アルブレヒト・ウェルニヒ
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アルブレヒト・ルートヴィヒ・アガトン・ウェルニヒ(Albrecht Ludwig Agathon Wernich、1843年7月15日 - 1896年5月19日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したドイツの医学者である。
経歴・人物
[編集]エルブロンク(当時はプロイセン帝国領、現在はポーランドのヴァルミア=マズールィ県に所在)の生まれ。ケーニヒスベルク大学卒業後、普仏戦争で軍医となる。戦後、ベルリン大学で産婦人科の教鞭を執る。
1874年(明治7年)11月日本政府の招聘により来日し、テオドール・ホフマン及びレオポルト・ミュルレルの後継者となった。これにより、東京医学校(現在の東京大学医学部)に雇われ、そこで内科及び産婦人科等医学を主とした学問の教鞭を執った。1876年(明治9年)11月任期満了となり、その職を同郷で同じ医学者のエルヴィン・フォン・ベルツに継いだ。
同年帰国し、再度ベルリン大学で教職の途に就いた。なお、ウェルニヒは日本で初の産婦人科を創始した人物である。