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アモビ・オコイエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アモビ・オコイエ
Amobi Okoye
基本情報
ポジション ディフェンシブタックル
生年月日 (1987-06-10) 1987年6月10日(37歳)
出身地 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
アナンブラ州
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 302 lb =約137kg
経歴
大学 ルイビル大学
NFLドラフト 2007年 / 1巡目全体10位
初出場年 2007年
初出場チーム ヒューストン・テキサンズ
所属歴
2007-2010 ヒューストン・テキサンズ
2011 シカゴ・ベアーズ
2012* タンパベイ・バッカニアーズ
2012 シカゴ・ベアーズ
2014 ダラス・カウボーイズ
2016* サスカチュワン・ラフライダーズ(CFL)
*オフシーズンまたはプラクティス・スクワッドとしての所属のみ
NFL 通算成績
タックル 177回
サック 16回
ファンブルフォース 3回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

アモビ・オコイエ(Amobi Okoye 1987年6月10日- )はナイジェリアアナンブラ州出身の元アメリカンフットボール選手。NFLヒューストン・テキサンズシカゴ・ベアーズ等に所属していた。イボ人。元カンザスシティ・チーフスのRB、クリスチャン・オコイエ英語版と親戚であるという報道もされているが、両者の間に親戚関係はない[1]

経歴

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プロ入りまで

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ナイジェリアのアナンブラ州で生まれた。2歳半で小学校に入学、10歳の時に6学年をスキップ[1]、12歳の時にアラバマ州ハンツビルに移住した[2]。わずか2週間で中学校を卒業、高校2年の時にアメリカンフットボールを始めた。アメリカンフットボールを知らなかった彼に対して、高校のコーチはマッデンNFLでフットボールについて学ばせた[1]。3年次にはディフェンシブラインマン、オフェンシブラインマンとして州のオールチームに選ばれた。

父親は彼にハーバード大学に進学することを希望していたが、彼はアメリカンフットボールの強い大学への進学を希望、ルイビル大学に進学した[2]。大学では当初、生物学を専攻したが、その後心理学専攻に移り3年半で学位を取得した[2]

16歳の時に史上最年少のカレッジフットボール選手となり、全13試合にディフェンシブタックルとして出場、17タックル、1サックをあげた。チューレーン大学戦では3タックル、テキサス大学エルパソ校戦で初サックをあげている。

2年次には全12試合中、肩の負傷で欠場したイーストカロライナ大学戦を除く11試合に出場、26タックル、1サックをあげた。陸軍士官学校戦で初先発、7タックルをあげている。

3年次の2005年には23タックル(4ロスタックル)をあげた。ウェストバージニア大学戦では4タックルをあげている。フロリダ・アトランティック大学戦は足の捻挫のため欠場した。ケンタッキー大学戦では2タックル、1ファンブルリカバー、サウスフロリダ大学戦では3タックルをあげた。

4年次の2006年には全13試合に先発出場、55タックル、8サック[2]、3ファンブルリカバーをあげて、AP通信よりオールアメリカンセカンドチーム、ビッグ・イースト・カンファレンスファーストチームに選ばれた。19歳の彼はNFLドラフトにエントリーする権利を獲得した。シニアボウルでの活躍で彼の評価はうなぎのぼりとなった。

NFL

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2007年のNFLドラフトヒューストン・テキサンズに指名された[3]。これはドラフト1巡指名を受けた選手の史上最年少記録であった。またルイビル大学出身の選手としては、1970年のNFLとAFLの統合以来最も早い順位でのドラフト指名であった。7月26日にテキサンズと5年契約を結び、翌日からトレーニングキャンプに参加した。この年、レギュラーシーズンの試合に出場した彼は1967年以来最も若いNFL選手となった。9月にはAFCトップの4サックをあげて、月間最優秀守備新人選手に選ばれた。この年5.5サックをあげた。

2008年は2年目のジンクスにより今ひとつの成績に終わった[4]。2008年、2009年と2年合計で2.5サックの成績にとどまった[5]

