アブル=ガーズィー (ジャーン朝)
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アブル=ガーズィー(Abul Ghazi、生年不詳 - 1795年頃)ジャーン朝ブハラ・ハン国最後のハン[1]。
概要
[編集]マンギト朝のムハンマド・ラヒームが死ぬと子供がいなかったため復位したが、実権はムハンマド・ラヒームの叔父、ダニヤル・ビーの手にあり、アブル=ガーズィーは飾り物だった。アブル=ガーズィーができたのは、自分の印章を公式文書に押すことと、自分のコインを発行することだけだった。アブル=ガーズィーはダニヤル・ビーの許可なしには家を出ることすらできなかった[1]。アブル=ガーズィーは1795年もしくは1796年にヴァブケントで死亡した。
在位は1754年から1756年までと、1758年から1785年まで。その間はムハンマド・ラヒームに取って代わられた。先代はウバイドゥッラー2世。
脚注
[編集]- ^ a b “Комментарии” (ロシア語). Восточная Литература. 2018年9月26日閲覧。