アブドゥッラー・ヤフタリ
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アブドゥッラー・ヤフタリ Abdullah Yaftali | |
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生年月日 | 1914年5月6日 |
出生地 | アフガニスタン首長国 カーブル |
没年月日 | 2003年7月17日(89歳没) |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ベンチェラ |
出身校 | カーブル大学 |
所属政党 | 無所属 |
首相代行 | |
在任期間 | 1967年10月11日 - 11月1日 |
国王 | ザーヒル・シャー |
アブドゥッラー・ヤフタリ(パシュトー語: عبدالله خان يفتلي, Abdullah Yaftali、1914年5月6日 - 2003年7月17日)は、アフガニスタンの政治家。王政時代、計画相、財務相、副首相等を務めた。アブドゥッラー・ヤクター(عبدالله خان يکتا)とも。
経歴
[編集]カーブル出身。タジク人。カーブルの貴族学校、カーブル大学の自然科学学部を卒業した後、1935年に東京大学経済学部に留学した。
- 1940年代 - アメリカ在住
- 1943年 - 帰国し、国営アフガニスタン銀行の融資局長、建設銀行の役員を務めた。
- 1947年~1949年 - 財務省税務局長
- 1949年~1953年 - 国家独占局長官、カーブル大学の講師
- 1953年~1959年 - 計画省統計局長、計画次官
- 1959年~1965年 - 財務次官、財務相代行、閣僚会議書記
- 1965年3月~11月 - 計画相
- 1965年11月~1967年 - 財務相
- 1967年 - 計画相、無任所相
- 1967年10月~ - ムハンマド・ハーシム・マイワンドワール退陣後、首相代行
- 1967年~1969年 - 第二副首相
- 1969年~1971年 - 第一副首相
1971年から公職を去ったが、ムハンマド・ダーウード政権でも政治的影響力を保持し、ダーウードの国外訪問時には随行した。
1970年代末からアメリカ在住。
パーソナル
[編集]妻帯、3男3女を有する。英語、フランス語、日本語、ロシア語を話す。
父のミルザ・モハンマド・ヤフタリーは、貴族で、大商人だった。1920年~1922年、1926年~1928年、駐ソ大使を務め、ウラジーミル・レーニンとも会見した。
叔母は、ハビーブッラー・ハーン国王の王妃。
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