コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アナトリー・ヴェデルニコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アナトリー・イヴァノヴィチ・
ヴェデルニコフ
出生名 Анатолий Иванович Ведерников
生誕 (1920-05-05) 1920年5月5日
中華民国の旗 中華民国 ハルビン市[1]
死没 (1993-07-29) 1993年7月29日(73歳没)
ロシア モスクワ州 クリャージマロシア語版[2]
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト、音楽教育者
担当楽器 ピアノ

アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフロシア語: Анато́лий Ива́нович Веде́рниковラテン文字転写:Anatoly Ivanovich Vedernikov、1920年5月5日 - 1993年7月29日)は、20世紀を代表するロシアピアニスト、音楽教育者。ロシア・ピアニズム、ネイガウス派の一人である。

経歴

[編集]
生い立ち

1920年5月5日ハルビンにて誕生。1926年頃、ヴェラ・ディロン[3]に師事してピアノを習い始めた。十代なかばで両親と引き離された。ハルビンの高等音楽院に入学し、1933年に首席で卒業。演奏活動を開始した[4]

演奏家として来日

1935年に初めて来日。東京に1年程滞在し、6回にわたる演奏会を開催した。また、レオ・シロタの個人教授を受けた。

モスクワへ

1936年ソビエト連邦に移住。モスクワ音楽院に入学し、ゲンリフ・ネイガウスに師事した。その直後、家族を粛清の波が襲い、父親は銃殺刑、母親は強制収容所送りとなってしまう。アナトリー自身については、師であるネイガウスの計らいで何とか逮捕を免れた。1940年、初の自主公開演奏会を開催。

戦後の1959年、教育者としてグネーシン音楽大学で後進の指導にあたるようになり、1980年には母校のモスクワ音楽院でも指導にあたるようになった。1985年、モスクワ音楽院の教授に任命された。1993年3月10日、ピンネベルクにおける最後のリサイタルを開催した。1993年7月29日モスクワで死去。

受賞・栄典

[編集]

演奏活動と録音

[編集]
演奏活動

自身の信念に忠実に行動したため体制に迎合せず当局に睨まれ、海外での演奏活動が制限された。このことは、ヴェデルニコフの類稀なる能力が国外に広く発信できず、ロシア以外では存在すら殆ど知られないことの理由となった。ただし、当人が自分にはレコードがある、と発言したとおり音源資料が存在している。ヴェデルニコフの映像は殆ど現存しないが、2007年に演奏映像のDVDが公開された[5]。1980年代に入ると、ペレストロイカにより、ロシア(ソ連)以外での演奏活動もできるようになった。これは、ヴェデルニコフの人生における大きな変化となった。西側諸国での演奏会は好評を博した。しかし、時すでに遅く、西側から体系的に録音をする日は来なかった。

レパートリー

ヴェデルニコフの演奏のレパートリーはとても広い。バロックからロマン派、印象派、現代音楽にいたるまでの音楽に精通しており、ロシア人で、リゲティの練習曲を、リゲティより年上のピアニストが、初めてライブで弾いたという事実は西側を震え上がらせた。また、指の動きが速く、運指が優れ、ペダリングも清潔であったことから録音には都合がよかったことがわかる[6]。ペダルを上げてカットし、すぐに素早く後踏みする技術はネイガウス直伝のテクニックである。これは晩年のフランツ・リストのペダリングと言われており、ロシアまでこの奏法が伝達されていたことがうかがえる。

録音

ガリーナ・ウストヴォーリスカヤのピアノソナタ第二番のもっとも初期の録音はヴェデルニコフのものである。ソ連当局や音楽院の圧力に屈せず現代音楽を可能な限り弾き残していたことは、彼の業績を前人未到のものにしたが、古典派の奇抜な解釈も忘れ難い。

参考文献

[編集]
  • Ведерников, Анатолий Иванович // Энциклопедия «Москва» / Под ред. С. О. Шмидта. — М.: Большая Российская энциклопедия, 1997. — 976 с.(「アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフ」『モスクワ百科事典』1997年, 976頁.)
  • Ведерников, Анатолий Иванович — статья из энциклопедии «Кругосвет» (「アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフ」『全世界』百科事典より)
  • В потоке времени // Н.Андреева, «Иные берега», №1 (5), 2007 (N.アンドレーヴァ「時の流れの中で」『彼岸』1-5, 2007年)
  • Ведерников А. И. // Музыкальная энциклопедия. — М.(「アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフ」『音楽百科事典』モスクワ)
  • Русский пианист Анатолий Ведерников”. RIAノーボスチ (2010年5月3日). 2020年5月4日閲覧。(「ロシアのピアニスト アナトリー・イヴァノヴィチ・ヴェデルニコフ」)

脚注

[編集]
  1. ^ Музыкальная энциклопедия 1973-1982.
  2. ^ РИА Новости 2010.
  3. ^ Вера Исаевна Диллон (Блювштейн-Диллон)
  4. ^ a b 宇神幸男「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ」テイチク株式会社、1994年CD「悲劇の巨匠ヴェデルニコフ/20世紀ロシアのピアノ音楽」ライナーノーツ所収
  5. ^ 『映像で見て聴くロシア・ピアニズムの黄金時代シリーズ Vol.4 アナトーリ・ヴェデルニコフの至芸』
  6. ^ 日本コロムビア株式会社、1995年CD『ヴェデルニコフの芸術-9 ドビュッシー・2』