アブラハム・ファン・デン・テンペル
アブラハム・ファン・デン・テンペル Abraham van den Tempel | |
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ファン・デン・テンペル作の寓意画 (1851) | |
生誕 |
1622年ころ レーワルデン |
死没 |
1672年10月8日 アムステルダム |
アブラハム・ランベルツゾーン・ファン・デン・テンペル(Abraham Lambertsz. van den Tempel、1622年ころ - 1672年10月8日)は、オランダの画家である。ライデンやアムステルダムで働き、肖像画や寓意画、聖書を題材にした作品を描いた。
略歴
[編集]オランダ北部のレーワルデンで生まれた。父親のランベルト・ヤコブスゾーン(Lambert Jacobsz.: 1598-1638)は画家で布地商人でもあったが、ファン・デン・テンペルの少年時代に亡くなっている。父親の没後、兄弟と布地商人として働き、成功したとされる。父親の弟子だった画家のヤーコプ・アドリアンスゾーン・バッケル(1608-1651)のもとで学んだ。1647年までアムステルダムにいた[1]。その後、ライデンでヨリス・ファン・スコーテン(1587-1651)に学び、1648年に画家として独立し、1660年まではライデンで働いた。1648年に結婚したと伝えられている。ハブリエル・メツーやヤン・ステーン、ヨリス・ファン・スコーテン、ダーフィット・バイリー、ピーテル・デ・リングとともにライデンの聖ルカ組合で活動した。18世紀初めに画家の伝記を出版したアルノルト・ホウブラーケン(1660-1719)によれば姓の「ファン・デン・テンペル」はライデンで住んでいた場所に由来するとされる[2]。
1860年にアムステルダムに移り、亡くなるまでそこで活動した。
ライデンやアムステルダムでファン・デン・テンペルの工房で働いた画家には、フランス・ファン・ミーリスやカレル・デ・モールCarel de Moor、ミヒール・ファン・ミュスヘル(Michiel van Musscher)、アリ・デ・フォイスらがいる[1]。
作品
[編集]-
貴婦人の肖像画 (1660/1663)
アイルランド国立美術館 -
狩りの女神ディアーナに扮した少女 (c.1669)
Muzeum Pałacu Króla Jana III w Wilanowie -
肖像画 (c.1666)
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肖像画 (1668)
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アルベルティーネ・アグネスと3人の子供たち (1668)
Fries Museum -
"Mars Banishes ‘Nering’ from Leiden"
Museum De Lakenhal -
海軍軍人Jan van Amstelらの肖像画 (1671)
ボイマンス・ファン・ベーニンヘン美術館
脚注
[編集]- ^ a b RKD entry on Abraham Lambertsz van den Tempel
- ^ Lely biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the Digital library for Dutch literature
参考文献
[編集]- Joseph Eduard Wessely: Tempel, Abraham van den. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 37, Duncker & Humblot, Leipzig 1894, S. 560 f.