が爵位を承継した。

現当主である6代男爵ドミニク(1963-)自由民主党の政治家として活動しており、貴族院初登院時は当時の再年少議員であった。彼は1999年貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世俗貴族の一人である[2][5]


男爵家の紋章に刻まれるモットーは『天上のものを求めて(Alta Petens)[2]

アディントン男爵(1887年)

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爵位の推定相続人は現当主の弟マイケル・ハバード閣下(1965- )。 推定相続人の法定推定相続人はその息子オリヴァー・ジェイムズ・アノニエ・ハバード(2003-)。

脚注

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  1. ^ Cokayne 1910, p. 57.
  2. ^ a b c d Addington, Baron (UK, 1887)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2021年8月28日閲覧。
  3. ^ "No. 25723". The London Gazette (英語). 22 July 1887. p. 4001. 2021年8月28日閲覧
  4. ^ https://api.parliament.uk/historic-hansard/people/mr-egerton-hubbard/index.html”. Hansard 1803–2005. 2019年10月31日閲覧。
  5. ^ "Addington, 6th Baron cr 1887 (Dominic Bryce Hubbard)". Who's Who (英語). Vol. 1920–2021 (2019, December 01 ed.). A & C Black. 2021年8月28日閲覧 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入)

参考文献

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関連項目

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