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アビンドン伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アビンドン伯爵
Earl of Abingdon
リンジー伯爵
Earl of Lindsey

紋章記述

Arms:Argent three Battering Rams fesswise in pale proper beaded armed and garnished Azure.Crest:A Saracen's Head affrontée couped at the shoulders proper ducally crowned Or and charged on the chest with a Fret Azure.Supporters:Dexter: a Friar habited in russet-grey with a Crutch and Rosary all proper and charged on the breast with a Fret Azure; Sinister: a Savage proper wreathed about the temples and waist with Oak Leaves Vert and likewise charged on the breast with a Fret Azure
創設時期1682年11月30日
創設者チャールズ2世
貴族イングランド貴族
初代初代伯ジェイムズ・バーティ英語版
現所有者9代伯リチャード・バーティ英語版
推定相続人ノリス男爵ヘンリー・バーティ
付随称号ノリス男爵
現況存続
邸宅ギルミンズクロフトハウス
旧邸宅ワイタム・アビー(Wytham Abbey)
スパニッシュプレイスマンション(Spanish Place Mansion)
モットーLoyalteé me oblige
(Loyalty binds me)
1938年よりリンジー伯爵を兼ねる

アビンドン伯爵: Earl of Abingdon)は、イギリスの伯爵貴族イングランド貴族爵位。リンジー伯爵家の分流の第5代ノリス男爵ジェイムズ・バーティー英語版が1682年に叙されたことに始まる。1938年以降は主家のリンジー伯爵位を継ぎ、以降は継承者を同じくする[注釈 1][1][2]

歴史

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アビンドン伯爵位叙爵を認める勅許状。(ヴィクトリア&アルバート博物館収蔵)

伯爵家の祖ジェイムズ・バーティー英語版(1653-1699) は、リンジー伯爵家当主の後妻の長子として生まれた[注釈 2][2]。彼は1675年貴族院より議会招集を受けて、母方由来の爵位「ノリス男爵 (Baron Norreys/Norris of Rycote) 」として貴族院議員となった[3]。 彼はオックスフォードシャー統監英語版在職中の1682年イングランド貴族としてアビンドン伯爵に陛爵した[2][3]。初代伯ののちは長男のモンタギューが爵位を継承した。

2代伯モンタギュー (1673-1743) は、アン女王の治世下で父同様にオックスフォードシャー統監に就任したほか、ロンドン塔代英語版タワーハムレット統監英語版を歴任した[4]。 また、彼は勅許を得てその姓に「ヴェナブルズ (Venables) 」を加えている[2][5]。 彼が1743年に亡くなると、爵位は甥のウィラビーが継承して、現在に至るまで3代伯ウィラビーの男系子孫によって伯爵位は継承されている[2]

そのひ孫にあたる6代伯モンタギュー (1808-1884) は襲爵前にオックスフォード及びアビンドン選挙区選出の庶民院議員を務めた[2]。彼の代にドーチェスターの邸宅を手放したという[6]

8代伯モンタギュー (1887-1963) は、1951年に本家筋にあたる第12代リンジー伯爵モンタギュー・バーティー英語版の死去によってリンジー伯爵を相続していたことが確認されたため、以降の伯爵家当主はリンジー伯爵を兼ねることとなった[2][7]

その後を継いだ9代伯リチャード (1931-) がアビンドン伯爵及びリンジー伯爵家現当主である。

一族の邸宅は、イーストエアシャー州マホリン近郊のギルミンズクロフト・ハウス (Gilmilnscroft House)[2]

かつての邸宅には、オックスフォード州ワイタムに位置したワイタム・アビー英語版(Wytham Abbey)タウンハウスたるスパニッシュプレイスマンション (Spanish Place Mansion) のほか、同州ドーチェスターにも邸宅を有していた[3][6]

現当主の保有爵位

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現当主である第9代アビンドン伯爵リチャード・ヘンリー・ルパート・バーティ英語版は、以下の爵位を有する[注釈 3][7]

当主一覧

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かつての伯爵家の邸宅であるワイタムアビー。

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるノリス男爵(儀礼称号)ヘンリー・マーク・ウィロビー・バーティー(1958-)。

以前のノリス男爵家当主は、ノリス男爵を参照のこと。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1938年はあくまで法令上の解釈であって、実際に継承したことが認められたのは1951年(デ・ファクト)。
  2. ^ 初代アビンドン伯爵ジェイムズは、リンジー伯爵家当主第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティー英語版と後妻である第4代ノリス女男爵ブリジット・レイとの間に生まれた長男である。したがって、父の前妻の子である第3代リンジー伯爵ロバート・バーティー英語版は初代伯の異母兄にあたる。
    そのため、初代伯はリンジー伯爵を継ぐことはできなかったが、母ブリジットからノリス男爵を継承することができた。
  3. ^ 叙爵順からいえば、本来はリンジー伯爵位を上位に記載すべきであるが、本記事はアビンドン伯爵の記事であるため、同爵位を優先表記した。

出典

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  1. ^ Norris, Baron (E, 1572)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2022年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h Abingdon, Earl of (E, 1682)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月14日閲覧。
  3. ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  4. ^ Watson, Paula; Gauci, Perry (2002). "VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys (1673-1743), of Rycote, Oxon.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月29日閲覧
  5. ^ Naylor, Leonard; Jaggar, Geoffrey (1983). "VENABLES-BERTIE (formerly BERTIE), Montagu, Lord Norreys of Rycote (1673-1743).". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust.
  6. ^ a b Lobel, Mary D, ed (1962). “Parishes: Dorchester”. A History of the County of Oxford. Volume 7, Dorchester and Thame Hundreds. London: Victoria County History. pp. 39–64. http://www.british-history.ac.uk/vch/oxon/vol7/pp39-64 
  7. ^ a b Lindsey, Earl of (E, 1626)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月14日閲覧。

関連項目

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