アルテュール・フォルタン
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アルテュール・フォルタン(Arthur Fortant、1838年 - 没年不詳)は、フランス陸軍砲兵隊の下士官。
人物・生涯
[編集]慶応3年(1867年)、彼はジュール・ブリュネに同伴し、フランス軍事顧問団の一員として日本にやって来た。彼は幕府伝習隊を調練した。
戊辰戦争が勃発すると、フォルタンはフランス陸軍の職を辞し、幕府側で戦い続ける事を選んだ。彼はブリュネ等と共に箱館戦争に参戦し、四列士満(レジマン、フランス語で連隊を意味する "régiment" をそのまま当て字にした)のうちの一隊の隊長を務めた。
明治2年4月9日(1869年5月20日)、新政府軍は北海道に上陸、5月11日(6月20日)五稜郭に立て籠もる箱館政権軍に対し、明治新政府軍の総攻撃が開始され、五稜郭は陥落、5月18日(6月27日)総裁・榎本武揚らは新政府軍に投降した。フランス人らは、榎本の勧めに従い、総攻撃前の5月1日(6月10日)に箱館港に停泊中のフランス船に逃れた。
その後、フォルタンは、マルラン、ブッフィエと共に、明治3年(1870年)、当時大阪にあった兵部省に雇われた。さらにその後、東京に移った兵学寮に雇われた。
参考文献
[編集]- 鈴木明著、「追跡―一枚の幕末写真」、集英社(1984年)、ISBN 978-4087724929
関連項目
[編集]- 蝦夷共和国(箱館政権)