アナスタシヤ・トルベツカヤ
アナスタシヤ・トルベツカヤ Анастаси́я Ива́новна Трубецкая | |
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出生 |
1700年10月14日 |
死去 |
1755年11月27日(55歳没) |
配偶者 | モルダヴィア公ディミトリエ・カンテミール |
ルートヴィヒ・グルーノ・フォン・ヘッセン=ホンブルク | |
子女 | エカチェリーナ・スマラグダ |
家名 | トルベツコイ家 |
父親 | イヴァン・ユーリエヴィチ・トルベツコイ |
母親 | イリーナ・ナルィシュキナ |
アナスタシヤ・イヴァノヴナ・トルベツカヤ(Анастаси́я Ива́новна Трубецкая, 1700年10月14日 - 1755年11月27日)は、ロシアの貴族女性。モルダヴィア公ディミトリエ・カンテミールの2番目の妻で、のちヘッセン=ホンブルク方伯世子でロシア元帥のルートヴィヒ・グルーノ(Ludwig Gruno von Hessen-Homburg)の妻となった。再婚後はゲッセン=ゴンブルクスカヤ(Анастаси́я Ива́новна Гессен-Гомбурская)の姓を名乗った。
生涯
[編集]アナスタシヤはイヴァン・ユーリエヴィチ・トルベツコイ公爵とその妻のイリーナ・ナルィシュキナとの間に生まれた。父はロシア帝国元帥を務め、「最後のボヤーレ」と呼ばれた。また父の庶子には教育改革者でロシア帝国美術アカデミー総裁を務めたイヴァン・ベツコイがいる。
アナスタシヤは1717年1月14日に27歳年上のモルダヴィア公ディミトリエ・カンテミールと最初の結婚をし、間に一人娘のエカチェリーナ・スマラグダ(Екатерина Дмитриевна Голицына)をもうけ、この娘は外交官のドミトリー・ミハイロヴィチ・ゴリツィン公爵に嫁いだ。裕福で美しく頭の良いアナスタシヤは、アンナ・イヴァノヴナ女帝やエリザヴェータ・ペトロヴナ女帝に側近として重んじられた。カンテミールとは1723年に死別した。
1738年2月3日、アナスタシヤはロシア帝国元帥でドイツのヘッセン=ホンブルク方伯家の世継ぎ公子であるルートヴィヒ・グルーノと再婚した。翌1739年に夫妻はドイツを訪れて一度だけホンブルクに滞在した。夫のルートヴィヒ・グルーノは父親の方伯フリードリヒ3世の死の前年に没したため、アナスタシヤはホンブルク方伯夫人にはなれなかった。