2011年は3サック及び自己最高の44タックルをあげた。

テキサンズでは、4シーズン先発でプレーした後、新たに就任したウェイド・フィリップスディフェンスコーディネーターによる守備隊形変更に伴い、2011年7月30日に解雇された[6]。同日、シカゴ・ベアーズと契約を結んだ[7]。この年27タックル、4サックをあげた[8]

2012年4月7日、タンパベイ・バッカニアーズと1年200万ドルで契約を結んだが[9]、開幕前の最終ロースターカットで解雇された[8]。9月3日、シカゴ・ベアーズと1年契約を結んだ[8][10]。11月27日にベアーズから解雇されたが[11]、12月12日に再契約を結んだ[12]

2013年はどのチームにも所属しなかったが、2014年5月16日、ベアーズ時代に指導を受けたロッド・マリネリ守備コーディネーターのいるダラス・カウボーイズと契約を結んだ[13]。同年8月14日、2013年3月に抗NMDA受容体抗体脳炎と診断されたことを公表[14]、シーズンを全休した。

2015年4月8日、カウボーイズから解雇された[15]

人物

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ディフェンシブタックルとしては小柄だが、敏捷性を持ち味としており、インサイドからのパスラッシュをする能力を持ち合わせている[2]

脚注

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  1. ^ a b c 後藤完夫 (2007年4月号). “ナイジェリアンドリーム 史上最年少のNFL選手誕生か”. TOUCHDOWN. 2012年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e 渡辺史敏 (2007年5月17日). “これぞ文武両道。19歳でNFL入りしたオコイエ。”. Sports Graphic Number. 2012年9月12日閲覧。
  3. ^ MEGAN MANFULL (2007年4月28日). “Texans select Louisville defensive tackle Amobi Okoye”. ヒューストン・クロニクル. 2012年9月12日閲覧。
  4. ^ 【ドラフト補強ポイント】ラン守備改善へDT獲得が急務 AFC南地区”. NFL JAPAN (2009年4月2日). 2012年9月12日閲覧。
  5. ^ 肉体改造成功で注目の選手たち -前編-”. NFL JAPAN (2010年6月2日). 2012年9月12日閲覧。
  6. ^ シカゴ・ベアーズ 守備の注目ポイント”. NFL JAPAN (2011年). 2012年9月12日閲覧。
  7. ^ ベアーズがRBバーバー獲得、プロボウルCクレウツは退団か”. NFL JAPAN (2011年7月31日). 2012年9月12日閲覧。
  8. ^ a b c ベアーズDTアモビ・オコイエと再契約”. アメフトNewsJapan (2012年9月3日). 2012年9月12日閲覧。
  9. ^ DTオコイエ、バッカニアーズと1年契約で合意”. NFL JAPAN (2012年4月8日). 2012年9月12日閲覧。
  10. ^ Okoye thrilled to return to Bears”. chicagobears.com (2012年9月3日). 2012年9月12日閲覧。
  11. ^ Larry Mayer (2012年11月27日). “Bears add veteran Gurode to offensive line”. シカゴ・ベアーズ. 2013年1月30日閲覧。
  12. ^ Report: Bears try out two quarterbacks”. Yahoo! SPORTS (2012年12月12日). 2013年1月30日閲覧。
  13. ^ Adam Caplan (2014年5月17日). “Cowboys agree with Amobi Okoye”. ESPN. 2015年5月1日閲覧。
  14. ^ Todd Archer (2014年8月15日). “Doctors clear DT Amobi Okoye”. ESPN. 2015年5月1日閲覧。
  15. ^ カウボーイズ、脳炎で昨季全休のDTオコイエを解雇”. NFL JAPAN (2015年4月9日). 2015年5月1日閲覧。

外部リンク

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先代
マリオ・ウィリアムズ
ヒューストン・テキサンズ
ドラフト1巡指名
2007年
次代
ドウェイン・ブラウン