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アリ (ハシュリ地区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリ・テミから転送)
アリ

ალი
ジョージア (国)の旗 ジョージア
シダ・カルトリ州
地区 ハシュリ地区
テミ (თემი) アリ・テミ
標高
760 m
人口
(2014)[1]
 • 合計 1,068人
等時帯 UTC+4 (GET)
市外局番 368
地図北緯42度05分14秒 東経43度38分48秒 / 北緯42.0872度 東経43.6467度 / 42.0872; 43.6467

アリグルジア語: ალიグルジア語ラテン翻字: Ali[2]は、ジョージアシダ・カルトリ州ハシュリ地区にある村落アリ・テミの中心地。シダ・カルトリ平野グルジア語版西部、チェラツヘヴィ川グルジア語版スラムラ川の左支流)の川沿いに位置する。海抜は760メートル。ハシュリの北北東25キロメートルに位置する。

村内には図書館、映画館、泉、競技場、レスリング場などの施設がある。またアリ聖母聖堂グルジア語版アリ・クヴィラツホヴェリ聖堂グルジア語版アリ生神女聖堂グルジア語版ウサネティ聖堂グルジア語版ジャニアウレビ聖母聖堂グルジア語版が建てられている。

歴史

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アリは歴史的に、ジョージア東部とジョージア西部の結節点であり、国の交易と経済生活において重要な役割を果たし、12世紀頃の都市発展化に貢献した。北方はアリ要塞グルジア語版、南方はナバフティヴィ要塞グルジア語版で守られていた。モンゴル統治下の時代、アリは衰退し、小さな町となった。その後18世紀、アリは盛り返し、上カルトリグルジア語版の主要都市の1つになった。アリは王都として、モウラヴィグルジア語版によって統治された。

今日まで考古学的な発掘は行われていない。偶然に発見された史料から、アリには古代から人が居住していたことが知られている。アリ要塞の南方では考古学的な発掘により、古代早期グルジア語版(紀元前6世紀–紀元前4世紀頃)の広大な集落が明らかとなった。歴史学者ヴァフシティ・バグラティオニはアリを「小さな町」と呼び、その場所と自然条件を次のように述べている。

ブリリの川とアリの川の合流点の西に位置する小さな町であり、町の西には岩の崖がある。春と秋は融雪でぬかるみ、冬は寒く、夏は暑いが、天気は良く、面白い...

ジョージアの歴史研究では、都市としてのアリは11世紀から12世紀頃に始まったことを示しており、地理的優位性により発展が促された。歴史的にジョージアの東部と西部を結ぶ要衝とであり、当時の交易や経済生活において重要な役割を果たしていた。特に、在住のアルメニア人ユダヤ人が積極的に関与したと考えられている。クツナ・アミレジビグルジア語版の証書によると、トビリシクタイシとの交易が行われていた。

封建制の後期まで発展の時代を続けたアリは、ジョージアの各都市と交易を行っており、歴史学上で「アリの財宝グルジア語版」として知られる財宝がその証として残っている。今日まで、その財宝は計3件確認されているが、うち1件は失われてしまっている。残りの2件はシモン・ジャナシア記念ジョージア博物館グルジア語版ハシュリ地方伝承博物館グルジア語版に保管されている。1881年、ドロエバグルジア語版紙は次のように言及している。

耕作地においては、クヴェヴリなどの骨董品がよく発見されている。以前には刑務所の近くにおいて、地主の一人が地面に穴を掘ったところ、銀貨の入った壺を発見した。だがママサフリシグルジア語版が注意を払わなかったため、この古い貨幣はユダヤ人を喜ばせる結果となった。

発明家ウラディメル・ベカウリグルジア語版はアリの村で長年にわたって住み働き、その資金で村の病院が建設された[3]

人口

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国勢調査による人口は、次の通り。

人口 男性 女性 出典
2002 1,375 680 695 [4]
2014 減少 1,068 549 519 [1]

アリ・テミ

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アリを中心として、アリ・テミグルジア語: ალის თემიグルジア語ラテン翻字: Alis Temi)と呼ばれる共同体(テミ)を構成している。アリ・テミを構成する集落は、次の10村である。

  1. アリ
  2. アハルバニ
  3. ブリリ
  4. ドゥマツホヴィ
  5. ゼモ・アドズヴィシ
  6. クルディスツカロ
  7. ナバフテヴィ
  8. ウツレヴィ
  9. キンザティ
  10. ムツヘティシジヴァリ

参考文献

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  • カルトリ・ソビエト百科事典, 第1巻, 308頁, トビリシ, 1975年.
  • თ. ლაცაბიძე, ხაშურის რაიონის ისტორია ტოპონიმებში, 2000 წ.
  • ბერძენიშვილი, ნ., გზები რუსთაველის ეპოქის საქართველოში, თბილისი, 1966
  • ს. მაკალათია, ფრონის ხეობა, თბ., 1963 წ., გვ. 78–85
  • ჟ. შარდენი, მოგზაურობა საქართველოში (1672-1673 წ.), თბ., 1935 წ., გვ. 82

注釈

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  1. ^ a b საქართველოს 2014 წლის მოსახლეობის საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები (PDF) (Report). საქართველოს სტატისტიკის ეროვნული სამსახური英語版. 15 January 2019. p. 377. 2020年11月23日閲覧
  2. ^ საქართველოს სსრ გეოგრაფიული სახელების ორთოგრაფიული ლექსიკონი, 15頁, トビリシ, 1987年.
  3. ^ შ. გოგიძე, გამომგონებელი ვლადიმერ ბექაური, თბ. 1968 წ., გვ., 55
  4. ^ საქართველოს მოსახლეობის 2002 წლის პირველი ეროვნული საყოველთაო აღწერის ძირითადი შედეგები, ტომი II p.237